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創業者の引退後、会社の人格を保つには

柴田(@4bata)です。私は創業者がいる会社でしか働いたことがありません。今後を見据えて仮説を持っておきたいのでまとめました。自分なりの直観的な理解であるため、ところどころ論理が飛んでます。

「会社の人格」は、たとえ話だけじゃない

「会社の人格」で私が思い浮かべるものはふたつ。

1.会社を「ヒト」に例えたときの人格。会社の性格のようなもの。
2.法律上会社に認められた「モノ」を所有する権利。法人格

「創業者の引退後も会社の人格を保ちたい」と考えている人は、1の意味だ。1と2の関連性を理解すると「会社の人格を保つ方法」の解像度があがる。

「モノとしての会社」「ヒトとしての会社」

書籍「会社はこれからどうなるのか」より。「モノ」と「ヒト」の違いとは。

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・ヒトはモノを所有できる
・ヒトはヒトを所有できない(昔は奴隷制度で所有できた)
・モノはモノを所有できない
・モノはヒトを所有できない

これは直観的にわかるだろう。ここからが面白い。

「会社」には「株主に所有されるモノとしての要素」と「モノを所有できるヒトとしての要素」が混在している。

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「会社を人間とみなしたときの人格」とは、利害関係者からの印象

ここからは、自分の解釈も入れて単純化する。「会社をモノとして所有する株主は、会社のことをお金を産む機械(モノ)」だと考えている。「会社の経営者は、会社はお金を産む機械以外の役割もある」と考えている。

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会社のお金を産む機械以外の役割とは何か?それは利害関係者とのやりとりだ。株主以外に、顧客、従業員、地域社会との関係性も「いい感じ」にしないといけない。

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では、「会社を人間とみなしたときの人格」とは何か?それは、利害関係者からの印象だ。

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だれにも所有されない会社は、より「ヒト」に近い

最初に説明したように、ヒトはヒトを所有できない。

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株主にモノ所有されない会社は、より「人間に近い会社」と言える。それは何か?「株主=経営者」、つまり創業者が株主の場合だ。

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「お金を稼ぐ機械」としての会社の役割と、それ以外の役割が対立しやすい。そこを一人格で対応する創業者が存在すると、会社の性格(=利害関係者からの印象)が明確になる。

書籍「三位一体の経営」によると、株主と経営者の関係性で会社の統治方法が変わると書いてある。創業者が経営者として引退しても、株主として存在するか否かでまた変わってくるのだろう。

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会社は従業員を所有できる?

利害関係者のひとつ、従業員からみた会社の性格(印象)も考えてみたい。法人格としての会社は、従業員を所有できるのだろうか?

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当然、できるわけがない。会社と従業員は雇用契約を結んでおり、所有されていない。だから自由に会社を辞めることができる。

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しかしここで問題がある。「お金を稼ぐ機械としての会社」にだけ最適化しようとすると、従業員もモノとして所有したくなってくるのだ。所有だとわかりにくいから、言い換える。従業員もモノとして「実質的に支配」したくなってくるのだ。

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それを法律で防いでいる。

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ただ実際には抜け道はいろいろある。なので、従業員からみた会社の性格を決める要素のひとつとして、「心の底では従業員をモノと見なしているか否か」はあると思う。法律を守っていたとしても「本来自分たちが所有しているもの」というニュアンスが残ったりするものだ。

私は労働基準法などの法律は「弱い従業員の立場を会社から守るもの」という理解だった。「法人格としてモノを所有できる会社が、従業員までモノ扱いしないためのもの」という理解のほうが趣旨にあっている気がしたので、認識を変えた。

本題:創業者引退後の、会社の人格を保つには?

やっと本題だ。そもそも「創業者引退後も、会社の人格を保つ」とはどういう意味だろう?私の定義では、図の左、利害関係者からの印象を「会社の人格」と呼んでいる。

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株主と経営者が分離すると、利害関係者の調整が増え、会社として本来あるべき姿とは遠い「無難な落としどころ」に着地することが増える。

つまり、私の中では「創業者引退後も、会社の人格を保つには?」を言い換えると、

創業者引退後も、会社として本来あるべき姿とは遠い「無難な落としどころ」に着地することを避けるには?

となる。

普通のやつから、ちょっとぶっとんだものまで考えた。

方向性1:オーナー企業として「経営者=大株主」にしておく

構造を創業者がいたときと同じにしておく。これもひとつの答えだ。それ以外の方法も考えておきたい。

方向性2:「自分たち(=利害関係者全員)」で株主になり、会社を所有する

例えば、利害関係者が株主になり、会社を「モノ」として所有するのはどうだろう。これでも「無難な落とし所」になりそうだけど、ぜんぜん関係ない人が株主になるよりは良いかもしれない。

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方向性2の応用:「創業者がいた独裁制の時代には戻れない」ことを前提に、無難な落とし所にならない方法を「株主と経営者のセットで」考える

以下の図にまとまっている気もする。「創業者がいた独裁制の時代には戻れない」ことを前提に、無難な落とし所にならない方法を「株主と経営者のセットで」考える、ということになりそうだ。

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方向性3:会社をヒトが所有するなんてとんでもない、という形に世の中が進化する

昔は、ヒトがヒトを所有できた。奴隷制度。

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今はヒトがヒトを所有するのはNGになった。でも動物も会社も所有できる。

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しかし、奴隷制度というのは、ヒトがヒトをペットのように所有していたとも言える。つまり今後、動物をペットとして所有することもNGになるかもしれない。

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その延長線上に、ヒトが法人を所有することもNGになるかもしれない。何かしらの方法で「誰にも所有されない法人」が当然になる可能性もある?すると自分で考えないといけないので「会社の人格」が保たれることになるだろう。

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いま私がまとめられるのは以上です。ありがとうございました!



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