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はじめての

生まれて初めて女の子と花火大会に行った。

28歳の時。

の直前のちょっとした話。

グリングリン、ドッドッドドグッ、グーッ!、ドッドッドッッドグッググー!グリングリン

音楽の時間なら補習決定なほど音痴なハート。
タチの悪いことに変な閉塞感すらも感じさせる。

法廷に出廷させられる容疑者でももっとマシな顔色をしてるんじゃないか?

俺の脳みそは最後の力を振り絞り、こう指令する。


なんでもいい、なんでもいいから気のまぎれるようなものは見れないものか。



そうだ!
くだらない、クソほどくだらないなにかが俺には必要だ。


クソ?

そうだ、クソコラを見よう。



そんな俺はとある単語を検索する。

とあるゲームに出てくるキャラの立ち絵を爆発の絵にポン乗せしただけ。
そんなクソほど雑なコラ画像が俺の目に飛び込んで来る。

妙高クソコラグランプリ。


ひどいやつはとあるキャラの顔だけどんぐりころころのごとく転がっていたり、そんなものばかりだ。


手の込んだ雑。

もはや職人の魂すらも感じられる雑さ。
2chだかのコメントが皆“クソコラ”と表現されていたのだが、コレが感慨深い。

雑だし下品だし著作者をバカにしてるし腹抱えて笑うし……。

なんだこの湧き上がるものは。
むずむずうずうず……。

クソコラ。


俺はここまでふとごろが深いクソという言葉を初めて聞いた。

ここで言うクソは全て内包している。

なんとまぁクソという単語の懐が深いこと。
だがたしかにクソという単語は万能だ。

クソ痛い

という単語を見てうん●が痛いだなんて誰も思わない。

クソ気持ち良い

という単語を見てもみるのも悍ましい変態プレイヤーだとは誰も思わない。

クソという言葉はクソほど便利。
そんな言い方すらも使うこともできる。

そう考えるとクソという単語に明日すら感じることができる。







花火はどうなったって?
そんなのクソどうでもいいでしょう。

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