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居残る

え、泣くんですか、と驚かれて私は逆に訊き返す。泣かないんですか。
私が昨夜、好きなアーティストの新譜(という言葉は一応通じた)を聴いて泣いたという話だった。私としては「泣いた」ことではなく、「新譜で」というところがこのトピックの肝のつもりでいて、実際初聴の楽曲でそんな反応をしたのは久しぶりだったからそれを伝えたかっただけで、音楽に身体がエモーショナルな反応をするのは特別なことではないと考えていた。
その時仕事場にいた私以外の3人は、私に同調していないという点で一致していた。後輩の女の子は、音楽だけでは泣きはしないですね、と言い、その子より少し年上の男の子は、涙腺ゆるくなってるだけでしょ、と鼻で笑い、年上の女性は、音楽なんて聴かなくなって久しい、と私を驚愕させる。
誰に何から話せばいいのか混乱していると、年上の女性が少し気の毒そうに、私に話す権限を戻すよう聞き返してくれる。あなたは今でも音楽をよく聴いてるのね。
聴きます聴きます、え、ていうか皆そうだと思ってたんですが違うんですか? 私は中学生の頃からずっとですが、周りも皆そうでしたよ。
それは中学生だからですよ、と彼は変わらず嘲笑を含ませた言葉を投げてくる。行き場のない性欲とか尽きない自己顕示欲とか将来への不安とか、そういうのを引き受けるインフラが音楽だったんでしょ、先輩はまだシシュンキなんですか?
それはあながち間違いではないとも思いつつ、はいそうですと認めるのも癪だし、実際まだ釈然としないので、後輩の女の子のほうに、でも確かK-POP聴くんだよね、感動することあるよね、縋るような口調で尋ねる。
推しのパフォーマンスについての感情は先輩の言うような情動、いわゆる作品に対する感動とは違うと思いますね、と彼女は冷静に私の伸ばした手を振り払う。そして、感動のもととなったのは音楽そのものの力なのか夜中に音楽に向き合っている状況なのかどっちでしょう、と鋭く訊いてくる。
私は少し考えて、ずっと感じていたことを口にする。
歌声を聴いていると、ほんとうのことが歌われているかどうかって判別できるじゃない。
周りの3人は一瞬静まり返る。男の子が、マジでそういうこと他所で言わないほうがいいですよ、と真剣な感じを出して諭してくる。女の子は知り合いの部屋に招かれたら本棚がオカルト雑誌で埋まっていた、みたいな顔をしている。
私は気にせず続ける。作品に触れる時はいつだって、それが、少なくとも自分にとって、真実を訴えかけてるかどうかを感じられるでしょ、小説でも絵画でも映画でも何でも。音楽ももちろんそう。私はそこに私にとってのミューズが宿っているかを感じることができるし、その時には感動するし、泣くこともあるよ。
ある程度の理解は得られたのか、話がでかくなり過ぎてませんか、と言う男の子の声にはもう馬鹿にするような調子はない。女の子は、右手を顎に当てて左手で右肘を支えしばらく考える様子を見せた後、なるほど、とだけ呟く。
でも私の方はまだ納得がいかない。昔は私だけじゃなく皆がそうして音楽に向き合っていた。それが今は「音楽鑑賞が趣味」という人だけに限られてしまう。いくつになっても夜中に旋律とリズムは私の胸に同じように突き刺さるのに。皆なぜ音楽から離れていってしまったんだろう。
先輩は取り残されたんじゃなく、選び抜かれたんですよ。そう考えればいいじゃないですか。
女の子にそう言われ、私はそんなの別に嬉しくない、と思う。みんなもっと夜中に寝床でヘッドフォンを両手で押さえつけながら涙を流せばいいのに。自分が感じる原初的な正しさに立ち返れるのに。

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