っっっs

学生と先生の間の視点で美術大学での学びを考える。

多摩美情報デザインでの講師業が始まった。本日、初授業終了。デッサンとスケッチという3時間の授業。そして実は昨日は授業の準備をしつつ全然眠れなかった。

作業が間に合わないわけではない。緊張というわけでもない。今まで何度もガチなビジネスマン向けに、多い時では一度に200人に向けて、デザインやグラフィックレコーディングの講義やワークショップをしてきた。何なら全国放送のTV出演だってこなして来た。

それに比べれば、たった35人の母校の後輩。ホームなので、いまさら何も緊張することないのだけど、今まで感じたことのない重さの責任のようなものを感じていた。自分の発する言葉、用意する参考資料、ひとつひとつが正しいものなのか?何度も考えて全然眠れなかった。

なんでなのか? 

大学で学んだことを『犬』で例えて振り返っていた大学卒業時の日記に答えがあった。

ここから、2009年03月 多摩美卒業時の日記より

明日から築地でwebデザイナーとして働きます。
ってことをこの前小学校中学校の同窓会で言ったら、
『すんげー夢かなえちゃってるよ!東京モード学園だ!笑スンゲー!笑』
って何人かに言われました。
そしてそれに違和感を感じました。

実際、自分も小学校の頃将来の夢って言うのは22歳くらいになれば、
自動的に簡単に完成するモノだと思い込んでいました。

もっっといえば、高校受験して、
美大受験して入って、卒業すれば、
何か確実な価値観と技術と学位を与えられ、
社会で保証付きで何かになれると安心して思い込んでいました。

果たしてそうなのか、
最近アップした写真はとても明るいけど、暗黒時代も記してみたいと思います。

私の4年間のドロドロ『犬』を例えにを振り返ってみてみます。

私の入学した2005年の多摩美の情報デザイン学科ってところは良くも悪くもすんごいカオス。

( ※注/2005年のあくまで清水の視点の話です。
当時、普通に楽しく過ごしてた人もいると思う。
そして、今の情報デザイン学科はとてもいい感じです◎ ) 

誰も何も解らなくて、明らかにカリキュラムの様子がおかしくて、謎授業が多かった。

大学の体制について、不満愚痴、毎日文句を仲間内で言っていました。
教授をいきなり呼び出して授業の意味を問いただしたこともあります。
ほかの教授に不満を訴える水面下の活動もしたこともあります。
(今思うと火炎ビンを投げつける学生運動のような謎のパワーです。)

大学の鈍臭いやり方にはイライラしてたけど、
情報デザインってジャンルには 何故か疑いが持てず、
『こんなもんじゃないでしょ?もっと面白いでしょ?』

って感じで。
だからよけいに大学にイライラするっとしていた。

野良犬・狂犬のようになってるのは他にも数名いて。
そんな狂犬共で集まって、
アートのまねごとみたいに好きなもの作り始めたりもした。
それは本当楽しくて、かなり良い経験になってると手応えも感じてた。

だけど、それはそれで、
『だったら学費払わなくてよくない?大学辞めたらよくない?』ってなるし。

『文句言う暇があったら好きなこと自分でやりなよ』と言う
クラスメイトも理解できなかった。
とにかく親に払わせている学費はシカトできないほど膨大な額だし、
その時は、大学をボッタクリの不良品としか考えられなかった。
不良品は意地でも修理させたかった。

ってな毎日なので、
他の学科が何か確実な価値観と技術と学位の中で、
尊敬する師匠に囲まれ、共通の仲間意識を持つクラスメイトと
モノを作っているのが、めちゃめちゃ羨ましかった。
『楽で良いよね』とか暴言吐いたこともあった。

とにかく入学して2年間は立派な狂犬として、ハイクオリティで病んで、
うめき声を上げ、嫌な感じで暴れていた。

※学科の人々、半分以上はそんなムードだったように勝手に感じる。
※そうじゃない人には申し訳なく感じた。

だけど、ついに野良犬・狂犬時代にピリオドがつく。

あんまり救世主・神みたいには書きたくないし、考えたくないのだけど、
それでもやはり救世主だと思ってしまう。
3年生になった時、校舎もじめじめした狭い教室から新しい校舎に移り、
カリキュラムも、講師陣もがらりと変わった。

『こんなもんじゃないでしょ?もっと面白いでしょ?』
っていう情報デザインがストレス無く追求できる環境になった。

毛並みが良くなった。

で、
期待していた『確実な価値観と技術と学位』が手に入ったかと言うとそうじゃない。先生は前期、私が作るものにシカト状態だし、特に答えも教えてくれない。

ということで、
みためがヨークシャテリアの野良犬状態がスタートした。
良い感じに歪んできた。

後期は先生をシカトすることに重点をおいた。
そうしたら、なんか解らないけど楽しくなってきた。
ヨークシャテリアでありつつ野良犬を同時に演じる快感が生まれた。

4年生、私はヨークシャテリアであるか、野良犬であるか、とても悩んだ。
どっちかを選ばなきゃならないと思い込んでいたから。
そのせいで卒制の方向性もまっすぐ決まらず、
就職も上手く行かない気がしていた。

だけど、先生は、ヨークシャテリアであるか、野良犬であるか、で悩むのは無駄。どっちも同じ犬だ!みたいなことを言った。
って思うと楽しくなってきた。

結局犬であれば何でもよいのだ…!
私は悟りました…。

fin☆

じゃなくて!

話が本当に『犬』のはなしみたいになってきてしまった!
とにかく、
明日からwebデザイナーになりますがまだ夢は叶っていないと思います。
というか夢がまだ決まっていません。

とりあえず、『犬』というか『美術』っていうジャンルの住人として
社会に出られることが叶ったという現在です。

なので、これから『どんな種類の犬』というか
『確実な価値観と技術』を探していくのか。
あるいは探さないのか。

完全なるフリーダム。
それが卒業ということかな。

大学で教わったこと
『確実な価値観と技術と学位』なんて無い。

だから、共に狂犬時代を過ごした戦友も、
鮮やかで物凄い経歴を持つ師匠たち(セント・バーナード)も、
同様に絶対的ではない、絶対信じない。

だけど、それが無い中から生まれるものの、ものすごい可能性、ノーベル賞感、人類の感覚改造、まぶしさ、危うさ、儚さ、強さ、したたかさ。
何があろうと自分は結局あと60年で消えるっていうこと。
だけど、死んでも憧れられ、忘れられないものを作る人もいる事実。
犬である以上そうなりたいこと。

それを教えてくれたのは、
一緒に学んだ仲間、師匠たち。
そんな矛盾した不思議な尊敬と信頼と共有感が心地良かったです。

その感覚はきっと両思い、きっとこれからも現在進行形。

多摩美を卒業しましたが、
明日からも引き続き、犬として楽しんで生きていきます。
みなさま、これからも、あと60年、どうぞよろしくお願いします。

****2009年の日記ここまで*****

ここから2018年の清水です。

(なんか今読むと「犬」の例えがわかりやすいようでわかりにくい...けどわかる...)

そう、私は、学生の時に、大学で学ぶということに、ものすごい期待をしていたんだよね。だから昨日は、今までのどんな仕事よりも責任を感じて不安で眠れなくなってしまったのかもしれない。

入学当初は、大学ってのは、ものすごく素敵な学びが自動的にもらえて、何か確実な価値観と技術と学位がもらえると思っていた。でもそれは違った。私が最終的に学んだのは「誰かがくれる確実な価値観と技術と学位なんて無い、自分でつくる」ということだった。

でも、それを「大学側の詭弁や欺瞞だ!」とか思わず、心から素直に学びとして感じたのは、4年間、大学に対する疑問や不満や希望や理想。表現への学びの欲求すべてを全力で受け止めてくれる先生がいたからなんだと思う。

大学という場所に入ってまだ一週間だけど、大学には学生をリスクから守るために必要なよくできた感心するシステムが沢山あることを知った。でも、今の時代に本当に必要なのか議論をした方がいい種類のものもきっとある。

学生のみなさんが、そういった理不尽なシステムに出会った時には、どうかイライラした気持ちだけでなく、しっかりとしたイライラの理由を探して、先生と対話を試みてほしい。そして私は受け止められる先生でありたい。

***

大学で学ぶってどういうことだろう? 学生ではなく、先生視点での2回目の問いかけが始まる。学生と先生の間の視点。大事な視点。ずっと忘れないで精進したい。

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■参考記事1 / 私の卒業研究制作

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■参考記事2 / 「10年後にわかるよ」10年越しの伏線の回収








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