見出し画像

Mozart! 観戦記①

前書き


2024.8.25 17:45 幕が開いた

私にとって初めての「モーツァルト!」観劇の機会がやってきました。
今回は、前評判から観劇レポ、雑誌記事……と、ありとあらゆる情報を手当たり次第に摂取してから観劇に臨みました。
史実に基づく作品である以上、ある程度の筋書きはわかっているわけだし、ネタバレ上等、という考えです。
(この文章もまた、そういう方に向けて書くものなので、もしネタバレはちょっと……という方は観劇後にご覧ください)

そして、そんな前情報などこれっぽっちも役に立たない(いや、手拍子のタイミングはもしかしたら役に立ったかも? 知らなくても問題ない程度には客席は出来上がっていたけれど)観劇体験をしたので、それをここに綴ろうと思います。それは、タイトルにもある通り「観戦」でした。
私が目撃した戦いを記すことがこのnoteの目的です。

したがって、これは私個人が観劇を通じて何を想起したか、の記録であり、読む人によっては荒唐無稽なものであることを初めにお断りしておきます。

まずは今回のキャスト

今回のダブル/トリプルキャスト

ヴォルフガングは古川雄大くん
アマデは葉奈ちゃん
男爵夫人は「タータン」さんこと香寿たつきさん

全体的に安定感のあるキャスティングだと思います。
他のキャストでは、コンスタンツェの真彩希帆さん、シカネーダーの遠山祐介さん、セシリアの未来優希さんが特に印象に残っています。
詳細については後の項目に譲るとして……。

天才が天才を描いた作品

ギフテッド(あるいはカースド?)

作品について、極めて私的な感想を語ろうとしているので、自分のことを簡単に紹介させてもらおうと思います。自虐を込めて端的に言えば……

私が俗に言う天才です

Ado 『うっせぇわ』

あ、この人嫌な人だ、と思った人。
そうかもしれないけど、たぶんそうでもないので、もうちょっとお付き合いください。

世の中には「浮きこぼれ」という言葉があります。
「落ちこぼれ」の対義語ですが、作用としてはさして変わりません。
生まれつき人と同じように行動できない、というのは極めて不便です。
一般的にギフテッドと呼ばれるのはIQ130を超える人たちですが、
私もこの範疇に入ります。

WAISという一般的なIQ検査では141
GAIAという言語特化のハイレンジIQテストでは162

「IQが20違うと会話が成立しない」という俗説がありますが、それが真実なら、私の場合世の中の90%とは会話が成立しないことになります。辛い……

できること、得意なことには秀でていても「普通にする」ことはできません。その意味ではGifted(贈り物をもらった人)ではなくCursed(呪いを受けた人)であると思っています。

幸い、私の場合は母親もこのタイプの人間だったので、多くのギフテッドに比べると幸せな人生を送ってきましたが、周囲との断絶はしばしば起こります。それは避けられないことなので、「私は変人なのです!」と主張し、そういうポジションを築くことで乗り切っています。

日本語で「天才」というと、英語のGeniusという言葉が対応すると思われますが、今回私が焦点を当てたい「天才」はProdigy、つまり子供のころに並外れた能力を示すタイプの「天才」です。

1幕を見て最初の感想は「この脚本を書いたミヒャエル・クンツェは同類だぞ」というものでした。
その場で検索して、公式サイトの来歴を履修しました。

ミヒャエル・クンツェとは何者なのか

お時間がある方(かつ英語にアレルギーのない方)は上記リンク先にも目を通していただきたいのですが、掻い摘んで若き日のミヒャエルを説明すると、記者と女優の息子として生まれた彼は、8歳で新聞を発行(のちに100人ほどの読者を持つミニコミ誌的なものに発展)、中学生ぐらいから、チャック・ベリー、エルヴィス・プレスリー、さらにはボブ・ディランに傾倒して音楽の道に足を踏み入れ、学生時代にはウィトゲンシュタインに触れ、法学の博士号を持ちながら社会学や歴史に強い興味を抱いて育った、と書かれています。

ゴッリゴリのインテリであるにも関わらず、大衆娯楽への興味を抱いていた彼は、学生時代に作詞家としてデビュー、プロデューサーとしても成功をおさめ、音楽業界で輝かしい業績を打ち立てています。

ゴールド&プラチナレコード(25万枚以上売り上げた楽曲):79
グラミー賞: 1回(ドイツ人として初の受賞)
総売り上げ枚数: 5,400万枚以上

Facts about Michael Kunze's work — Michael Kunze

さらには小説『火刑台への道』(原題:Straße in Feuer)を発表すれば国際的なベストセラーに。
あの『オペラ座の怪人』や『キャッツ』でお馴染みのアンドリュー・ロイド=ウェバーから、ミュージカル『エヴィータ』のドイツ語訳を依頼され、見事に成功させると、その際にディレクターを務めたハロルド・プリンス(『ウエストサイド・ストーリー』や『屋根の上のバイオリン弾き』などでトニー賞21冠)に気に入られ、NYに招かれて、スティーブン・ソンドハイム(『ジーザス・クライスト・スーパースター』など)、ストーリーテリングの神様であるロバート・マッキーなどにより、劇作家としての薫陶を受けることになります。

豪華すぎるメンバーで、胸焼けしてくるね……。

ともあれ、クンツェが様々な分野を横断した天才であることは、この実績からも明らかであると考えます。
彼がギフトと同時に受けた呪いについては文献に乏しいのですが、最新作の『ベートーヴェン』がウィーンでは受け入れられず、韓国や日本で上演されている経緯などを見ると、やはり何かしらの周囲との軋轢があると思われます。クンツェに関する何かしらの参考文献をご存じの方は是非コメントしてください。英語か日本語かフランス語が嬉しいです。
ドイツ語は門外漢だけど頑張る気だけはあります。

ミュージカル「モーツァルト!」

第1幕:いい加減芝居の話をしよう

「幕が開いた」と書いてからだいぶ寄り道をしましたが、この作品の強さを書くには、どうしてもこの前置きが必要だったのでお許しください。
(以降、記憶とパンフレットを頼りに書くので、何かしらの誤りがありましたらご指摘頂けると助かります)

プロローグ/聖マルクス墓地

ここのシーンの登場人物は3人。
コンスタンツェ(モーツァルトの死後、再婚している)
メスマー博士(脳みそ愛好家。モーツァルトオタク)
墓掘り人?

映画『アマデウス』を観た人ならピンとくるでしょうが、モーツァルトの墓については、その所在が不明となっています。
必ずしも「遺体が簡素な麻袋に納められ、共同墓地に無造作に捨てられた」という部分が真実であるとは限りません。
というのも、モーツァルトの頭蓋骨とされるものが、ザルツブルクのモーツァルテウム博物館に保管されているのです。
これが本人の頭蓋骨であるという断定は(偽物だという断定も)なされていませんが、クンツェは間違いなくこのエピソードを念頭にこのシーンを練り上げたのでしょう。

このシーンに出てくるメスマー(メスメル)博士は、史実でも曰くつきの人物です。
動物磁気説を唱え、催眠療法などの怪しげな治療を行い、一時は最先端の医療を生み出した人物として多数の患者を抱えてもてはやされますが、最後には追放処分を受けてしまいます。
クイズ知識としては「催眠をかける」「強烈に人を惹きつける」という意味のエポニム(人名由来の単語)「mesmerise」に繋がります。

彼は幼き日のモーツァルトのパトロンの一人でした。
1790年に初演されたモーツァルトの『コジ・ファン・トゥッテ』(Così fan tutte)というオペラ・ブッファ(大衆向けオペラ)の1幕には巨大な磁気装置を使う医者が登場しますが、これは間違いなくメスマーへのトリビュートです。
モーツァルトが亡くなったのはその翌年のことですから、最晩年(享年35歳ということを考えれば)の作品に登場させてもらったことを知った彼は、まさにmesmeriseされたことでしょう。

このシーンの背景についてはこれぐらいにしておきましょう。
コンスタンツェについてはまた別のシーンで詳述します。

第1場/メスマー邸

1768年5月のメスマー邸でのシーンです。
歴史に造詣の深いクンツェのことです。
当時のサロン文化を切り取ったシーンにしたいと考えたのでしょう。
であるならば、1762年彼が6歳の時にシェーンブルン宮殿で、
時の神聖ローマ皇后マリア・テレジアと皇女マリア・アントニア
(のちにフランスに嫁いでマリー・アントワネットと呼ばれることになる)
の御前で演奏を披露したという輝かしい瞬間でも良かったはずです。

幼き日のモーツァルトとマリーアントワネット

しかし、クンツェが選んだのはメスマーという成金(彼は裕福な男爵未亡人と結婚した)の家での見世物のような演奏会でした。

本来なら、このシーンのアマデウスは12歳です。
しかし、アマデウスを演じる3人の子役は全員小学1年生。
それこそ、ウィーン随一の権力者の元でチヤホヤされていた頃の年齢の子供たちです。これは(少なくとも日本の小池版では)意図的なものだと思います。

つまり、年齢的には「神童」として最も輝いていた時期のモーツァルト。
実際に描いているのは年齢が上がり天才ぶりに翳りが見えてきたころのモーツァルト、ということになります。

このシーンでのマリア・アンナ(ナンネール)は17歳。
すでに大人です。
5歳年上のナンネールも幼いころから演奏旅行に出かける天才少女でした。
史実のモーツァルトは、ナンネールのために連弾曲を書き、
世間の重圧により女性であるがために演奏家としての道を閉ざされようとするのに抗うかのようだった、という説もあります。

連弾するモーツァルトとナンネール

本来ならば、モーツァルトと共に天才と称されるべきだったナンネール。
けれども、彼女は弟を引き立てるような立ち位置に甘んじています。
そして、彼女は生涯を通じて「じゃない方のモーツァルト」を生きるのです。

おそらくは、クンツェは彼女を悲劇的に描きすぎないために、そうした背景を排除して、自らも音楽の才能を持つがゆえに弟の成功を信じる優しい姉として描いているのだと思うのですが、この背景知識は後のシーンのために言及しておきたかったです。

さて、ここのシーンで重要なアイテムが登場します。
そう、あの「謎の小箱」です。
びっくりするくらい説明のないままに、アマデが見つけ、
ヴァルトシュテッテン男爵夫人がアマデの所有権を認めた箱。
音楽の才能が詰まったパンドラの箱のようなそれは、ひとたび開けば
さまざまな旋律が飛び出す才能の源泉。

モーツァルトが生涯にどれほどの曲を書いたのか、ご存じですか?
彼の作品をカタログ化したケッヘル目録では626番まで採番されています。その後の研究で、モーツァルトの手による楽曲ではなかったとされているものもある一方で、つい最近も未発表曲の楽譜が見つかりましたね。

諸々の増減を踏まえても、600〜700曲は妥当な数字だと思います。
もちろん小品から500ページ越えの大作まで内容は様々ですが、
5歳から35歳までの30年間、毎年平均20曲を作った計算になるわけです。
(そりゃふざけ半分の曲だって作るよね)

サリエリならずとも、当時の人たちは何か秘密があるに違いない、と
思ったでしょう。
それを象徴するのがあの箱であり、アマデなのです。

どのシーンでも、弛まず羽ペンを動かし続けているアマデ。
ともすれば「ヴォルフガングの別人格」という演劇的表現に見える彼は、実体を持ち、作曲を続けるモーツァルト自身なのでしょう。
ミュージカルの舞台には、凋落していく一方の「ヴォルフガング」と共にしっかり働いて結果を残す「ヴォルフガング」もいたわけです。

けれども、周囲の人の目に映るのはヴォルフガングだけ。
「神童」である彼を見続けていたのは、悲しいことに宿敵ともいえる
コロレド大司教だけだったのかもしれません。
彼についてもまた、後ほど詳述したいと思います。

話をシーンに戻して、ここで注目したいのはモーツァルトの父、
レオポルトの幸せそうな様子です。
彼はこの瞬間、本当に幸せだったのでしょう。
一生を、その幸せの再来を夢見て過ごすことに費やしてしまうほどに。

このシーンでは確かに「教えてもいないのに」という言葉が飛び出します。
それなのに、以後の彼は「自分が天才を作り出した」という考えに
取り憑かれてしまったかのように見えるのです。

そして、それはこの作品に密やかに込められた(と私が感じた)
テーマ「天才は作れるのか」という命題にも繋がっていきます。
レオポルト・モーツァルトが作曲した「ナンネールのための楽譜帖」は今に伝わっています。
彼もまた、ザルツブルクの宮廷作曲家という職を拝命し、
さらには宮廷副楽長という地位にも就いていた音楽の秀才だったのです。
幼いモーツァルトが音楽の才能を発揮する上で、レオポルトの
この秀才は必要なものだったと言えます。
しかし、成長したモーツァルトの才能に蓋をしようとしてしまったのもまた秀才が故だったのではないでしょうか。

第2場/ザルツブルクの家

前のシーンから9年が経過し、1777年。
青年となったモーツァルトが初めて「ヴォルフガング」として登場します。
子供の頃に来ていたような赤いコートを仕立てた、と
無邪気な様子でナンネールに自慢するヴォルフガングですが、
その資金はギャンブルで当てたもの。
既に立派なダメ男に成長してしまっています。
現代の感覚で言えばそれほど幼くも感じませんが、お堅い父親の目にはなんとも恥ずかしい息子と映ったことでしょう。

M5「赤いコート」の中でナンネールが、金の刺繡を施された服は
貴族にしか許されないものだ、と説明してくれています。
ヴォルフガングは、この服を見たら父親がまた演奏旅行に行こうと
言い出してくれるのではないか、と夢見ています。
ナンネールも同調しているので、決して突飛な考えではなかったはずです。

しかし、途中から登場したレオポルトは彼を𠮟りつけ、
コロレドに依頼された仕事を催促し、コートを取り上げます。

そう。コロレドこそが、レオポルトが厳格な父親に変貌した原因
だったのではないでしょうか。
パンフレットにも記述がありますが、演奏旅行に出かけた当時の
ザルツブルク大司教はシュラッテンバッハという人物でした。
ところが、1771年に彼が逝去し、翌年その後釜に据えられたのが
ヒエロニュムス・フォン・コロレドだったのです。

モーツァルト父子は、彼によって職を与えられ、生活をしていました。
コロラドは、モーツァルトがその才能を自分のために使うことを願い、
レオポルトは、それに従うことがモーツァルトにとっての幸せだと
判断していました。
しかし、モーツァルトはザルツブルクのような田舎町にはない、
華やかな社交界を幼くして体験してしまっていたために、
一生をつまらない曲を書くことに捧げることなどできない、という
想いを強くしていったのでしょう。

家父長制が当たり前であった当時の常識からすれば、レオポルトは
父としての務めを果たしていたに過ぎません。
けれども、その姿勢がナンネールの才能の芽を摘み、
劇中のヴォルフガングが鬱憤を募らせる原因となっていたわけです。

赤いコートを手放したヴォルフガングが歌い上げるのが、
このミュージカル屈指の名曲 M6「僕こそ音楽(ミュージック)」。
一度聴いたら耳に残る旋律に乗せて、ヴォルフガングは
自分にできないあれやこれやを連ねた末の「Ich bin Muzik」です。

小池先生が訳された日本語版の歌詞も素晴らしいのですが、
やはり原典に当たりたいというのが私という職業翻訳者の性……
というわけで、ドイツ語版の歌詞を探してみました。

Was er auch sagt
Du weißt, was du willst und kannst
Durch dich werd' ich frei sein
Wir tun nur, was uns gefällt
Du und ich
Haben vor nichts und niemand Angst
Uns kann die Pflicht einerlei sein
Wir verzaubern die Welt

Ich überwinde jede Macht
Selbst wenn es schwer wird
Ich gewinn
Ich weiß, wohin
Mein Genie will
Dass ich unabhängig bin

Die Wunder kommen wieder
Jedenfalls für mich
Ich fang erst richtig an
Weil ich es einfach in mir hab
Die Kraft, die mir der Himmel gab
Trägt mich auf Flügeln
Für mich gilt nie und nirgends
Was für alle and'ren gilt
In mir ist etwas
Was die ganze Welt in Sehnsucht hüllt
Ich bin, ich bin Musik

Und ohne sie
Wär mein Leben ein Irrtum
Ich bin kein Dichter
Poetisch reden kann ich nicht
Ich sag einfach, wie mir zumut ist
Was mich bewegt, das lass ich raus

Ich bin auch kein Maler
Der mit Farben Schatten wirft und Licht
Bis sein Bild wirklich gut ist
Ich mal nur meine Hoffnung mit Träumen aus
Ich bin kein Schauspieler
Ich kann mich nicht verstellen
Mir sieht man immer gleich an
Wie es aussieht in mir drin

Und so kann ich nur hoffen
Dass mich jeder einfach so nimmt
Wie ich bin

Ich bin Dur und ich bin Moll
Ich bin Akkord und ich bin Melodie
Jeder Ton ein Wort
Und jeder Klang ein Satz
Mit dem ich sage, was ich fühle

Ich bin Takt und Pause
Dissonanz und Harmonie
Ich bin Forte und Piano
Tanz und Phantasie
Ich bin, ich bin Musik

Nacht und Licht und Wolf und Schaf
Und Blitz und Sinfonie
Klug und dumm und geil und brav
Ein Mensch und ein Genie
Ich bin, ich bin Musik

Und ich hoff, dass man mich so liebt
Wie ich bin

Mozart! Das Musical – Ich bin, ich bin Musik songtext | Plyric

これを原文に忠実に訳してみると、大体以下のような意味になります。
(残念ながら、ドイツ語は不得意なので、一旦単語単位で確認しつつ英語に翻訳したものを和訳しています)

彼に何と言われようと
君は自分が何を望み
何ができるかは知っている
君を通して僕は自由になる
好きなことしかしない
君と僕は
何も恐れないし 誰も恐れない
義務なんて気にしない
僕たちは世界を魅了する

あらゆる力に屈しない
困難な状況でも
僕は勝利する
僕はどこへ行くべきかを知っている
僕の才能は
僕の自立を望んでいる

奇跡はまた巡ってくる
少なくとも僕にとっては
まだ始まったばかりだ
僕にはあるんだ
天が与えてくれた力が
翼が僕を運んでくれる
僕には当てはまらない
他のみんなにとっての普通ってやつが
僕の中にはある
全世界が憧れるような
僕は 僕は音楽だ

それがなければ
僕の人生は失敗でしかない
僕は詩人じゃない
詩的に語ることなんてできない
感じたことを口にするだけ
僕を動かすものを 解放するだけ

僕は画家でもない
色彩で影と光を描き出さない
絵が完成するまで筆を振るわない
僕が描くのは夢を画材にした希望だけ
僕は俳優じゃない
演技はできない
僕を見ればわかるはずなんだ
僕の中に何があるのか

だから僕はただ願うんだ
誰もが僕をそのまま受け止めてくれること
ありのままの僕を

僕は長調で短調だ
僕は伴奏でメロディーだ
ひとつひとつの音が言葉で
ひとつひとつの旋律が文章だ
音と旋律で 僕は感じたことを伝える

僕は拍子で休符だ
不協和音で協和音だ
僕はフォルテでピアノだ
ダンスとファンタジー
僕は 僕は音楽だ

夜と光 狼と羊
そして稲妻と交響曲
利口で愚かで 淫らで善良
人間で天才
僕は 僕は音楽だ

そして人々に愛されたい
ありのままの自分で

独英翻訳は deepl.com による

どうでしょうか。
小池訳とはまた少し違った雰囲気を感じるのではないでしょうか。
正直、これが歌詞だったら、あそこまでの名曲とは感じない気がするので小池訳は素晴らしいと思いますが、
同時にロスト イン トランスレーションも発生していますね。

途中からの畳みかけるような対比(長調と短調、伴奏とメロディー)には、Meredith Brooksという歌手のBitchという歌を想起させられます。
(完全に脱線ですが、名曲なので公式MVを貼っておきます)

ともあれ「Ich bin Muzik」に歌われているのは、彼の中には二律的な要素が両方とも存在しているという主張です。
そして、それは音楽というものの本質でもあるのです。
音楽に善悪はありません(良し悪しはあるかもしれませんが)。
ヴォルフガングは、善も悪も超越したところに自分を置いているのです。

「みんなにとっての普通」が当てはまらない、というのは、
ギフテッドの性質そのものだと私は感じました。
(というか、訳してみてはっきりと書かれていることに驚愕しました)

小池訳には、タロットの0番「愚者」を思わせるフレーズがあります。
「行く先は知らない 僕が誰かさえ知らない」
これは、小池先生が演出家として解釈したヴォルフガングなのでしょう。

しかし、原典のヴォルフガングはこれとは異なります。
音楽に導かれるまま進むべき道は「独立独歩」であると歌っているのです。

それを踏まえたうえで、それでも私は日本版の「モーツァルト!」は
素晴らしいアダプテーションであると感じます。
英語版の解釈、韓国語版の解釈にも手を伸ばしたいところですが、
まだ第2場であるにもかかわらず1万字に迫っていることを考えると
この辺りで切り上げて先に進むべきでしょうね。

少しペースを上げるべきだと考え始めていますが、かといって
記憶が鮮明なうちに書いておくべきことは沢山あります。
重要な登場人物については深掘りもさせてください。
気分はさながら「これ以上複雑さを排しては書けないよ!」と宣う
ヴォルフガングの如し……。
全文を読み切ってくださる誰かのために、あるいは自分のために。

第3場/コロレド大司教の城の大広間

さて、舞台はたくさんの召使を抱えた大司教のレジデンツです。
日本はあまりキリスト教の力が強くないので、大司教と聞いても
どれほど偉いのかピンと来ないかもしれませんが、
少なくとも、当時のザルツブルクにおけるコロレドは、王にも等しい
存在であったと捉えて間違いないでしょう。

コロレドは伯爵家に生まれたものの、あまり体が強くなかったために
軍人としての道を選べず、哲学と神学を学び、グルクの司教職を経て
モーツァルトの故郷であるザルツブルクにやってきた人でした。
ハプスブルク家のヨーゼフ2世(マリア・テレジアの息子)の
啓蒙専制君主制に倣う形での統治を目指したそうです(調べた)。
権力を持った聖職者というものは、得てして道を踏み外しますが、
史実の彼は官僚的な人柄故に周囲の人物からは疎まれたものの
脳みそを蒐集するようなエキセントリックな人では
なかったのではないかと思います。

そんな彼の初登場シーンが、M7「何処だ、モーツァルト」です。
召使たちがあわただしく準備をする中、なかなか姿を見せない
ヴォルフガングにしびれを切らすアルコ伯爵とコロレド大司教。
「謙虚さと勤勉さと規律」を重んじる大司教は、
傲岸で不真面目で自由を愛するモーツァルトと相容れず
自分を怒らせたなら、才能などあっても無駄だ、とばかりに
宮廷から追い出してしまう。

この時にヴォルフガングが高らかに宣言するのが、
「音楽なら僕は貴族と同等だ。あなたの僕じゃない」という
実にリベラルな思想です。
しかし、この時代において、そんな考えは通用しません。

コロレドから謝罪を要求されても屈せず、
父レオポルトの言いつけも無視する姿勢は、
まさにIch bin Muzikの歌詞の通り。

ここが契機となり、劇中では母と共に演奏旅行へと出かけることに。

第4場/ザルツブルクの小路

宮廷を追い出されたモーツァルト父子が互いに対する愛を歌う
M9「私ほどお前を愛する者はいない」のシーンです。
クビを宣告されたというのに、ヴォルフガングはケロッとして
「解放された」「僕は都会に出る」「才能があるから大丈夫」と
喜びにあふれています。
一方で、レオポルトは「靴ひもも一人では結べないくせに」と
それを否定し、自分の立場も危ういと彼を責めます。
自分の立場に言及しているためにわかりづらいのですが、
彼には大司教が手を回して成功を阻むだろうという思いがあり
失敗をすることがわかっていて送り出すことはできない、という
親心もあるのです。

このシーン、客席ではレオポルトに感情移入する人も
多いのではないかと思います。
才能だけがあれば生きていけるほど、世の中は甘くありません。

ヴォルフガングは父に耳を貸しませんが、彼には彼なりの
家を離れる理由があります。
ザルツブルクで言われるがままの曲を書いていては
とても生み出すことができない名曲たちが彼の中には
山ほど貯まってしまっているため、それを外に出さねば
爆発してしまいそうなのでしょう。

そして、彼が書きたい装飾たっぷりの楽曲が受け入れられるのは
ザルツブルクのような田舎町ではなく、華やかな都会なのです。
ちゃんとお金を稼ぐことができれば、
レオポルトもコロレドにこびへつらう必要はなくなり、
ナンネールも音楽活動をできるかもしれません。
そう、正しく評価されさえすれば、王侯貴族から
沢山の金品が捧げられるはずなのです。
子供の頃と同じように……

お互いに相手を愛する気持ちはあるのに、まるで嚙み合わない
そんな歯がゆい父子関係が切ないナンバーです。

古川ヴォルフは笑顔なのに、市川レオポルトは苦しそうで、
表情だけを見ていても、全然違うものを見ていることが
浮き彫りになっているかのようでした。

第5場/野菜市場

一般市民がヴォルフガングに向ける冷ややかな視線と
何を言われても動じずに弟の才能を信じるナンネール。
そして、腰巾着を絵にかいたようなアルコ伯爵。

ナンネールは「クビになったって本当?」と聞かれれば
「弟から言い出したことよ」と答え、
「マンハイムの王様に気に入られた」と言っています。

この当時のマンハイムの統治者について調べてみると、
選帝侯カール・テオドールという音楽愛好家でした。
当時のヨーロッパには、マンハイムの宮廷楽団の名が知られており
楽団員が高給取りであることが知られていたそうなので、
ナンネールが「雇われれば貴族と同じような生活」と歌うのも納得です。

ところが、史実のモーツァルトがマンハイムに滞在したのは
1777年11月から半年ほどだったようです。
1777年12月末にバイエルン選帝侯マクシミリアン・ヨーゼフ3世が
亡くなったことで、取り決めによりカール・テオドールが
バイエルン選帝侯を兼ねることになり、マンハイム宮廷を移したのと
無縁ではなかったと思われます。

マンハイム滞在は、モーツァルトの作風にマンハイム楽派の影響を
もたらしました。さらに、この地では他にも出会いが……。

第6場/ウェーバー家の居間

それが、ウェーバー家。
登場した瞬間から品のなさが尋常じゃない。
M12「マトモな家庭」では、肝っ玉母さん感溢れるセシリア役
未来優希さんが、「貧乏 どん底 救いの彼氏を待っている」と
歌い、ウェーバー家の4姉妹を紹介するのですが、
「歌手」の長女アロイズィアはいいとしても、残りの3人は
「怠け者(コンスタンツェ)」「不細工」「頭が悪い」と
散々な言われようです(言い回しは少し違ったかも)。

モーツァルトはここで、あっさりとアロイズィアに惚れ、
金づるとしてウェーバー家に寄生される生活が始まります。

史実のモーツァルトは、無邪気にも才能ある歌手と出会った、と
父に手紙を送っていますが、母は彼のためにならない人たち、と
レオポルトに伝えています。

結局、父からのマンハイムで職が見つからないのならパリへ行け、
という言葉に促されるようにしてモーツァルトはアロイズィアと離れ
パリに向かうことになるのですが、もし上述したように
バイエルン選帝侯が亡くなったタイミングと重なっていなければ
マンハイムの楽団に所属してアロイズィアと結婚する未来が
あったのかもしれませんね。

このシーン、私の記憶では、アマデが家そのものに寄り付こうと
しなかったのですが、何せ1回観たきりなので自信はありません。

第7幕/ザルツブルクのタンツマイスターハウス

ウィーンに残ったレオポルトが歌うM13「心を鉄に閉じ込めて」の
シーンです。私が最初に泣いたのはここ。

ここでもレオポルトは息子を子供扱いしていますが、
少しだけ子離れしたのでしょうか。
自らが守ってやらねば、という思いの代わりに与える
息子のナイーブな心を守るためのアドバイスが、
「心を鉄に閉じ込める」のなのです。

しかし、ここでもレオポルトは自我を覗かせています。
「私には運命が味方をしなかった」と歌い、
自分には果たせなかった成功を代わりに収めてほしいと
言わんばかりです。

完全にヴォルフガングに感情移入している私はそこが歯がゆく
父の愛を感じるからこそ辛くなりました。
彼が愛しているのは、生身のヴォルフガングではなく、
今でも遠い日に存在していたアマデなのです。
息子の才能を理解しているように見えるのに、
自分の才能と同質のものだと誤解してしまっているのです。

レオポルトは、モーツァルトが作った楽曲を聴いていたのでしょうか。
モーツァルトが感じたものを、音楽を通じて理解していたのでしょうか。
劇中のレオポルトはそうではありませんでしたが、
せめて史実のレオポルトがそれを感じていたならば、と思います。

人が人を理解しようとするとき、お互いの最大公約数的な部分しか
わかり合えないと思っています。
自分の中に多くのものを持っていればいるほど、相手を理解できる
代わりに自分の理解されない部分が大きくなる気がします。
自分の中にない感情や思考は理解できないのが当然だな、と。
映画や小説や音楽などで追体験することで自分の中身は
増やしていけると思うのですが、モーツァルトは恐らく、
世の中の色々を学ばなくても自分の内側から沢山の音楽が溢れ、
常識に依らずに世の中を理解していたのだと思います。

そんな彼に理解者がいるとすれば、それは父親ではなくナンネールだけだったのではないかと思います。

一旦ブレイク

あまりにも長くなってきてしまったので、一旦ここまでを
アップしようと思います。

今、全体の1/4までしか書けていませんが、引き続きこの熱量で
書き続けたいと思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?