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しむと建て物の感想03 -最終形態の部屋-

沈ゆうこさんの住んでいた部屋の写真集「しむと建て物」が、もし引っ越したばかりの部屋だったら、多分面白さが違っていたと思う。渡辺篤史の建もの探訪みたいになったのではないか。

専門学校に通っていた頃に、そろそろ実家を引き払うということで父親が仕事をしている様子や道具の写真を撮っておきたくて何日か密着して仕事の話をしながら撮影して、それを写真集にしたことがある。父親は、靴職人であった。そういう風に「今思えば撮っておけばよかった」と思うのが部屋の写真なんだろうなと思う。

引っ越す前に写真を撮るのは、相当楽しそうだ。多分、住み始めた頃に撮るよりも面白いのではないか。それは、住むことで変貌していく部屋という生き物が進化するからだと思う。私だって、今住んでいる部屋は2023年の6月で2年になるが、天井には飛行機がぶら下がり、机の上には置くだけでスマホを充電できるデスクライトも手に入れた。そうやって「これがあると便利かも」とか「これがほしい」が部屋に積み重なるのが楽しい。乱雑に置かれたフィギュアだって、ふと抱きかかえられるぬいぐるみだって意味がある。

引っ越しというと、何もかもがまっさらになるような感じもあるが、実際にはそういうわけでもなかったりして、おいそれと「買い換えるか」となりにくいのは家具だ。めちゃくちゃに金があるとか、マジで頓着がないとかだったら別だけど、家具って今はあんまり良いものがない。というか、素材がしょぼかったりとかするんだよな……。今っ「ぽさ」だけを抱いて形になっているアイテムが多いというか。

そういう意味では時代家具とか呼ばれたりするアンティークほど古くない日本の家具はカッコいい。それにどういうわけか使いやすい謎のギミックがあったり、意匠が凝っている部分にラブを感じたりすることもある。そして、一度手に入れると同じようなものを現行品で容易に買うことができないので手放しにくくなる。

沈さんの部屋にある箪笥や机はまさに時代家具!という感じでマジで良い。あれだけの厚みのある天板の机、今買うといくらするよ。とかね。本当にそういう素材の良さっていうのはマジで時代家具なんすよ。それに、ここまで古いと、古すぎて古くならない。それが良い。そして、持ち主の気分で置かれる色々なもの。


写真集の中身をボコボコ上げすぎるのもと思い急遽登板する我が家の棚です

まさか自分の上にアニメのキャラクターにフィギュアを置かれるとは思わなかっただろう、箪笥よ。とはいっても多分、前の持ち主もそれはそれで日本人形とか木彫りの何かを置いていただろう。ただ、机の方はパソコンのモニターをガッツリ置かれるとはまさか思わなかっただろう。どれくらい住んだのかはわからないけど、引っ越したあとに増えたものがあるはずで、そういうのはやっぱり「住んだからある物」という感じがして良い。

そういえば実家にあったタンスの上には何が置いてあっただろうか。その上に小さな引き出しが更にあって、通帳とか印鑑とかが置いてあったような気がする。あとは、なんだろう。ビデオテープが入ったガラス扉のついた棚とかあったと思う。俺の部屋に至ってはマジで何も覚えていない。ただ、「タンスの上に何も置かない」という選択肢はなさそう。こういう記憶が消えないようにするためにも。写真を撮っておく意味があるのだと思う。

先日、30年近く通っている銭湯に行ったら番台のお姉さんが「ねぇねぇ、これ。あげる」と言って、ペンキ絵の写真をプリントしたクリアファイルをくれた。女湯の八ヶ岳、あれを見たときばかりは流石に子供の頃に戻った。


今後も製作記と他愛もない話をセットで書ければと思います。 サポートしてくださると嬉しいです。