見出し画像

新しいギターが欲しくなったときは

ネット通販サイトは人生に長大な暇つぶしを与えていると、私は思っている。暇だけをつぶしてくれるのならまだよいが、自分が本当にやりたいと思っていることを実行する時間すら、奪い去っていってしまうのだから罪深い。

確かに欲しいもののことをあれこれと考えている時間は蜜の味である。私の場合、それは楽器や音響機材であり、あの楽器ほしいなこの音源ほしいな等と思っている時間は、それなりに幸せなものである。

「自分のいま一番欲しいもの」が何なのか。これがわからないままのナマクラな精神でいると、通販サイトの写真を見たり、素人の書いた箸にも棒にもかからないレビュー記事を漁ったりすることに、長い時間を費やしてしまう。下手をするとその勢いのままうっかり買ってしまいそうにもなる。
曲がりなりにも楽器を演奏したり音楽を作る楽しさを知っている自覚があるため、そういった時間がいかに無駄であるかは日々痛感するのであるが、成長はしない。

欲しいもののことを考えている時間は幸せだといったが、なんなら買った後よりも買う前の方が心が満たされていたなんてことも有り得る。そんな時、もはや現実世界は必ずしも要らないような気すらしてくる。頭の中だけで幸せな風景が完結しているのなら、実物は不要なのだから。

たとえば頭に電極を張り付けて、脳からインターネットへ直接アクセス出来るようになれば、スマートフォンやパソコンを操作する手間が省けて良いのではないか。全てが仮想上の世界で、通販サイトを歩き回るのも自由。欲しいものを手に入れたつもりになって遊ぶ妄想に浸るのも自由。
遂には眼前に広がる景色が現実のものなのか、ネット空間中のものなのか、はたまた自分の作り出した妄想なのか判断付かなくなる。
妄想のなかでギターを弾く自分は、凄く巧い。思い通りの音を出している。とても幸せな気持ちだ。

...
妄想が楽しいのは確かだ。しかしどこか虚しい。妄想の先へ到達することが目的で楽器を始めたのではなかったか。頭の中で思い描いたことの向こう側にあるものを知りたいと思うからこそ、楽器を手に取るのではないか。

新しいギターが欲しくなったときは、まず部屋の隅に立て掛けてあるそのギターに触れ!という話でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?