4cmのワニ

発達障害、適応障害、不安障害、持続性抑うつ障害等と向き合いながら、ギター弾き語りを楽し…

4cmのワニ

発達障害、適応障害、不安障害、持続性抑うつ障害等と向き合いながら、ギター弾き語りを楽しむHSP。

最近の記事

「自分に優しく」とは?

精神疾患に関する情報の中で、あるいは一般的な情報の中でも「自分に優しく」という言葉をよく見かける。 しかし、曖昧なものや抽象的なものが苦手な自分にとって、その「自分に優しく」するという概念を理解するのは簡単ではない。 今から5〜6年前、カウンセリングを受けていた時期があり、その中で「休む」という宿題を出されたことがある。 「自分に優しく」と同様、自分にとっては、かなり難解な問題だ。 風邪で学校や仕事を休む、疲れたから走るのをやめて休む...などはわかる。 だが、仕事

    • 4cmのワニが一人で初めて思いきり歌えた日

      先日オリジナル曲の動画を撮っていたお話なんですが…。⁡⁡⁡ ⁡ ⁡私4cmのワニは、今現在、病院から診断をもらっているものは「ASD」「神経性大食症」ですが、それ以外にも「不安」や「緊張」がかなり強い人間です。⁡ ⁡⁡ ⁡元々は、人前で歌う…なんて、ありえない話で、家族の前でさえ歌を口ずさめなかったり、若い頃は彼女とカラオケで歌う歌わないで大喧嘩になったりしたこともあります。⁡ ⁡⁡ ⁡それくらい恥ずかしがり屋の私ですが、音楽は好きで、ある人からキッカケをいただき弾き語りを始

      • 今日も生きたけれど…

        人間は生まれてくるか否かを自分の意思で選択することができない。 環境や条件についても同様である。 幸せを感じている人は「生まれてきてよかった」と思うだろう。 しかし、苦しみを感じている人は、そうではないかもしれない。 ただ、「幸せ」と「苦しみ」どちらかだけが永遠に続くことはないような気がする。 私も実際に、死にたいくらい苦しい思いをした後に、幸せなことが訪れたこともある。 しかし、それは結果論であって、この先の未来に幸せがあるか、また、いつやってくるのかという保証はない。

        • グレーゾーンであるがゆえに:診断書に書かれていたもの…

          私は、中断期間も含め、かれこれ7年ほど精神科に通っています。 最初の入院から一番長く通っていた病院があったのですが、県立の大きな病院であるがゆえに担当の医師の異動があること、また、現在の住まいからは遠い(乗り継ぎ待ちも含めると2時間以上)ということもあって、少し前に病院を変えました。 精神的に辛い時に、遠すぎて気力が起きず、バスや電車が苦手ということもあり、予約日の定期受診に行けないことが続いていたのです。 病院は4週間に一度くらいのペースのため、新しい病院もまだ数回し

        「自分に優しく」とは?

          自分に生まれて…

          「自分に生まれてきてよかった?」 答えは…「YES!!」 俺がこの世に生まれ落ちてから、もはや半世紀近く経とうとしているが、意識的に「YES」と思えたのは初めてかもしれない。 傍目には幸せな人生に見えていたかもしれないが、私は幼い頃から「なんで自分なんかに生まれてきたんだろう」と、幾度となく思って生きてきた。 それは正直、今も変わらない。 お金はない、仕事はしていない、車もない、食べたい物さえ買えない時がある。 離婚もしたし、精神疾患だってある。 楽に旅立てる方法を日々

          自分に生まれて…

          苦しみの先には幸せが…。恥ずかしさの先には??

          そもそも「恥ずかしい」とは? → 自分の欠点・ 過失などを自覚して体裁悪く感じるさま。 う〜ん…「欠点」の基準って何だろう??? 俺は音楽が好きで、今はアコースティックギターでの弾き語りをしています。 アコーディオンを弾く相方と一緒に、俺がギターを弾きながら歌う。 しかも外でね。 しかし、俺という人間は元々、人と話すのも苦手だし、人前で歌うなんてそんな…。 失職、離婚、現実逃避、入院、事故…様々なことが次々に押し寄せ、絶望の真っ只中にいた自分を救ってくれたのが、若い頃から

          苦しみの先には幸せが…。恥ずかしさの先には??

          「嘘」

          日付が変わり4月1日を迎え、知り合いのSNSでのエイプリルフール投稿。 その少し前に、エイプリルフール絡みのリツイートがあったので、すぐに気付くことができた。 しかし、気付けたのには、もう一つ理由があって…。 昨年のエイプリルフール、見事に引っ掛かってしまったのだ笑 エイプリルフールに限らずなのだが、「冷静に考えたらあり得ないだろ」というようなことも、実に素直に受け入れてしまう。 悪意ある嘘を見抜けないというのは大きな弱点で、今までに何度も痛い思いをしてきた。 また、人が「

          「曖昧」という世界

          時間の概念において「過去」「現在」「未来」というものがある。 「過去」は現在より以前のもの。 「未来」は現在の後に来るもの。 どちらも「現在」を基準にしているが、そもそも「現在」とは、どこを指すのだろうか。 例えば、今の時刻0時53分34秒を「現在」と表現してみるが、これは書いた時点ですでに過去になっている。 ある程度の幅を持たせた時間の区切りを「現在」とするにしても、その区切りはどこにあるのか? そう考えると「現在」という概念そのものが、俺にとっては無意味になって

          「曖昧」という世界

          自分の「本心」という不思議

          今日は26日のライブに向けて、最近お世話になっているお店で、相方と弾き語りの練習をする予定なのだが…。 昨夜、相方からのLINEで「体調が悪く練習に行けない可能性がある」という趣旨の連絡があった。 もちろん相方には無理をせず休んでもらいたい。 まだ未定なのだが、もしも相方が休む場合、自分はどうするか。 一人で練習に行くか、店には行かず家で練習するか…。 家では、音量や気力の問題で練習してもたいして進まないのが現状。 となると「一人で行く」という選択になる。 ただ、こ

          自分の「本心」という不思議

          積極的に人の力を借りよう

          「人の力を借りる」って、必ずしも人の了承を得て、お願いをしてするものではない。 そうではなくても、人の力を借りることってできるんです。 私はSNSをやっていますが、発想力や表現力が弱いため、自分から発信することは、あまり得意ではありません。 でも、流れてくるフォロワーさんの文章やコメントを見て「素晴らしい考え方だな」「いい情報だな」「カッコいいな」と思うことが多々あります。 それに、自分の思いや考えを載せて拡散するのです。 皆さん普通にやっている事だとは思うのですが

          積極的に人の力を借りよう

          「自己選択・自己決定」の大切さ

          スーパー等に行った際に、たまに目にする光景。 子供:「このお菓子、買っていい?」 親:「ダメ」「そんなの要らないよ」etc.....。 自分が子供の頃や、自分が父親だった頃と重ねて、様々なことを思い出す。 私は、自分の意思を表に出すことが苦手でした。 「あれがほしい」「あれがしたい」「それはしたくない」「そういうつもりで言ったんじゃない」 様々な「思い」を閉じ込めて生きてきた結果、無意識で人に合わせるようになり、「人の意見=自分の意見」という錯覚を起こすようになっていまし

          「自己選択・自己決定」の大切さ