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聡明な人(silent #3)

ドラマ「silent」3話で描かれたのは、紬の現在の恋人であり、想の親友だった湊斗の苦悩。


彼は、恐ろしく聡明な人だった。誰よりも視野が広く、思慮深く、とても優しい人だった。そしてその素晴らしい人間性が、図らずも自分を苦しめてしまうような、不器用なまでに誠実で、どこまでも愛情深い人だった。


このドラマの世界で描かれる戸川湊斗という人物は、一貫して自分以外の誰かのために生きていた。そして、自分の幸せを求める内なる自分に気が付く度に、狭量な自分を責めるのだ。

好きな人が恋に落ちる瞬間を目の当たりにしても、その恋が上手くいくように協力し、その子が自分の親友と幸せそうに過ごしていることに喜びを感じていた。でも二人が別れたと聞いたとき、少しだけ喜んでしまった自分に気が付き、そんな自分が許せなかった。もっとわがままになってくれと願ってしまうほど、彼はいつだって聡明だった。


人間という生き物は統べて、多少のエゴを持ち合わせているはずだ。友達だけが大学受験に成功したら、例えそれが親友であっても素直に喜ぶのは難しい。道端に落ちていた100円玉を拾ったら、ラッキーだなと思う。自分の感情よりも先に、希望の進路に進む親友の喜びや、100円玉を落とした誰かの後悔に寄り添うなんてそうそうできることではないし、そうするべきだとも思わない。みんな自分の人生を生きているのだから、自分を優先するのは当たり前のこと。前述したような、日常生活の中で生じる些末なエゴについては、生きていくうえでしかたのない部分だと思う。

他人の喜びを自分の喜びとしなければならないわけではない。自分のために他人を害することは許されないけれど、自分の幸福が何によって成り立っているかを常に慮る必要はない。もちろんそうできたらそれは素晴らしいことだとは思うけれど、そうすることで自分が苦しくなるくらいなら、しなくていいのではないかと思う。ましてや、自分を優先した自分自身を否定する必要など、どこにもないはずだ。


大抵の人間は、そうした状況に直面した際、当たり前に自分を優先するだろう。そして、そうした自分に深く傷つくこともない。なぜなら自分の人生をよく生きる上で、その選択はある種正解だからである。


しかし、湊斗は聡明であるがゆえに、自分の人生において起こった事象が何によって成り立っているかを把握できてしまうし、自分の周りの人間の感情の機微にも敏い。そして誰よりも優しいがために、理解してしまったそれらの事実を、見てみぬふりをすることができない人だった。


紬と想が別れて少しの喜びを感じたことも、紬の心にはどんな形であれ今もなお想の存在があるということも、実家に行けば今の想につながるかもしれないということも、想に会いたくない理由も、想をただの恋敵として、疎ましいものとして認識しておきたいと思ってしまう気持ちが起因するものも、そのすべては、なかったことにしてしまえば、気づかなければ、湊斗自身の心を守ることができたはずだった。でも湊斗は、すべての場面で、自分が傷つく選択肢を選んできた。それは言い換えれば、いついかなる時でも、紬と想の幸せを想って行動していたということで、彼がどれだけ愛情深く、2人のことを想っているかが痛いほど分かってしまう。


湊斗にも幸せになって欲しいのに、彼自身がそれを許さない。あまりに綺麗な心を持っているせいで、自分の優しさよりも自分が人間らしく生きる上での醜さに目がいってしまうのだろう。だから彼はどうやったって自分を顧みない。幸せのシンボルとされるてんとう虫を空に帰してしまったあのシーンのように、彼は大切な人の幸せのためなら、自分の幸せを二の次にしてしまう人なんだろう。


私は一視聴者として、どうしても想と紬が結ばれる世界を願ってしまうけれど、それでも湊斗の幸せも願わずにはいられない。人のために自分を削ってしまう彼が、いつか何よりも彼自身を大切にしてくれる人に出会えたらいい。そして、彼が自分の人間性を肯定できるようになって欲しいと思う。


誰かのために生きられる人が、愛されて幸せに生きられる世界であるように願いながら、この物語を見守っていきたい。




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