見出し画像

相手の立場に立つのではなく、自分にとってしっくりくるエピソードに置き換えて理解する

柴田(@4bata)です。いくつか例がたまってきたので、記事にします。

考えたきっかけ:自分にはよくわからないことを理解しようとするとき、何を考えているかをメモしたくなった

全然よくわからない内容について、「わかった!」となる方法のひとつとして、「自分に理解できるエピソードに置き換える」というのがある気がしたので、書いてみる。

たとえ話①:おじいちゃんにとっての盆栽は、私にとってのガンダムのプラモデル

これは伊集院光さんがいっていた例。ガンダムのプラモデルのように、カッコイイ盆栽をおじいちゃんはつくりたいのだ。ただ、ガンダムのプラモデルはもう若者には通じないので、高校生に話すときは「おじいちゃんにとっての盆栽は、マインクラフトです。」という説明に変えています。

たとえ話②:ITリテラシーの低さが原因でテレワークに慣れることができない人の気持ち

1年前ぐらいに考えて書いた記事がここにある。それを編集して転記する。

業種の違い、企業や個人のITリテラシーによって、リモートワークの難易度が異なることは頭ではわかる。でも自分が詳しくない業種や他の企業のことまで想像できない。たぶん、自分はリモートワークにかなり適応できている側だ。だから、「それぐらいできるでしょ」みたいに思いがち。「正しさ」の話とは別で『そんなこといったって、リモートワーク無理なんだよ〜』みたいなこと言っている人もいる気がする。そこに対して「そうだよね〜」と思いたい。

リモートワークがいきなり世の中に導入されたこの状況を「いきなり日本企業の社内公用語が英語になった」に例えて理解するのはどうか。
私の英語力は中学〜大学でやった程度。多少読めるけどほぼ話せない。だからこの例えはよさそう。いきなり明日から英語で仕事します!と言われたら結構困る。今後、グローバル化が必須だし、学校で習ってきたし簡単な英語だとわかるでしょ?いままで英語勉強してこなかったあなたが悪いんじゃないの?とか言われたら、『そんなこといったって、無理なんだよ〜』と思うけど、反論はできない。いってることが正しそうだから。
英語出来る人が、「日本語と英語を交ぜた感じで、目的にあわせて良い感じにやっていこう(リモートとオフィス出社を混ぜていこう)」という提案をしていたとしても、英語出来ないから「あー大変すぎる」と思ってしまう。
1年ごとか3年後だったら頑張れるけど、1ヶ月後とか言われたらきつい。

「オフライン中心の仕事がオンライン中心の仕事になった」は仕事におけるコミュニケーション方法の変化とも言える。ということは、「日本語ではなく英語で仕事をするようになった」という例えもありなのでは、って言ってるひとがいて、なるほどと思った。

たとえ話③:仕事に対してもっと主体的になれよと言われているけど、あんまりなれない人の感じ

仕事でもっと主体的になれよといわれて、でもそんなにすぐに変われない人の感じを理解する方法。

例えば私が何か世の中の仕組みについて不満があるとする。その時に、「そんなに不満があるなら、衆議院議員選挙に出て、総理大臣になって、法律変えればいいじゃないか。その制度は存在するし、あなたにもそれは許されてるんだから」と言われたどう思うか。

「いやーいまから総理大臣目指すのは大変だ・・・」となる。これも主体性がないと言える。つまりその人にとってはそれぐらい大変に見えているのでは、という予想。

たとえ話④:同時通訳者の大変さを知る

日本語を日本語に同時通訳することで、大変さがわかる!これも誰かに教えてもらった。桃太郎を日本語で同時通訳してみた例。


こんなたとえ話をふやしていきたいです!


誰かが書いてたけど、サポートしてもらったらそのお金をだれか別の人のサポートに回すと書いていて、それいいなとおもったのでやります!