自己肯定感が低いのは高慢だからだという話
私は自己肯定感が低い。
常に何事も完璧にこなしたいと考えながら、それをいつでも実現できるほどの実力はなく、そんな自分が嫌い。
でも、就活中に受けた玉手箱のテストに登場した文章に
「自己肯定感が低い人は未来の自分への期待値が高い」
みたいなことが書いてあった。
まじでその通りだと思った。
私は自分がもっと何事もうまくできる人間だと思い込んでいる。
本当は出来る実力があるのに、怠慢によって実現できなかったと思い込んでいる。
もっともっと何かを成し遂げられる人間で、
もっともっと特別な人間だと思い込んでいる。
だから、今の自分が”本来の自分ではない”と思い込んでいる。
高慢な人間だ。
自分に何が出来るんだろう。
大切な時に努力できない、真剣に取り組むことができない。
ただ何となく出来たことが、たまに過大評価されて、それをまるで自分の評価の全てであるかのように、鵜呑みにして、自分を有能な人間、特別な人間であると過信している。
就職活動をする中で、それが大きな間違いであると気付かされた。
世の中には自分よりよく出来る人が山の様にいる。
自分より努力できる人、それでいて人当たりも良い人、賢く、言語化能力に長けている人。
自分は決して特別優秀な人間じゃない。
私よりよく出来る人も、私と同等の人も山の様にいる。
ここに、誰かと自分を比較することの無意味さがあるんだろう。
でも、私は今まで、自分を誰かと比較することによって自信を保ってきた様なところがある。
中高時代は、定期考査の学年順位が私に自信を与えてくれていた。
学年の委員長という立場が、自分が特別な人間だと思わせてくれた。
誰かに勝つことで、優位に立つことで、自分の価値を認識してきた。
だからこそ今、競争社会で、自分自身で自信を保つことができない状況下に置かれて、耐えられなくなってしまっている。
競い合うことや比較することに意味はない。
そんなことはわかっているけれど。
自分自身の本当の強み、個性を理解していないからこそ、肩書きや他者評価でしか自分を評価できない。
就職活動に対して私が感じる不安のほとんどは、考えてみると、『他者からどう思われるか』に集約されている気がする。
この会社に行ったら、親戚はどう思うだろう?
同じ大学の友人はどう思うだろう?
アルバイト先の同僚、上司はどう思うだろう?
中高時代の同期はどう思うだろう?
先生たちはそう思うだろう?
私が高校時代大好きだったあの人はどう思うだろう?
早々に大手外資に就職を決めた元彼はどう思うだろう?
10社から内定をもらって大手に就職した私の片思いの相手はどう思うだろう?
私が嫌いだったあの子が私の就職先を耳にした時どう思うだろう?
もし今就活を辞めたら?
休学したら?
留学したら?
院進したら?
周りにどう見られるんだろう?
私の人生なのに。
自分で自分を評価できないから、他者評価が自分の評価と直結しているから、私はそんな無意味な思考をやめられない。
自分で自分の人生を生きなきゃ。
1回しかないのに。
もう取り返しがつかなくなってしまうのに。
わかっている、わかっているのに。
私の就職活動の結果は、私の他者評価の結果?
そう思ってしまうと、本当に怖くて、逃げたくて、身動きが取れなくなる。
馬鹿みたいなのは自分が1番わかっている。
自己肯定感が低い私は、酷く高慢で、脆くて臆病だ。
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