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実家の食い物の話

実家は大変な山奥にあったので、流行のものには触れられずとも季節の食べ物には非常に富んだ幼少期を過ごしてきた。

涼しい地方だったために旬の訪れは遅かった。桜は4月の半ば過ぎに咲く。5月になるとようやく筍の時期になり、休日に家族で山へ収穫に向かう。

山奥の実家のあたりには「野良着」が現役だ。外で野良仕事をする際に着る、汚れてもいい服のことである。山は過酷だ。野良着には部屋着よりももっと機能性が求められる。当時まだオシャレ路線など皆無だったワークマンが人気であった。ゴム長靴、厚手のジャージ、ウィンドブレーカーやヤッケのようなもの。軍手、腕カバー、そして農協の帽子を被る。婦人用の場合は色褪せて台所で身につけるにはみっともなくなった割烹着などを着て、日除けで首まで覆う帽子を被る。何故かどれもパステル調のエレガントな花柄が多かったのはどうしてだろうか。

「野良着」を着たら、草刈り用の道具を持つ。背中には竹製の軽い背負い籠を負っていた。先頭の父か祖父がガソリン臭いエンジンのついた草刈り機で刈っていき、それ以外の人間は鎌で刈り漏らしたもの引き受ける。草は滑るので道から避けて、斜面に落とすことになっているのである。わたしは熊手などを持って草を片付けたり散らかしたりする係りをしていた。

道を確保したらいよいよ筍を掘る。竹は非常に伸びるのが早い。収穫期を逃すとすぐ1mを越してしまうのだが、道を塞ぐものや密集しすぎて生えたものはここで柔らかいうちに間引かないといけない。放っておくとどんどん伐採が手間になってしまうのである。逆にこの時期なら子供でも鋸で引いて倒せる。とにかく刃物で大人の真似をしたい子供はこういう作業が大好きだ。我が実家は子供に刃物を持たせる家だった。手を何度か切ったらそのうち切らないやり方を覚えるだろうというおおらかな方針である。祖父が鉈と鋸を持たせてくれて「それ、行け」と犬のように放たれる。多動癖のある子供が必死にあちこちでクソデカになった筍を伐採している間に、大人は落ち着いて食える分を収穫する。長じてからこれ気付いたときは傷ついた。だが道理である。筍は地中にあるものを掘り出さないと旨くない。そこで掘り起こすために短い鍬を勢いよく振るうので、ウロチョロしている子供は邪魔なのだ。

それで厄介払いをされ、放たれた犬のようになってひたすら伐採していると、そのうち声をかけられてもう終わったぞと言われる。細長い245ml缶のポカリスエットをもらって休憩するのだ。山仕事の時は何故かこれがお決まりだった。最後に山の中腹あたりにある土葬時代の曽祖父母の墓に野花を供え、筍で重くなった背負い籠を負って帰宅する。

早起きをして出かけるため、一連の作業を終えてもまだ10時にもなっていない頃だ。筍の作業はまだ終わらない。これから大量に持ち帰ったものを全部剥いて茹でるのである。

アク抜きと下茹でにはいろいろと流派があるらしい。皮を剥かずに米糠と一緒に茹でるのがポピュラーだそうだが、我が実家は、まず全部剥く。先端をよきところで切り落とし、中身を傷つけないように縦に切れ目を入れると、そこにゴム手ぶくろの指を突っ込んでめりめりと皮を剥ぐ。掘り返したばかりで水分が多いうちはまだ剥きやすい。一番硬い外側の皮をヘラの代わりにして、身の部分に剥き残った皮をごりごりと削り取ると出来上がりだ。ドラム缶で作った移動式のかまどに薪をくべて、グラグラと沸かしてあった大量の湯で湯がく。糠はなし。真水である。アクは完全には抜けないが、掘って数時間以内の場合はこれで十分というのが我が家の方針で、わずかにえぐみが残るのがむしろ良しとされていた。

せっせと筍を剥いては茹で、引き揚げて冷ましてポリ袋で小分けにする。このうちのほとんどは親戚宅、知人宅に贈るものだった。田舎はいつの時代も物々交換である。米を、野菜を、梅仕事の際の赤紫蘇を、あるいはちょっと遠いけど美味しいパン屋さんのパンを、いつも融通してくれる人々に毎年筍が送られていく。山で取れる通貨なのである。なお薪も山からとったもので、水すら井戸水とくれば送料しかかかってない。山仕事は錬金術と言っていい。その分恐ろしいほどの労力と人手は必要なのだが。

最後に見た目の悪いものを自分たちでいただく。刺身だ焼き筍だというのは都会人が洒落込んで食うもので、地元の我が家はめっきり炊き込みご飯と煮物。

どういうわけかこうして真水で湯掻いた実家の筍には、妙にミルキーな風味とコクがあって、非常にうまい。筍を掘り起こすときに地下茎を切断するとミルクのような白くねばついた樹液が親竹のほうから供給されていることがわかるのだが、あれがこの乳臭いような風味の素なのだろうか。

細く刻んだ油揚げと一緒に柔らかい穂先の方を刻んだものを甘辛く煮て、飯と一緒に炊く。筍の色が醤油に染まりきらないように、ごく薄味にする。そうでなくてはもったいないほどに旨いからである。煮物のほうは、煮干しと一緒に根元の硬い部分を煮含める。こちらはしっかりと出汁と醤油をきかせて、味が濃い。根元はえぐみも強いからだ。だから煮物の方は次第に飽きが来たりもしたが、炊き込みご飯は一番うまい先の部分から出汁が出るのもあって、シーズン中は何度食っても何度でもうまい。

成長が早い筍は二、三度収穫にいけるため、季節のうちは何度も休みの日にこれを行う。荷造りもあるため家の中は忙しなくなる。残った筍は一年分を細かく刻んで冷凍しておき、青椒肉絲や筑前煮のたびに取り出される。

上京して一人暮らしになったわたしの家にも春先に筍が届き、同じようにしてお相伴に預かった。穂先は筍ご飯に。根元は煮るが、わたしは丸の煮干しは好まないので薄めに刻んで少しの鶏肉と一緒に甘辛く煮る。食べ切らない分は刻んでおいて冷凍するが、実家のように納戸に古い二個目の冷蔵庫があるわけでもないのでごく少量だ。そもそも送られてくる量も両親の高齢化と竹林に猪が出没するせいで控えめである。

季節外れの筍の話をここまで長々書いたのは、今年の分の最後の残りをきんぴらにして食べ切ってしまったからだ。あとiPadで長文をタイピングする感覚をテストしたかったからである。やや風味の失われた筍のきんぴらを食べながら、伸びかけの夏草とガソリンの臭い、花の季節の中間に庭を探し歩いて摘んだくたびれかけのナデシコを供えた丸い墓石のことを思い出した。

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