2月 〈「何になる」という声〉

ここ2、3日のうちに書いておいた今月の総括としての日記があったのだけど、2月最終日にしてとてもとても良いことがあったので、良いほうに差し替えておく。

今日、現場での作業を終えたのち、事務所にあがるとすぐさま社長に呼ばれた。いよいよ親方に昇格かな? だとしたら嬉しいけど、ようやく好きなことに打ち込みはじめたところなのにな、せめてもうちょっとだけ猶予が欲しかったな、と気持ちの整理をつける間もなく応接室の社長の真向いに座った。で、一瞬のうちに生まれた憂慮は、一瞬のうちに吹き飛んだ。
自分でも忘れていたこと。昨年末、もっと(趣味として)野菜や食品のことを知りたいと思い、自主的に受験した食品検定の頑張りというか、姿勢のようなものが会社に認められたらしく、ぼくは特に仕事に必要というわけでもない野菜ソムリエの資格試験を受けてみることを社長に打診されたのだった。さらにさらに、その費用まで会社で負担してもらえるということだった。
ぼくは喜んだ。青果に携わる人間として、もちろん野菜ソムリエの資格のことは今までも頭にはあったけれど、『受験費用が高い』という一点の理由によりあきらめていた。というより、その金額を知った時点で『ただ金銭を支払ったことに対する証明書』のようなミーハーなものにどうしても感じてしまって、どうせ野菜のことを勉強するんだったら一緒だ、とごまかすような気持ちでそれより費用が(あからさまに)安く、知名度もない食品検定を勝手に受けたのだった。
当時は、休日出勤の際に退勤時刻になるまで検定の勉強をしていたことが多く、「そんなもん勉強して何になる」とか「取るんだったらもっと履歴書に書ける資格取れよ」いう声が周りからバシバシ飛んできた。ぼくは沈黙こそ貫いていたものの、実際「知っておいて損はないだろう」以上の気持ちはなかったので、内心その声に根負けして、本当はもっと他にやることがあるのかな、とか、ああ今日も勉強しただけで1日終わっちゃったなとか、いちいち後悔していた。
それが小さくも実った。ぼくは、下積みである自分が自分のためだけにやっていたことをちゃんと見ていてくれた人がいて、それでいて評価してもらえたことがあまりに嬉しかった。ぼくは、他人に期待することは何となく押し付けがましいように思えて、つい誰にもなんにも認めてもらわなくていい、という考えかたをしてしまう、そして今回のようにそのまま忘れてしまうことが正しいと思っていたけれど、やっぱり本当の満足感は、他人の認識や理解があって初めて成立するものかもしれない。これはただの自己満足だ、と考え躊躇してしまうようなときは、自分の内外から聞こえてくる「何になる」という声に耳を傾けているようなときだ。けど、認められたらきっと嬉しい、そしてそのことに素直になってもいい、と思った。ぼくは実のところ、絵を描いていてもしょっちゅう「何になる」と思って立ち止まってしまったりする。でも今回のことでちょっぴり希望をもつことができた。ぼくはいつか嬉しくなる。