呪いをかき消す邪念雑念

噫、2年次も終わりが近づき、新たな年を迎えてから何日経っただろうか。如何せんこれといって身になることをできていない、というかしていないので新年の抱負もへったくれもあったもんじゃない。1月3日夕暮れワタクシは、何も無かったワタクシめは、勢いの儘に首を吊った。徐々にベルトが締り悶え味わう苦しみは、ワタクシにとっては祝福の挨拶だった。
「嗚呼やっと解放される!この呪いとも今日でお別れだ。」
朦朧としていく意識、頭を駆け巡る思い出など様々な邪念。やっとやっと死ねる、何とも無しに全てに感謝をした。

起きたのは凡そ10分ほど経ってからだった。ベルトをドアノブに掛けていたその結び目が解けていた。ワタクシは死に損なってしまった。首を吊るのは3回目であり、以前よりやり方も改め今回は希望があった。だがそれでもダメだった。どうやらそう簡単には逃れさせてはくれないらしい。苦しい。どうやら脳に送られている酸素が足りないらしく、頭は割れるように痛い。痛い、ものすごく。そのような回りくどいことをするくらいならば頸動脈を切るなり薬物の過剰摂取をするなりすればいいではないか、などという聞こえてくるであろうから、先に答えておこう。ワタクシは血がすごく苦手なのだ。如何程か?それはもう吐き気を催すほどに。画面の中だったり、擦り傷程度の出血を目に入れるぶんには構わない。だが切った傷から出る大量の血を目の当たりにすると、ものすごく恐ろしく感じてしまう。怖い。もう1つ、薬に関してだが、ワタクシ自身内服薬は幼い頃から服用しているためにそもそも抵抗は無いのだが、逆に薬は過剰摂取などに使うものでは無いという認識が出来上がってしまっているために、なかなか手を出せない。依って死ねる方法は限られてくるわけだ。

首を吊って失敗して、そこそこに吹っ切れた。死に損なってしまったので、また暫く生きてみようと思う。次やる時はもうベルトは使わない。10分ノビた程度のもので次もまたやるわけが無い。次やるとすれば海か川へ行こうと思う。おそらく海。日本海みたいな狭いところじゃなくて、太平洋の広い広い海。それまでなんとか希死念慮自殺衝動を抑えるためになにかせねばと考えた。現に何もしていない時は常に死ぬことが頭にある。

手始めに散財した。服をたくさん買って、遂には(友人から譲り受けたものも含めて)手持ちのアウターが14着になった。そしてたくさん出かけている。学校なんかサボってしまって、好きにほっつき歩いている。怠学だなどと言われても、命とどっちが大事なんだ、とやり返してしまえばそれで終る簡単な話。ドロドロとした黒い何かが胸のところまでせり上ってきて今にも頭がおかしくなりそうな時は音楽で上書きする。一時的ではあるが、何もしないよか幾分かマシだ。

噫、またも生きてしまった。本能的に死にたいのではないか、などとぶつくさボヤいていると友人から怪訝な目で見られたので黙った。黙るしかなかった。うーむ、やはりこういうことを話すのはネットに限る。見ず知らずの人と話すことは予想以上にハードルが高いが、面倒くさい話題を話すとなると、匿名性があるぶんネットの方が切り出しやすい。対面だとなかなかそうもいかないので、そこに関してすごく有難く感じている。

そうこうしている間に新学期が始まり、ワタクシは学校、とりわけ教室に行けなくなっていた。あの空間は地獄だ。行ったとしてもすぐに耐えられなくなってしまって保健室などでサボる。もう何もかも厳しくなってしまっているので、転校の打診をしようと思う。というか親には話を通した。

とりあえず定時制の高校に通いつつ働きたいと思う。働くのは楽しい。自分の働いたその対価で遊んだり、服を買ってその服を着て出かけるのはすごく楽しい。噫、なんて素晴らしいことだろうか。心配事や心残りと言えば、仲良くしてくれている友人を高校に残して離れること、素晴らしい国語のA先生と離れてしまうことだ。いやしかし仲のいい友人とはたまに連絡する仲であるので、時折一緒に遊びに行ってもいいかもしれない。

国語のA先生とは時折話をした。とても博識な方で、過去高校時代は国語が苦手で寧ろ地理が得意、模試の地理教科で全国1桁をとったことがあるくらいの方だ。さすがに頭の出来が違うな、と感じさせられることが多い。だが、話しているとやはり刺激になってとても助かっている。この場を借りて感謝を申し上げたい。ありがとうございます。この独り善がりな拙文が届くことはなかろうが、それでもいい。恐らく言葉にすることに意味があるのだと思う。

これからも此の様に言葉にして綴っていきたい。また環境が変わり、苦しくなるかもしれないが、ここが踏ん張りどころだと思い、耐えるしかない。今はただそれだけだと考えている。

ではまたいつか。

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