2023/12/27

満足いかない。ちっとも満足行かない。
自分の置かれている状況にも、自分の能力とか不器用さにも、周りの状況とか景気とか、うまくいかないことだらけ。
誰かが悪いって言ってるんじゃない。そうせざるを得ない社会に満足いかない。
何かをやろうとした途端にうまくいかなくなる要因が生まれたり、計画通りにいかないし、全て全力を出しきれているような気もしない。
自分の力で満足できるような環境を作っていくこともできたとは思う。でもそれをできるほど僕は強くない。合理的には生きられない。誰かの迷惑とか、この人といたいとか、そう言った非合理性の中で決定が下される。

何も言いたいことなんてないけどさ

自分の中に湧いてくる哲学的疑問を話せる相手が少ない。考えすぎると全てを諦めることで筋が通るような虚無主義にとらわれてしまう。

考えすぎてんのか。それとも何も考えていないのか。

考えすぎているせいで、最近人との関わり方も淡白極まりない。
全くもって自分を出さない。言葉も交わさない。相手につべこべ言うことに意味を感じなくなり、言われることも嫌悪するから当たり障りのないことを言いたくなる。しかし本当に当たり障りのないことなんてそう多くない。なにかに対して攻撃的(な意味合いに取られるよう)な指向性が働いてしまうのである。

感情も、アイディアも、湧いて出る思惑もナマモノだ。

心の中にとっておいて出さないうちに腐って黒くなる。それを保持すると消化に悪くなる。
さっさと出さなくてはいけない。
感情豊かというか、他人になにかそういったことを器用に向けられる人が羨ましくてしょうがない。自分も本当にそうなりたい。
よく笑いたい。よく泣きたい。よく怒りたい。
自分の奥底にある「自分の機嫌は自分で取らなくてはいけない。他者に向けてしまう行為は無責任である」という思い込み。認識したところで治るわけでもない。そこを露出させることが僕にとっての甘える行為に該当するわけだが、これができる相手が少なくて困る。(いや、自分がしていないだけなのかな)嬉しい感情も、悲しい感情も、出したところでみんな困ってる姿が目に浮かぶというか、それ以上の感情を上乗せされたりしてきた過去がある。結局、そんなもの出さなければ良かった気がすると後悔してしまう。出したところで感情に支配されてしまうんだし、と。

別に、特段今すぐ解決しなくてはならない課題の話をしているわけではない。だけど放っておくこともできない。これが自分にとっての進化なのか成長なのかもわからないし、身体を健やかにしているのか蝕んでいるのかもわからない。ただ、前よりは落ち着いているが全体的に少し沈んでいる。

根本的な原因は思想にあるとも限らないし、環境にあるとも限らない。食べているものかもしれないし仕事によるところかもしれないし今までの育ちかもしれない。または時間が経てばいつか忘れていることなのかもしれない。
何も考えずに生きている人に対して軽蔑を鏡の反射として自分に跳ね返ってきている。だだ、それは自分を肯定したいがために取った行動だった。


こんな話を聞いてくれるみんなには感謝しなきゃいけない
こんな文章を読んでくれる人にもひたすらに感謝している

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