同じ音楽をずっと聞いていて悪いか。

その音楽の何が良いのかわからない。
そんな風に思った経験は数え切れないほどある。


無人島の思考実験

昔何かの雑誌で目にした「無人島にレコードを10枚持っていくとしたらあなたは何を選ぶか」みたいな話。

無人島じゃレコード再生できないから無意味じゃんというのは置いといて。
無人島には絶対壊れないレコードプレーヤーがあるという前提で。


これを仮に本当に実行したとして、
うっかり他の人の選んだ10枚と間違えて手配されてしまい、自分にとって全く興味のない音楽を、無人島でひたすら聞き続けなければいけなくなったら、私は一体どうなってしまうのか。

魚釣りを始めるとか、砂絵を書き始めるとか、そういう新しい趣味に目覚める系の現象は無しとして。

無人島にはレコードを聴く以外何の面白みの欠片も存在しないという前提で(どういう無人島なのか)。


さて結論からいえば、無人島へ持っていった音楽がどういうものであれ、仮にそれしか聞く音楽が無い状況になれば、私はきっと聴くと思う。
聴いていけば次第に耳慣れて好きにもなっていくと思う。
そして一度好きになれば、自然と似たような音楽を好むようになるし、残りのレコードの中から、自ら積極的に聴きたい曲を探し求めたりするかもしれない。

つまるところどんな音楽でも聞き続けることさえできれば好きになる可能性が開くと私は考えている。


揺れる心

しかし無人島ではなく日本の街中で何不自由なく暮らす私は、よくその“聞き続けること”をサボる。
耳が慣れるまでつまらないからだ。そのつまらない時間に耐えるのが辛いからだ。

一つ好きなことが増えたら今よりももっと豊かで面白くなることはほぼ確実だ。
経験上それはよくわかっているのに、扉を開くのが億劫なのはただの面倒臭がりである。
そういう意味では、同じ音楽をずっと聞き続けることは悪であるようだ。

でもなぜだか、良い音楽は何度聞いても良いのだ。
繰り返し私を豊かな気持ちにさせてくれる。この幸せな時間を犠牲にしてまでも、目の前にある新しくて重たい扉を押し開ける努力が、私の人生に果たして必要だろうか。
同じ音楽をずっと聞き続けることは必ずしも悪いことではないのかもしれない。 

結局のところ私は、右から左へ、また左から右へ、振り子のように延々と揺れ続けるだけだ。

揺れながら考える。

一体この音楽の何が良いのか。



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