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6歳になったSixTONESと、私



今でも夢を見ているように思う。


私がジャニオタであることをどこからか聞いてきた職場の先輩や後輩から「誰が好きなんですか?」と聞かれる度に、「知ってるかなぁ、、ジャニーズJrの、、」と口走ってしまうし、名前を伝えて「あぁ!あの人ね!」という反応が返ってくると、未だに少しだけ動揺してしまう。誰もが知っているようなバラエティ番組で、司会者に1番近い位置に座っている彼らの姿は、この1年で何度も見たはずなのに、見慣れることはなかった。

“ジャニーズJr”という意識がここまで染み付いてしまうほど、彼らの下積み時代は長かったし、それに付随して私のJr担歴もなかなかの年数になっていたのだなぁと、少々感傷的な気分に浸りながら、私と彼らの歴史を少しだけ振り返ろうと思う。



そもそもの始まりは、2009年。

当時中山優馬のファンだった友人から、ほとんど押し付けられるような形でNYC「悪魔な恋」のCDを借りたのが契機だった。MVの中で、ふわふわと赤ん坊のように笑う松村北斗を見た瞬間に、あ、私この人好きだな、と思ったことを今でも覚えている。(余談だが、この時菊池風磨にも同時に落とされている)

友人に名前を聞き、パソコンで本人に関する情報を調べた。女子校だったことが功を奏したのか、クラスの半分くらいはジャニオタだったので、情報収集は簡単だった。物々交換制度で雑誌もほぼ見逃すことなく追うことが出来た。極めつけに、親友がいつの間にか中島健人担になっていた。「どうぞJr担になってください」と言われているような、ある種恵まれた環境に置かれていた私は、1ヶ月後には少クラ収に通う立派な(?)Jr担に成長していたのだった。


NYC boysとしての活動はかなり単発だったものの、その後もB.I.ShadowはJrの中での扱いが良く、まだまだJr担としての経験が浅い当時の私は、この4人でデビューすると信じて疑わなかった。4人が揃って曲を披露する機会が少なくなっても、学校が忙しいのかも、程度にしか思っていなかった。(特に北斗は学業を理由にライブを欠席したりすることが多かったので)

だからある日突然、ふまけんがほぼ初見のちびジュとパフォーマンスを披露した時は混乱したし、その混乱がおさまらないうちにSexy Zoneのデビューが発表された時は、この世の終わりだと思った。私はこの時初めて、ジャニーズJrという存在がいかに不安定であるかを痛感することになる。世間に対して“デビュー”を宣言し、後に引けない状態を作らない限り、彼らの存在は簡単になかったことになるのだということを知った。


しかし不幸中の幸いか、置き去りにされた2人が完全に干されることはなかった。その後割とすぐに、私立バカレア高校が始まったからだ。彼らは“バカレア組”と呼ばれ、固定のユニットとしてパフォーマンスをするようになる。当時は今ほどJr内にグループというものが存在しておらず、何となくこの子はこのメンバーでパフォーマンスをしていることが多いな、というようなかなり流動的な状態だったため、バカレア組は事実上グループといっても過言ではなかった。


そんなバカレア組は、(贔屓目かもしれないが)飛ぶ鳥を落とす勢いで人気を獲得していった。学習能力がない私はまた、この6人での活動が永遠に続いていくのだと軽率な期待を寄せた。けれどもご存知の通り、映画が終わると同時に、まるで6人でいた時間が嘘だったかのように、なんのアナウンスもないまま、私が大好きだったバカレア組は消えた。



少クラでは北ジェと他4人に分断され、当然ながら彼らを指すユニット名はなく、彼らはジャニーズJrという大勢の中の1人になってしまった。そのうちに北斗とジェシーもセットで扱われなくなり、バカレア組としての輝きは見る影もなくなった。


精神的に少し成長し、以前より広い視野でこの厳しい世界を見ることができるようになっていた私にとって、この2度目の喪失がもたらしたダメージは非常に甚大だった。私がどれだけ好きになっても、彼らがどれだけ輝いていても、事務所がその気にならなければ、その輝きは呆気ないほど簡単になかったことにされてしまう。私が世界に名を轟かすような大富豪だったなら話は少し変わってくるのかもしれないけれど、財力も何もない、どこにでもいるただの高校生の望みなど、事務所に届くはずもない。自分の無力さに絶望した私は、実はここで1度彼らを諦めている。




今思えば、なんて失礼で、なんて自己中心的なファンだろうと思う。私は、彼らがいつかデビューをするという期待を持ち続けることで、その期待を裏切られ、傷つく未来を勝手に想像し、その苦痛から逃げたのだ。私は、自分が可愛いあまり、彼らに期待することをやめた。


そこから数年、言葉を選ばずに言うなら、片手間に彼らを追っていた。ドラマに出ると知れば観るし、当たれば現場にも行くし、誰が好きかと問われれば松村北斗だと答える。けれど、デビューという単語は意識的に脳内から消していた。応援する、というよりは、自分の娯楽のためだけに、与えられるものをそれなりに楽しむ生活。アイドルとファンの関係性の理想形とは程遠い、完全に一方的な関係だった。


そうこうしているうちに、いつの間にか彼らはまたデビューという夢を真剣に追うようになっていた。6人が再結集し、SIXTONESになり、SixTONESが完成し、彼らの熱意と努力は形となって現れはじめた。それは1ファンとして喜ばしい反面、どうせまた元に戻るんだろうなと思ってしまうネガティブな自分がいたことも事実。実際、グループ名がついたものの、彼らがメインとなる公演は客席が埋まらず当日券が出回ることも度々あったし、他グループと合同で主演を務めた舞台では、実力の差が目立つなと感じる場面も少なくなかった。


年齢的にもJr歴を考えても、そろそろまずいんじゃないかとヒヤヒヤしていたタイミングで、先にデビューが決まったのは彼らより後輩のKing&Princeだった。当時の人気や事務所からの推され方を思えば、この展開には納得せざるを得なかった。厳しい上下関係こそあれ、最終的にこの世界で意味を成すのは人気と知名度だ。年功序列で昇格していく日本の一般企業とは訳が違う。先輩だろうと後輩だろうと関係なく、彼らの立つ場所は実際には横一列で、事務所はきっと、そこから頭ひとつ抜け出る人材を探している。その列からKing&Princeの6人が抜けたこの時、意外なことに私はそんなにダメージを受けなかった。悔しい気持ちがなかったといえば嘘になるけれど、それよりも、次にここから抜け出すのは絶対に彼らでなければならないという確信めいた、そして希望に似た前向きな気持ちになったのを、今でもよく覚えている。


スト担がよく言っていた「事務所が推さないならファンが推す」という言葉を、自分の中に落とし込んだのは、おそらくこの時だったのだろう。


大学生になってバイトを始め、ある程度自分の責任で自由に使えるお金を持つようになった私は、彼らに貢献出来るものに可能な限りお金を使うようになった。彼らから幸せな時間を提供してもらう代わりに、彼らの結果に繋がる数字に貢献する。片手間に応援するのをやめて、彼らが見る夢を、一緒に見ることを決めた。私から彼らに向けるベクトルは、彼らが私に与えてくれるものに比べれば微々たるものでしかないけれど、それでも私と彼らの関係性は、一方的な関係から双方向な関係へと形を変えた。


SixTONESはジャニーズとしては少し異色で、それ故に批判に晒されることもあったし、スト担と他グループのファンとの間で軋轢が生じることもあった。楽しいだけではなかったけれど、何かある度に欲しい言葉を届けてくれて、逆境にも負けず、着実に結果を出していく彼らをどんどん好きになっていった。この頃にはもう、彼らの不遇に傷つくことを恐れていた私はいなかった。勿論、当事者である彼らが抱える苦悩は計り知れないということは承知の上で、それでも同じ現実に対して一緒に苦しみ、そして乗り越えていくという過程において、彼らの存在が私の中でより強固になることを知ったからだと思う。そして、そうやって彼らの人生に起こるあらゆる事象を共有していくことで、自分の人生だけでは味わえなかった達成感や葛藤、そして感動を体感し、自分の人生だけではたどり着けないような光景を見ることができることも知った。これは、ジャニーズに関係なく、推しを持つ全ての人間が享受している幸せだと思う。




2019年8月8日。

どれだけ寂しい人生なのだと笑われるかもしれないが、自分が20歳を迎えた誕生日より、大学を卒業して社会人になった日より、何より世界が変わったと感じたのが、あの日だった。

賛否両論、各方面で議論を呼んだ前代未聞のデビュー発表。それでも私は、(その後いろいろ思うことがあったということは置いておいて)デビューが発表された瞬間、手放しに嬉しかった。この文章では触れていないけれど、SixTONESと同時並行的に応援していたSnowManとの同時デビュー。それは、この10年私がずっと恐れていた“自分の好きな人達が、何事もなかったかのように呆気なく消えてしまう恐怖”から開放された瞬間だった。



いつ、誰がはじめに辞めると言い出すんだろう。

このままずっとジャニーズJrのままなんだろうか。


そんな不安から解き放たれて、今では当たり前のようにCDショップに彼らのCDが並び、アイドル誌以外の雑誌の表紙にも彼らがいて、彼らがライブをするとなればアリーナクラスの会場は超満員。テレビをつければ日本人なら誰でも知っているような大物芸能人と会話をしていて、ジャニーズに詳しくない相手にも彼らの話が通じるようになった。





そして2021年5月1日。

結成時には想像もしなかったような世界で、彼らは6周年を迎えた。彼らを取り巻く環境は、この6年で大きく変わった。けれどその中で唯一、彼らが私たちファンに向ける愛情だけは、SixTONESと名前がついたあの日から、少しも変わっていなかった。

彼らが残した功績の数々は、間違いなく彼ら自身の努力の結晶であって、彼らが長年自己研鑽を続けてきた結果でしかない。それなのに彼らはいつも、「全部ファンのおかげだよ」「みんなも“おめでとう”なんだよ」と、感謝を伝えてくれる。

SixTONESはやんちゃで自由で、やりたいように突っ走っているように見えて、実はいつだってファンのことを気にかけてくれているし、どんな時も謙虚で、自分たちが置かれている環境や、それを支える人間への感謝を忘れない。「ついてこいよ」と煽りつつ、私たちを置いていかないようにきちんと後ろを振り返りながら走ってくれる、優しくて温かいグループだと思う。


生配信最後の田中樹の挨拶で、彼らをアイドルたらしめているものはファンの存在であるという言葉があった。そして彼は、ファンの存在が、彼らの頑張る理由になっている、とも言った。

ファンにとって、こんなに嬉しい言葉が他にあるだろうか。数年前、私が身勝手にも彼らを1度諦めたあの時、私が絶望したのは「自分が彼らに対してあまりに無力だったから」だ。裏を返せば、私は彼らに何かを与えたかった。与えられた分だけ、何かを返せる関係性を築きたくて、でもそれが出来ないのだと思い込んで、諦めた。けれど今、私は彼らをアイドルとして成立させている幾千幾万の1人であり、与えられた分と同じだけのものを返すことは難しくとも、彼らが「頑張ろう」と思う理由を、その活力を与えることが出来ているのだという。


私一人では何の力にもなれないと思っていたあの時の私に、教えてあげたい。どんなに小さな声援も、無力だなんてことは絶対にないよ、と。そして、あなたが応援するあの6人は、どんなに小さな声だって取りこぼすことなく拾って、必ず力に変えてくれる人達だよ、とも。





今でも夢を見ているようだと思う。

それは、何度も何度も見た夢を、1つずつ着実に、彼らが現実に変えているからだ。


“Tout ce qu'un homme est capable d'imaginer,
d'autres hommes seront capables de le réaliser.”


これは、フランスの作家 Jules Verneの言葉。

日本語訳は

『人が想像出来ることは、必ず人が実現できる』




大学のフランス語の授業でこの言葉を聞いた時、言いたいことは理解できるが、現実的に考えれば机上の空論に過ぎないだろうと思った。

いくら夢見ても、どうしようもないことなんてきっとこの世にはたくさんある。物理的には可能でも、自分の生活があって、守るべきものがあって、その他諸々、様々な要素が複雑に関係し合って成り立っている私たちの人生には、叶えられない夢もあるに違いないと、そう思っていた。


しかし、SixTONESが次々に夢を叶えていく様子を目の当たりにして、今一度この言葉を考えると、確かに彼の言う通りかもしれないと思えてくる。


以前の私のように、勝手に無理だと思い込んで諦めるから、“叶わない夢”が生まれるのであって、きっと最初から叶わないことが決まっている夢など、存在しないのだと思う。そう信じたい。そしてそう思えるようになれば、人生はもっと楽しい。たくさんやりたいことを見つけて、たくさん夢を見て、諦めない人生を生きたいと、前向きな気持ちになることが出来るから。



こんな風に、彼らの人生における喜びを共有させてくれるだけでなく、私自身の人生まで明るく照らしてくれたSixTONESには、本当に頭が上がらない。こんなところで好き勝手書いた文章では伝わらないし、ファンレターでも書いた方がまだいい気がするけれど、最後に自己満として、ここに感謝の言葉を残しておこうと思う。




たくさんの幸せをありがとう。

私の人生を照らしてくれてありがとう。

これからもたくさんの夢を見て、そして夢みたいな現実を、夢みたいに素晴らしい光景を、一緒に創らせてください。

SixTONESに叶えられない夢なんてないって、今度こそ諦めずに信じぬく覚悟はできたので、やりたいように、生きたいように、SixTONESらしく人生を謳歌してください。


SixTONES、6周年おめでとう!!!!!!






















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