AとC

實るようで枯れるのが常と

午後15時21分

4月26日、喫茶店『アリストテレス』にてノートパソコンを開き

文を綴っている。

ブラックコーヒーの入ったロココ調のカップを口元に運ぶ。

気づけば、アリストテレスに来て

かれこれ40分ほど経っている

体感速度は2時間くらいと言ったところか、

何一つアイデアもキーワードも思い浮かばない。

自宅は好きな物で溢れかえっている、

余所見をしない為に、嫌いなものに自ら飛び込んで来たという訳だ。

文を如何にかして書きたい訳ではないのだが。

気づけば長い事、他者の手で生成されたものに魅入ってしまって

自分自身がわからなくなっていた。

ふとそう思った、そして気づいたらここに来ていた、理由はそれだけ。

現在の自分を例えるならば、模倣の二文字に尽きる

映画、音楽、本、その他諸々の心理刺激型娯楽。

取り立てて趣味嗜好は自分の中で限定していない。

パンピーに避けられがちな、秋葉原系、俗にいうヲタクな趣味も

僕からしたら、すこぶる興味深い。

もっと深掘りしてしてしまえば、仮に音楽も、

『グランジ』

『クラシック』

正反対な方向性のものでも同じ熱量で魅力を見出だせる。

単刀直入に、簡潔に言ってしまえば、自我が無いのだ。

なんでも良いと思える事は素敵な事だと称賛する人間も少なく無い。

でも本当にそうだろうか?

全てが良く見えるという事は、

秀でて良いと思えるものが無く、価値すらわからないのだ。


つまり僕は俗にいう『ミーハー』なのだ。

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