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「昭和の職業婦人」松尾さんが語る母のエピソード

今日は、昨日に引き続き、松尾さんの投稿を読み上げたいと思います。

生涯毎日笑顔で一所懸命働くってすごいことだと思います。
母の教えを活かさなければ、ばちが当たります。
親の借金から学ぶ 母の自己破産について .父が亡くなる8ヶ月ほど前から、毎月母からお金を無心する電話がかかってくるようになりました。
当時僕は34歳で、まだサラリーマンをしていて、妻と1歳半の長男と暮らしていました。
僕は仙台、両親と祖母は秋田の田舎町。
そんな中で母に送金するのは正直大変でした。
「こうちゃん(僕の名前)、今月20万円足りないの」 「今月は60万円振り込んで」なんて感じで、 年始を挟んで毎月毎月足りない分を補っていたんです。
それが半年も続いて、いよいよ僕の貯金も 底をついたときに、父が亡くなったわけです。
それをきっかけに実家の家計が火の車だということを初めて知りました。
母は「昭和の職業婦人」の先駆けで、美容室と喫茶店を経営していたんですが、 時代の変化についていけなかったようです。
一時期は「こんなに儲かっていいのかしら」なんて時代もあったみたいですが、 バブル時代の記憶しかなくて、その後の経営の舵取りができなくなっていたんです。
数十年の間にライバルは増え、コンビニが進出し、専門店が現れ、大型店が町の様子を一変させていきました。
旧態依然とした経営では、うまくいかなくなるのは当然ですよね。
すでにセールスプロモーターとして働いていた僕は、母の現状を見て 「これはうちの町だけじゃなく、日本全国で起きている現象だ」 と感じました。
町の商店街にある薬屋さんや本屋さん、自転車屋さん、カバン屋さん、 ケーキ屋さん、そしてスーパーまでもがみんな疲弊していました。
家業を継いだ子供たちも、親のビジネスをそのまま引き継ぐだけで、打ち手に困っていました。
みんな頑張っているのに・・・ 僕は、街に後ろ髪を惹かれながらも、母と祖母を僕が住む仙台に移住させるために、 新しい家の建築に取り組みました。
タイミングを見計らって実家を売却し、そのお金を借金の返済に充てることにも成功しました。
でも、母が隠していた別の借金が発覚し、結局「もうお手上げ」という状況に。
最終的に母を自己破産させることになりました。
その頃に次男が生まれたりなど、破産成立までに1年半以上かかっていますが、自己破産したからといって母の尊さは変わりません。
懸命に頑張った母を尊敬しています。(一部省略)
結局、仙台での母との暮らしは20年も続きました。
その間、母は87歳で亡くなる「半年前」まで マクドナルドさんで週5日間も働くほど健脚だったんです。
亡くなる25年以上前に 乳がんを患ったにも関わらず 仙台に来てからも 温浴施設さん、お寿司屋さん、焼肉屋さん、そしてマクドナルドさんとよく働く人でした。
そして「笑顔」が素敵です。
不平不満も言わず、 いつも微笑みを絶やさない。
生涯毎日笑顔で一所懸命働くって すごいことだと思います。

この投稿を書かれた松尾さんを、今週9月5日(木)に東京にお迎えして、講座と交流会を開催します。

ぜひ、松尾さんのお話を直接聞きにいらっしゃいませんか?

今日もお聞きくださり、ありがとうございました。

見込み客の感情スイッチ入れ方実践講座と交流会


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