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14. あの鐘を鳴らして大爆笑

インターネットの普及時に大盛り上がりだったチャットは、ハンドルネームというチャット内の名前以外は匿名性の高いコミュニケーションツールで、実生活とは異なる人間関係の中で自らの光や闇を見出すには最適なものだったかもしれないと今更ながら思う。
「はじめまして。」だった人々といつしか阿吽の呼吸で会話が弾む時など
実生活では味わえない楽しさで満たされることもあった。

チャットあるあるとして、性別や世代、居住地域など答えられる範囲でお互いが答えるという暗黙のルールの中で、比較的積極的に聞かれるのが誰に似ていると言われるか?という質問で、顔が見えない分、なんとなくこんな人‥というイメージを持っている方が会話しやすいと感じる人が多かったのだろうけど、個人的には興味もなければ、むしろこの質問こそ過剰な妄想を駆り立てるだけで、そもそも、『俳優の〇〇に似ていると言われた』という自己申告が本当に似ている確率はいかに?と。更に、著名人の誰とも似ていなくて答えようがないわたしの場合、あまり食いついて欲しくない質問だったりもした。


相手にとって自分がどのように映ろうが、それは自分の預かり知らぬことということが分かってきた今となっては、誰に似てても似ていなくても構わないと思うようになり始めたとたん、イベントで出展していると「観音様に似てますよね。よく言われませんか?」なんて身に余ることを言われるようになった。

かっ、かんn‥‥‥‥

今の自分ならキッチリお礼を言った後に「でも、それはあなたの本質の姿なんですけどね。」とかサラリと言えちゃうのだけれど、当時は、恐縮という名の、畏れ多いという名の妙な汗で額や背中がジットリとしてくるのを覚えつつ、ひきつった笑顔でお礼を述べるのが精一杯だった。
とはいえ、チョット冷静になって、仮にチャットで「観音様に似てるって言われますー。」と答えたとしたら‥<ただいま想像中><ただいま想像中>
ん。 ヴァイヤーなヤツと思われてオチられるのがオチだったろう。
著名かもしれないけど観音様は、自己紹介には適材ではなさそうだ。
そういえば、この人生でもっとも似ていると言われる確率の高い、知る人ぞ知るな存在がいた!

Motner of Water

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もはや偶像でもないタロットカードの絵柄なれど、この<水の母>に似てると言われる確率はダントツかもしれない。
こちらも本人にとっては、恐縮しきりなことに変わりはないけれど、我が娘
にまで言われたことがあることを思えば、周囲の目にはどこかしらの共通点があるように映っているのかもしれない。
ま‥、それもまたわたしというよりは、そのように見える人側のモノだったりするのだけれど。

先日も愛してやまないクリスタルボウルヒーラーのmasumimosaさんからインスタを介して「似てるなぁと昨日思ってたの」と告げられたので、<水の母>が持つキーワードの中の『時として厭世的な傾向や受難を示す』という
ネガティブな面に共通点は見いだせるとレスポンスすると、
「でも、世界に優しい。 あの鐘を鳴らすのはアナター♪」と更なるレス。

この言葉が頭ではよく理解できないままハートに入ってきたので、しばらく
そのままにしていたら、先週、家事をしている際に突然これを思い出したので、<あの鐘>の音にアクセスしたら

飽ぁー きぃー たぁー
飽ぁー きぃー たぁー
飽ぁー きぃー たぁー

で大爆笑。
もうこれはnoteで取り上げなくちゃと思いつつ、アップのタイミングが遅くなってしまった。
わたしが創造主として存在している世界で今、飽ぁーきぃーたぁー が響き
渡っているのかと思うだけでワクワクすっぞ♪

薄々そうかなぁ?とは思っていたけど、この世界で創造押しの人口が圧倒的に多い中、やはり飽きるためにわたしは此処に居る氣がしてならない。
だからこそ、子供の頃から飽きっぽいことは悪いコトとして指摘を受け続けてきたのだろう。輪廻というサークルの中の羊で居させるために。
そんな自我を許せばきっとコンプリートなのだろう。そうであって欲しい。

良し悪しでも好き嫌いでもなく、飽きたというトコロに言語化できない何かがあると感じるこの頃。


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