見出し画像

your nameに行かなかった話

 突然少年のフジロックメインステージが決まった日、KOTORIのルーキーが決まった日、NOT WONKのyour nameの開催が発表された日。2019年7月5日の本当に嬉しくとも複雑な気持ちはまだ覚えてる。昨年フジロックにボランティアとして初めて参加して受け取った衝撃はあの小さなステージにもあって、その場では見ることができたpaioniaに票を入れ、ネットではその後に出会ったNOT WONKに票を入れた。突然少年のカッコ良さは知っていたから文句なしだしRED MARQUEEが似合っていた。ただ、ネット投票とは?みたいなものを少し考えた。その場にいたからこそ考えた。そんな中での加藤さんのステイトの潔さに、そしてその先にあるyour nameという試みに魅了された。まだ夏が始まる前の話。

 12月6日の夜。電話が掛かってくる。明日苫小牧に向かう予定の友人からだ。前日になって「ちょっと分からないから教えて欲しい」に始まり「飛行機の予約とって欲しい」「あさ4時まで起きてなきゃだからそれまで電話しよ」うきうきしてるようで日本の南の端から北の端までひとりで飛ぶ不安が大きいのだろう。帰りの飛行機もホテルもとってないという計画性のなさに少し呆れたけど、そんな時に助けられる私でよかったななんて思ったりして。14800円。来月引き落としなので振り込んでね。朝4時まで話は続く。どうでもいいことも好きな人の話も音楽の話も人の話もたくさんした。「行く覚悟がちゃんとないから行っていいのか不安」と口にしていたがメールを送った時点であなたの覚悟は決まってるから大丈夫と背中を押して、音源を貸して欲しい、ZINEを買ってきて欲しいと頼んで寝る。美味しいもの食べて気をつけてね。北海道もNOT WONKも心の底から好きなので色々吹き込んで寝る。めちゃくちゃに羨ましかった。最後まで「来ればよかったのに」と繰り返していた。ソールド間近の時期から彼女は頻繁に私を誘ってくれたのは彼女だった。

 北海道は私が東京の次に日々を過ごした場所だ。母の実家が旭川にあり夏休みは毎年2週間ほどそこで暮らした。ひと夏ごとに近所の子と仲良くなっては遊びに出かけ、朝のラジオ体操、町内会の夏祭り、ロウソクもらい、キャンプ、手作りのトンボの標本、とれたてのトマトと鍋いっぱいのブルーベリージャム、近所のおじさんがくれるトウキビと枝豆、広い家と真っ直ぐな道と広い空。内緒で父と母の結婚式のビデオや写真をみたりもした。全部鮮明に覚えている。田舎だと思っていたけどお向かいは若い夫婦で子供が3人。コミュニティはきちんとあって昨夏は近所の子供たちをうちに呼んでみんなでバーベキューをした。新品のバーベキューセットを表に置いていたら粗大ゴミで回収された話でパパママたちはずっと笑っていた。おばあちゃんが死ぬ一年前、一人で遊びに行った時に仲良くなった奥さんはその時お腹が大きくて、お葬式に来てくれた時にはその子を抱っこしていてその姿に泣いてしまったのももう7年くらい前。喪失の記憶も一緒にある。地方の町も生きていることを感じられる。
今年は2月に友人と函館札幌小樽を旅行、9月には旭川から家族と別れ札幌へDOSANCO JAMを見に向かった。大好きな函館三部作の舞台、夜景をみて雪の中歩き寿司を食べ蟹を食べ温泉に浸かりカラオケをしてとふっこう割で贅沢な旅をした。人はみんな優しいが馴れ馴れしくなくてスッキリしてるし街は人が生きている美しさがあった。9月の札幌は暑く、ここに来ればかっこいいものに出会えるイベントがあることも、札幌の若い人たちの熱狂ぶりも羨ましくおもった。あの日のNOT WONKも本当にかっこよかった。北海道は私には思ってるよりずっと近い。

 12月7日昼。到着したとの報告の連絡に安堵しながらバイト。いろんなことを想像していた。休憩中に携帯を見ると着信がある。羨ましくなる。インスタのストーリーを見る。バイトが終わってからも連絡を取り合っていたが夜中3時に苫小牧にいるもう一人の友人からの着信。最初に苫小牧に一緒にいこうと言ってくれた人と最後まで言ってくれた人、揃ってホテルにいるらしく電話をくれた。私にとっては大事な友人だが二人揃ってるとなんだか気恥ずかしくあまり喋れなかった。落ち着いてるようで寝れないんだろうなぁと想像、明日の朝にあの煙突を見に行く話をしていた。じゃがりこの咀嚼音がめっちゃ響いてくる。間違えて切ってしまって風邪ひかないでねと送って寝ようとしたけどあまり寝れなかった。

 NOT WONKが好きだし北海道は私にとっても特別で身近な場所。なら何故いかなかったのかと考える。お金も距離も理由にならない。そこにどんな人がいても逆に知ってる人がいなくともそれよりも見たいステージがあった。ただ、直接連絡をとりあい名前を呼び合うというそれが怖かった。勇気がない私の弱さのせい。e +大好きだしメール予約嫌いだし名前書かなきゃいけないの嫌だし点呼とかで名前呼ばれるのさえ本当にいや。やりとりをしないと取れないチケットも名前を書かないと買えないCDも私が最も逃げたいことで。全く情けない話だけれどほとんどの人にとって普通に出来ることがバカバカしいけど私にとってはすごくハードルが高い。まさかyour nameのテーマそのものが私の苦手とするものだったとは。色々言い訳してたけど終わってから考えてやっと分かった。苦手とするものだからこそ魅了されたのだと思う。

 さらに情けない話だが次の日からすこし、満月とかホルモンバランスとか色々重なって鬱みたくなった。人と向き合うことから逃げてしまうこと、逃げたことで得られない経験や避けてしまう人の優しさについて考えたら自分の不全に嫌気がさした。精神病や市販の抗不安薬について調べたて自分と似た症状を見つけて開き直ったり、そうだとしたら治らないのだと泣いたり忙しかった。食欲もなくバッド入ったら筋トレするといいとよく言うので腹筋ばかりしてたらもう少しで腹筋が割れそうだ。

 東京まで持ってきてもらった音源をいつか会う時に、っていうのは本当に情けないので自分からとりにいった。私の名前が書いてあったことが、3人の名前を友人が書いてもらってくれていたことが嬉しかった。名前ってこういう暖かさがあるんだなって思った。いまはそれだけで十分。かっこいい音楽を聴いてもかっこいい人にはなれないけれど、かっこいいと思っていたものがかっこいいという安心は自分を強くすることをyour nameを聴いて思い出した。歌詞を何度も何度も読み返して聴いた。
 
行った人の話、行けなかった人の話があったので行かなかった人の話。来年の5月、私にないものを持っている人たちが作った空気がそのまま東京にきて、私はその空気そのものに勇気をもらうのだろうなと思う。情けない私の話を2019年のうちに成仏させてすこし先に進むために書いたつもりです。すごく長くなった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?