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10歳になったSnowManと、私



※はじめに※   この記事では、メンバーの加入について触れているため、この件について触れられたくない方、加入組担当の方は閲覧を控えていただくことを推奨します。もちろん彼らを傷つける意図は全くありませんが、私の素直な気持ちを記録するという都合上、一部不快と思われる表現があります。「それなら書くな」という意見もあるかと思いますが、言語化するという行為は私の中で必要な行為なので、その点に関してのご意見は受容しかねます。大変恐縮ですが、ご自身で自衛ください。よろしくお願い致します。



退かざる者と進まざる者




こんな言葉を耳にしたことがあるだろうか。


進まざる者は必ず退き、退かざる者は必ず進む。進まず退かずして瀦滞する者はあるべからざるの理なり。




これは、私の母校の創設者である福沢諭吉の著書『学問のすすめ』の一部である。



要は、時間が止まることなく流れていくのと同じように、世界も留まることなく進んでいく。そんな中で前に進まないこと、すなわちその場に留まることは後退することと同義である、ということを示す言葉だ。


彼らの生き方を考える時、私の脳裏にはいつもこの言葉が過ぎる。


彼らは、間違いなく前者であった。SnowManは、10年以上もの間、一歩も退くことなく、前へと進み続けたグループだ。


今、CDを売り出せばミリオンを達成し、あらゆる雑誌を重版させ、異例の速さで冠番組を持つことになったSnowMan。しかし彼らは、決して順風満帆な芸能人生を歩んできた訳ではない。寧ろ長い長い不遇の時代を越えてきた苦労人である。彼らが会場中の照明を一身に浴びて、ステージの中央に立つことが出来る“今”を創ったのは、間違いなく「退かざる者」であろうともがいた、あの頃の彼ら自身のおかげなのだと言うことを、この先もずっと忘れずにいたい。



一方で、私自身はどうだろうか。「進まざる者」になってはいないだろうか。


そういった自戒の意味も込めて、ここにこの文章を残しておこうと思う。






邂逅


彼らを初めて個々で認識したのは、2010年。まだMis Snow Manだった時期の彼らが出演していた、滝チャンネルだった。誰か目当ての人がいたのではなく、ただ単に滝チャンネルというコンテンツ自体が好きで、何となく見ていただけ。だんだん彼らの人間性や関係性が見えてきて楽しくなってきた頃に、ミスノは消えた。例に漏れず一言のアナウンスもなく、あくまで自然に。この時はまだ彼らのファンではなかったので、この件についてそこまでショックは受けなかったけれど、同時期に担当グループだったB.I.Shadowが自然消滅していたこともあり、この世界は本当に諸行無常なのだとぼんやりと悟った覚えがある。これを機になんとなく彼らを見る機会が減り、私の中で彼らの存在は薄れていった。


そして2013年。ひょんなことから私はまた、彼らに出会うことになる。当時の自担のシンメであり、私の親友の担当でもあった中島健人の主演ドラマ、BAD BOYS Jだ。

ふーん、お坊ちゃまで王子様の健人が不良系ドラマねえ、ととりあえず見た1話。それをきっかけに、社会人になった今でも彼らを応援することになるなんて、当時高校生だった私は想像もしていなかった。



1年ぶりくらいに再び出会った彼らは、いつの間にか6人になっていた。私が見ていないところで自然消滅し、そして名前を変えて、6人で再始動していたのだ。

人数は減っていたけれど、彼らを結び付けている絆は格段に強くなっているように見えた。この時既にSnowManは、ジュニアの中でも圧倒的なスキルを持った大先輩で、大勢いるジュニアを率いていく存在だった。非常に世俗的な表現にはなるが、私から見た彼らは、“カースト上位の最上級生“だった。そんな彼らに、憧れを抱かないはずがない。6人でいると自由奔放で楽しそうなのに、後輩がいる場では眼光鋭く毅然とした態度で指導し、あらゆる先輩達からの信頼に足るレベルの高いバックとして、多数のステージを任される。“職人集団“と呼ばれた彼らは、私の憧憬の的だった。


障壁


けれど、ここでまずSnowManを推す上で初めての壁に悩むことになる。実は、私が好きになったこの頃のSnowManを推すことは容易ではなかった。先輩のステージに引っ張りだこで、年中全国を飛び回っていた彼らは、当時私が足繁く通っていた少年倶楽部にはほとんど出演しなかったからだ。年に一度のクリエやジャニワ、ドリボ等の舞台はあったものの、日常的に彼らに会うためには、デビュー組のライブや舞台に入るしかない。



しかし当時の私はまだ高校1年生。校則の厳しい進学校で、バイトなんて以ての外だったので、先輩グループのFCに入ることは出来ず、チケットの用意は困難を極めた。(情報局枠もあるにはあったけれど、用意されている枠が少ないので殆ど当たらなかった)

そもそも常に勉強に追われる生活の中で、バックのジュニアを見るために遠征するなんてことが簡単に許されるはずもなかった。こうした理由で、彼らは同時に応援していたSixTONES(当時はバカレア組)とは違って、圧倒的に会える現場が少なかった。


基本的に現場至上主義な私にとって、同じ空間を共有できる時間はモチベーション維持のために譲れない時間。それがなかなか確保されない中で彼らを推すことは難しかったけれど、かといって降りることも出来なかった。“かっこいい“だけを理由に好きでいるうちは簡単に降りられるけれど、この時には既にその段階は超えてしまっていたからだ。私は彼らの生き方そのものが好きなのだと、気づいてしまった後だった。圧倒的なスキルの裏には、想像もできないほどの努力がある。何を言われてもブレないその姿勢の影には、きっと数え切れない程の挫折がある。同じことができるか?と問われれば、迷いなくNoと答えてしまうだろう。私には到底耐えられないような厳しい世界で、周りにも自分にも負けずに戦い続ける彼らの生き様に感動したし、そんな彼らが創るエンターテインメントをこれからもずっと見ていたいと思った。それを満足いくまで観ることは叶わないけれど、それでも私のペースで彼らを応援していこうと折り合いをつけたこの頃から、私のスノ担人生は始まったのであった。



天変地異



しかし、そんな不安や悩みなど、なんて瑣末なことだったのだろうと思えるような、あまりにも衝撃的な決定を告げられた、2019年。




6人で夢を追いかけていたSnowManに、突然3人のジャニーズJrの加入が発表されたのだ。




この時の衝撃は、今でも忘れられない。


発表された文章は日本語だから読めるはずのに、全く理解できなかった。日本語を話しているはずなのに、何を言っているのか少しもわからなかった。

いや、理解したくなどなかった。



3人には全く非がないことは承知の上だが、それでも「はいそうですか」とこの加入を受け入れることは、私には到底不可能だった。

B.I.ShadowやMis Snow Manの自然消滅で、グループが解散になることや、メンバーが減ることは経験があった。B.I.Shadowに関しては、高畑岬の脱退、松村北斗と髙地優吾の加入も経験した。けれどそれは、B.I.Shadowが結成してすぐの頃の話であって、今回のことはそれとは全く異なるケースだ。解散や脱退ではなく、“人数が増えること“が、こんなにも耐え難い気持ちになるものだとは、予想だにしていなかった。



私が加入を受け入れられなかったのには、大きく2つの理由がある。


1つは、SnowManの在り方が変わってしまうことだ。9人で活動するようになって、1番苦しんだのがこれだと思う。



6年以上もの間、切磋琢磨し、青春と呼ばれる人生の中で最も鮮やかな年月を共に過ごしたSnowMan。そこには6人にしか理解できない感情があったはずで、6人だけが共有している物語が存在しているはずだった。



彼らは、決して似ているとは言えない6人だ。例えば全員が同じ高校にいたとしたら、きっと同じグループに属してはいなかっただろう。渡辺と佐久間なんて、言葉を交わすことすらなかったかもしれない。

しかし、何の因果かジャニーズ事務所という場所で同じグループに選ばれ、趣味も性格もバラバラな6人が1つの同じ夢を見て、がむしゃらに努力を重ねてきた。その歳月の中で、彼らはグループのメンバーとして、互いが互いを補い、高め合う関係性を築き上げてきたのだ。これは、自分以外の5人との経験や、5人に対する様々な感情が絶妙なバランスで関係しあって初めて成り立つ関係性であり、誰かが欠けても、誰かが増えても、その形は変わってしまう。私は彼ら6人の、6人だからこそ生まれる空気感が大好きで、憧れで、この6人をずっと見ていたいと思って応援していた。仕事仲間であり、それと同時にライバルでもあり、そしてただの友人でもある不思議な6人の形。それを根底から覆してしまうような加入を、受け入れられるはずがなかったのだ。



そして2つ目は、これまでの全てを否定されたと感じたからだ。加入が発表されてすぐの頃は、この理由で辛くなることの方が多かったように思う。


6人ではだめなのか。6人では足りないのか。

そう感じてしまうのは、仕方のないことだったと思う。




だって、ずっと6人だったのに。


辛いとか苦しいとか、そんなマイナスな感情をファンに悟らせるようなことは絶対にしない彼らだけど、長いことジュニアにいて、それでもいつまでも先輩のバックばかりで。不安な思いも、悔しい思いもあったはずで、何度も涙を飲んできたことは、言われなくたって分かる。そしてそんな苦しい気持ちを奮い立たせて、励ましてきたのは、同じ景色を見て、同じ思いをして、同じように苦しんだ他の5人だったはずなのだ。同じ場所にいるメンバーからの「頑張ろう」は、他人に言われる「頑張って」の何倍も力になったに違いない。その「頑張ろう」には、一緒に過ごした時間や経験、築き上げてきた信頼等の無形のもの、所謂言語化できないところの言語が働いているからだ。言葉の重みが違う。もちろん本当のことなんてただのファンである私の知ったところではないけれど、でもきっと、彼らはそうやって、険しい道も退かず、ひたすらに進んできたのだと思う。


デビューこそしていないけれど、当時のSnow Manはすでに単独でアリーナを満員にするほどの人気があった。ドラマや映画にも出演し、それなりの地位を確立していた。事務所の意向はわからないけれど、それでもデビューまであと少しなんじゃないかと思えるくらいには、彼らは輝いていた。次にデビューするなら、間違いなくスノストだろうと思っていた。そんな時だったからなおさら、加入という選択には納得がいかなかった。仮に、単独でコンサートを開催するようになる前の、主にバックについていた時代だとしたら、少しは受け入れられたのかもしれない。確かに、このままではだめだろうから仕方がないなと、溜飲を下げることができたのではないかと思う。けれど現実は違った。少なくとも私の目には、彼らは十分魅力的で、デビューに値するグループとして映っていたから。


6人だってこんなに人気があって、あんなに輝いているのに、一体何が足りないというのか。私たちの応援が足りなかったという意味なのか。言葉を選ばずに言えば、6人の血の滲むような努力のおかげで確立した今のSnowManに、3人をタダ乗りさせろと言われている気がして、前向きな理由しか公にならない現実に、私の気持ちはついていけなかった。




「男友達」から「家族」へ


どんなに不服でも、たかがファン1人の想いで何かが変わるわけがなく、SnowManは9人で活動を始めた。


最初こそ加入組との間に距離があったものの、加入発表後に立て続けに行われたライブと舞台のおかげか、彼らはみるみるうちにきちんと仲間になっていった。


6人が3人を補うだけでなく、若さや新しい発想に触発されたり、スランプに陥った時に精神的に支えられたりと、3人から与えられるものも多かったようだ。たしかに、6人はそれぞれタイプが違うとはいえ、長く6人だけでやってきている分、ある程度考えは似てきていたのかもしれないし、年齢差が1年しかないからこそ、いい意味でも悪い意味でも「男友達」だったのかもしれない。怪我をしたり、上手く歌を歌えなくなってしまった時、6人なら本人の気持ちを痛いほど理解しているからこそ、そっとしておくという選択をするところを、1歩踏み込むことができるのは、関係性の違いが原因だろう。先輩後輩関係という意味で本人と横には並んでいないからこそ、純粋に心配し、声をかけることが出来るのだと思う。そしてそういった変化は、SnowManのあり方を変えた。


「男友達」だったSnowManは、加入によって「家族」になったと、私は思う。


前述の通り、ほとんど年の変わらない男6人でいた彼らは、あらゆる意味で男友達だった。入所当時こそあったのかもしれない先輩後輩関係は消え、メンバーは仲間であると同時にライバルであった。お互いを何より大切に思いながらも、それを言葉や態度に出すのはどこか恥ずかしいような、そんな関係性。

しかし、9人になるとグループ内の年齢差は途端に10以上になり、さらに3人は元々のSnowManにはなかった、愛情を言葉や態度で伝える文化を持ち込んできた。この後者の影響は、SnowManの在り方を変える大きな要因になったように思う。言葉で表現するのが難しいが、この文化が入ってきたことで、6人は随分丸くなったのではないだろうか。今までより無邪気に笑うことが増えたし、今まで知らなかった一面を見せるようになった。友達から家族へと関係性が変化したことで、自分のかっこよくない部分をさらけ出すことに抵抗がなくなったのかもしれない。そしてそういった、より素に近い彼らの姿は、新鮮で魅力的だった。



ファンの資格


ここまで考えてみて分かる通り、新メンバーの加入は結果として成功だった。

その証拠に、FC会員数の伸び方は異常とも思えるスピードだったし、ライブや舞台のチケットは他のグループと比べても群を抜いて入手が難しい。昔の姿が嘘だったのかと思うくらいに、彼らはものすごいスピードでスターダムを駆け上がった。


それでも、あれから3年経った今も、6人で今日を迎える世界線を夢想してしまう。それは多分、本人たちの気持ちや経緯の話ではなくて、あの時それまでの私たちを否定されたという記憶と、私たちの努力が足りなかったのかもしれないという後悔があるからだと思う。そして、6人を未だに諦められない自分に気付く度に、やるせなく、申し訳ない気持ちになる。6人はことある毎に9人でよかった、今が幸せだと伝えてくれているのに、どこまでもエゴイスティックな理由でそれを認めきれない自分に、彼らのファンを名乗る資格はあるんだろうかと考えてしまう。



でも、私が今のSnowManも好きだということには変わりがない。昔のSnowManも未だに好きだというだけで、今のSnowManを否定したいわけではない。

9人には、9人でいるからこその良さがあることを知っている。それに、今のSnowManは、6人がSnowManというグループを諦めない為に選んだこの選択の上に成り立っているものだと考えると、あの時否定されたように感じた彼らの努力は、今しっかりと人気という目に見える形で評価され始めたのではないか。今のSnowManが大きくなることで、3年前に取り残されている私たちのようなファンも救われるのかもしれない。だから、私はこの先も彼らの行先を見守っていきたいと思う。まだ昔を思い出すことはやめられないけれど、それでも前へ前へと邁進し続ける彼らに、変わらずついて行きたいと思った。時折後ろを振り返れど、「進まざる者」にならないように。




10歳になった彼らへ



今日、SnowManというグループは生まれて10年の記念日らしい。



この10年という長い歳月の中で、グループは大きく形を変えたけれど、彼ら一人一人の努力と覚悟によって、SnowManの存在は消えることなく守られ、今日に至る。


これがどれだけ大変な事だったかは、想像に難く無い。グループを守るために諦めたもの、失ったものもあるだろう。


それでも、SnowManというグループに拘ってくれたこと、守り続けてくれたこと、そして今日もSnowManとして私たちの前に立ってくれることは、本当に奇跡的なことだと思うから、私は今日という日に、そしてSnowManを今日まで守ってきてくれた彼らに感謝をしたいと思う。


いつの時代も、何があっても、進み続けてくれてありがとう。昔は夢でしかなかったいろんな景色を見せてくれてありがとう。


これからも変わらず、SnowManでいてください。

SnowMan、10周年おめでとう。









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