見出し画像

しむと建て物の感想01 -生活感があるきれいな写真-

「生活感」というのをキレイすぎない様とするのであれば、それを写真でサッパリと撮るというのは割と気持ちが良い行為だ。もし、調味料の向きが全部揃っていたりとか、ペットボトルのラベルが何かへの配慮で剥がされていら「なんか違う」と思うだろう。

しむと建て物は、日本のラジオという劇団に所属する、沈ゆうこさんの住んでいた部屋の写真集だ。部屋が片付いていないのが良いと写真集をパラパラとめくって思った。いや、片付いてはいる。ただ、ガスコンロの油汚れがそのままだったりだとか、フライパンが焦げているとかさ。そういうの。これが生活感てやつなんだと思う。

私だって、電子レンジの上に、鹿の革の端切れが所在なく置いてあったりとかするし、前の仕事の試作品なんかが玄関にゴロゴロ転がっている。そういう住人には見えないものになっている、自生している植物のようなものがワラワラとある様子が「人が住んでいる」ってことなのだろう。

「〇〇と建て物」という意味では、先日、友達と一人暮らしの話をした。友達は都内から離れたところに住んでいる。私と同じ家賃でも部屋が一つ多かったりして、私も東京出ようかな……なんて思ったりもした。で、各々の部屋の様子を話していたら「本だね」「本なんだよ」と互いに納得した。

俺が「本棚がデカくて場所取るんだよ」っていうと、向こうは「ウチは本棚ないよ。全部収納に積んでる」とか言い出してびっくりした。そんな風に一人暮らしって、客観的に見ると意味のわからん構成が、住人が納得した上で構成されている。そう思うと、もっと軽率に色んな人の部屋に行くのも良い気がしている。

しむと建て物は、彼女が住んでいた部屋の写真が表紙だ。それを見ると「あぁ、やってますねこれは……」と言いたくなる当人の論理の連結が見て取れる。私らにはわからんが、彼女はこれでOKとしているという。昔、あるデザイナーの講演に行ったことがあるのだけど、その人がこんな事を話していた。

「世の中にはいろんな椅子がある。見た目もそうだが、椅子の場合は座り心地が大事だ。その座り心地に関してはデザインに関わった誰かがOKを出している。”座り心地はこれで大丈夫だ”と」私はこの話が大好きだ。誰かが責任を持ってOKを出しているという事実が気持ちがいい。

「一人暮らしの部屋」というのはきっと、椅子の拡大版で、住んでいる人が何らかの形でOKを出しているフォルムをしているのだと思う。だから「変な部屋だな」とか以前に、当人が気分良く住んでいれば良いという思いもある。謎の論理で部屋にそびえ立つスチールラックの柱も、カーテンレールの上にゴロンと置かれた真っ赤な時計も彼女の中でOKが出ているのだろうと思う。漫画、そこに置けるのか!とかね。まぁ、私の家には布団がないので人のことは何も言えないのだけど。



今後も製作記と他愛もない話をセットで書ければと思います。 サポートしてくださると嬉しいです。