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七つ離れたお姉ちゃん

北海道壮瞥町で猫のむにさんと暮らしている
前橋史子という人は、私にとって
たった一人の大好きなお姉ちゃん

七つも離れているから
小学校すら一緒に通ったことがない
ちゃんとした会話もないまま
大学進学をきっかけに上京してしまった
私が椎名林檎を好きになったのも
小学六年生で椎名林檎のライブに行けたのも
全部お姉ちゃんのおかげだった
フィギュアスケートを習い始めたのも
お姉ちゃんと一緒にいる時間が欲しいから
だったらしいと、母から聞いたことがある
どうしてもハンドボールをしたかったのだって
お姉ちゃんが高校時代
ハンドボール部だったからだし
私の人生のほとんどは、
お姉ちゃんの影響を受けている

高校受験に失敗し
私立高校に入学しても一週間で辞め
高校浪人塾に入塾しても精神的に病んで辞め
引きこもり生活が続いた数ヶ月後に
私は、当時お姉ちゃんが住んでいた
千葉県船橋市に行くことになった

総武線の下総中山駅が最寄りのアパートで
お姉ちゃんとの二人暮らしが始まった
私は十円まんじゅうのお店でアルバイトをした
お姉ちゃんは大学四年生で
次の春からは社会人になることが決まっている
私も春からのことを考えなければいけない
優先したいことといえば
ハンドボールがしたいということだった
ハンド部があって
今の状況でも入学できそうな高校を探した
そして、春から
千葉市にある私立高校への入学が決まった

お姉ちゃんが保護者として面倒を見てくれた
新入社員として大手企業に勤め始めたばかり
そんな大切な時期に
一日五食も食べる私の食事を準備してくれて
家事を全てこなしてくれた
私がしっかりできていたら良かったのに
お姉ちゃんがしっかりしてくれていて
それに完全に甘えてしまっていた

私が千葉に住み始めた時はもうすでに
お姉ちゃんのパートナーは前橋という人だった
マエハシ→カモノハシ→カモちゃん
という流れで、
私はその人のことをカモちゃんと呼んでいる
カモちゃんとは十年くらい交際したのち
結婚したらしい
結婚したことを聞いたのは
私が謎に拗ねている時期だった
確か大学を卒業して実家に住んでいた頃
迷惑かけるからお姉ちゃんに絶対連絡しない!
と、変なベクトルで暮らしていた時だった
だから「おめでとう」の言葉を
ちゃんと伝えることができなかった

話は戻り、私が高校生だった一年間を経て
状況は大きく変わった
私は千葉の高校を辞めて
高校卒業程度認定試験を受けることを決め
実家に戻って勉強することにした
そこに至るまでは色々あったのだけど
お姉ちゃんへの負担を大きくしまったことを
今でもとても申し訳なく思っている
お姉ちゃんは会社を辞め、
ニューヨークに留学することになった

お姉ちゃんのことを心から尊敬している
お姉ちゃんとカモちゃんの関係性のことも
心から、素敵だなと思っている
それはこないだちょうど、母とも話した
お姉ちゃんがニューヨークに留学した数年間も
二人は関係を繋げていたし
そして今現在姉は、単身で北海道に住んでいる
それでも姉夫婦の関係性は
私から見たらとても素敵なモノで
母は「あの二人の関係は理想的だな」
と言っていたし、私もそう思う

2022年4月7日はお姉ちゃんの
37歳のお誕生日だ
移住してからは会っていないけど
会うことだけが全てではない
お姉ちゃんは壮瞥町に住んで
壮瞥町の素晴らしさを伝える仕事をしている
それと、東京にいる時から続けている
珈琲とおやつの仕事も再開した
"ゆるりと"という屋号と共に
今の時代を、大切な仲間と一緒に生きている

お姉ちゃんには、ゆるりと暮らしていてほしい
お姉ちゃんに降りかかるストレスは全て
やさしくふわふわしたモノに変わってほしい
生まれた瞬間から、私は
お姉ちゃんのことが大好きだ
これからもずっと、大好きだ

お誕生日、おめでとう