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Still Love Him

「柳井さんへの気持ちは今も続いているんですか?」

この質問、まるで別れた人に恋情がまだあるかどうか聞いているみたいで、ちょっと笑った。むろん、本当はそういう話では全然ない。「柳井さん」とは、ユニクロの柳井正会長のことだ。質問は、ルポライターの横田増生さんに、ライター/編集者の朝山実さんが話を聞く公開インタビューの一幕。

横田さんはアマゾン、ユニクロ、「トランプ信者」などへの潜入取材で名をはせた人だ。ユニクロは取材を終えて本が出て(『ユニクロ帝国の光と影』『ユニクロ潜入一年』)もう7年経つけど、昨日行われたこの公開インタビューでも柳井さんのことを嬉々として語っておられた。朝山さんが「今も?」と聞きたくなるのもむべなるかな。

横田さんがなんと答えたか、昨日のことなのに記憶にない。朝山さんは「横田さんって柳井さんのこと実は好きなんですか?」とも聞いていて、その質問には横田さん、「それよく聞かれるんですよ~」と言っていた。

朝山さんがノンフィクションの書き手に2時間ほど話を聞く「インタビュー田原町」シリーズも第13弾。会場のReadin' Writin' BOOK STOREさんへ行ったり、配信を見たり、朝山さんの手になるレポート記事を読んだりして楽しませてもらっているけど、どの回も何かしら「もっとも○○」という鮮烈な印象が残る。もっとも朗らかな回、もっとも底が知れなかった回、もっとも文学な回など。

今回は、もっとも笑った回だ。

横田さんって、人と人との会話を再現したり、あるいは複数の人の主張が行き来するのを会話調にして表現したりするのがすごく上手で、落語を聞いているみたいなのだ。横田さんが名調子でパッパカ話すことに、朝山さんが適宜確認を入れたりするやりとりも、お二人とも関西ルーツだからか(朝山さんは兵庫出身、横田さんは福岡生まれで関学を出ている)漫才みたい。

横田さん「それでこんなことになっちゃったから、『ごめんね』って」
朝山さん「『ごめんね』は誰が誰に言ったんですか?」
横田さん「僕が、心の中で」

言ってないんかい!というツッコミが入る漫才、15年ぐらい前に流行ってた気がする。コンビ名が思い出せない。

この日は、横田さんの著書の中から、主に『潜入取材、全手法』『中学受験』『評伝 ナンシー関』『「トランプ信者」潜入一年』にフォーカスしたインタビューだったけど、「『中学受験』じゃなく『中学受験の光と影』ってタイトルにしていたらもう少し売れたかも」とか、横田さんがとぼけたことをたくさん言うので、この人は凄腕の潜入取材者なんだということをやすやすと忘れかける。ドラマに出てくる公安警察の人とか、昔は見るからに怖かったけど最近こういう感じだ。

横田さんの話で、たわいないのに、なんだか忘れがたい話を三つメモしておく。

ひとつめ。横田さんはとある名門中学の合格発表の現場で、不合格で泣いて落ち込む12歳の少年を目撃したそうで、「こんなことで人生決まらんぜ」と声をかけたくなったと言っていた。直後に「でもそんなこと見知らぬオッサンが言ったら変質者だからね」と笑い話にしてみせる。

ふたつめ。ユニクロ潜入中、社内報みたいなやつが従業員控室に貼りだされると、そこに載っている柳井さんの言葉を盗撮用メガネ型デバイスで撮影していたそう。秋葉原で買ったその中国製盗撮メガネの使い方を、5000円の品なのに買った店に何度も聞きに行って嫌がられたと言っていた。当時の秋葉原には盗撮グッズ屋さんが2軒あったそうな。ソニーかアップルが作ってくれたら苦労はないのに、とまた冗談を言っていた。このメガネのくだりでは実物を装着しながら話していて、観客の多くが写真を撮っていた。今のところ、どこのSNSでも見かけない。

みっつめ。ナンシー関さんのちょっとしたことで裏取りをしていたら、その片方の当事者である出版社の社長から電話がかかってきて、相槌をずっとハイ、ハイと打っていて途中でうっかりウンと言ったら、途端に激怒されたということだった。わたしもたまにハイに飽きてウンと言ってしまうので、気を付けたい。

朝山さんはナンシーさんに取材したことがあるそうで、消しゴムをもらったと言っていた。それを言い出すタイミングが結構後半なところが朝山さん。

関連本はいつものようにReadin' Writin'さんで当日買って、『潜入取材、全手法』のまだ第1章を読んでいる。わたしは日々かなりの本を積読しているけれど、インタビュー田原町にちなんで買った本はみんな読了するので、これもそのうちすると思う。

金井真紀さんの『テヘランのすてきな女』も面白かった。好きなインタビュイーも好きなエピソードも好きなイラストも好きな言葉もたくさんあった。どこだったか擬態語(?)で「わっせわっせ」というのが出てきて、これも好きだった。

わたしは転居の少ない人生で、生まれてから高校を出るまで坂道だらけのニュータウンの一軒家に住んでいて、小さい頃は引っ越しというものが理解できず、家を丸ごと大きな袋に詰めてわっせわっせと運ぶと思っていたし言っていた。それより小さい頃に岸和田のだんじりを見に連れて行ってもらったので、それが何か影響しているかもしれない。

この前、出張ついでに帰省したら、父の使っていたパソコンに、このようなわたしのタワゴト集が残っていて恥ずかしかった。恥ずかしいのは珍言ではなく、“うちの子は面白いこと言うなあ”という親バカぶりでもなく、そのファイルに迷ゼリフがちょっとしか貯まっていなかったことだ。子どもの頃から平々凡々でやらせてもらってます。

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