見出し画像

どんとこい、孔版印刷_0826

ここの日記を本にすることにしている。

形から入らねば気がすまないので表紙が決まっていないうちから印刷所を選んでいる。同人誌をつくるときに一番たのしいのは印刷所を決めるときと、表紙をつくっているときだ。今回は勝手に本文ができあがっているので助かる。書かなくていい。

日記を本にするならとびきりかわいいのがいい。いつだって自分の本は限界までかわいくすると決めている。採算なんてどうでもいい、むしろちょっとでも費用がかえってくることに毎回びっくりしている。わたしはお金を払ってかわいいかわいい本をつくっているだけなので、そりゃあそれなりの費用はかかるでしょう、というきもちだ。少なくともわたしは。こういう思考は不健全なのでやめなさいという論を見たことがある。たしかにおっしゃるとおり不健全である。やめません。

折に触れて思うけれど、わたしって健全と相性が悪いのかもしれない。適度にたのしみましょう、というのができたためしがない。人生削ってなんぼ、自分の身の安全よりよほど大切ななにかがある、と信じて生きている。ほんとうはぜんぜんそんなことないのに。いつかその膨大なツケを支払うことになる。まあそんときゃそんときだ。


わたしの創作というのは暗くなりがちで、ど真ん中直球にかわいい! という表紙は似合わないが、日記本ならばそれがやれるんじゃないか、ということに気がついた。

ずっと使ってみたかった印刷所がある。

とにかく震えるほどかわいい。まだ自我が発達しきっていないおこちゃまのころ、初めて行った同人誌即売会で表紙のあまりのかわいさに衝撃を受けた本が、ここの印刷所でつくられたものだった。もちろんおこちゃまと言っても18歳は超えているが、わたしの自我が発達したのは少なくとももっと後だ。

ミシン糸で中綴じされた、おしゃれな本だった。それまで想像していた、あの同人誌特有の、角ばってつるつるした本とはまるでちがった。もちろんそういう同人誌らしさも愛している。けれどもPP加工がされていない厚紙の質感、かすれたりズレたりしてまさにレトロな印刷、藁半紙みたいなざらついた紙。すべてがかわいかった。同人誌は自分が好きな本をつくるものなんだ、と気がついた。

印刷所の入稿データの作成方法をのぞいてみたら、とんでもなくむずかしかった。ガキのころあこがれていたあのひとはこんなに難解なデータづくりをやってのけたのか。なんにもわからん。そもそもわたしは先日出そうとしていた二次創作の新刊を入稿データづくりに失敗して落としている。いままで何冊同人誌出してきたんだ。なにやってんだ。


とりあえずこの印刷所の印刷見本を注文した。数日後には届くはずである。これをクリアしたらとびきりかわいい本ができるぞ。あのときのあこがれに、いまだ大事にしているあの本に一歩近づけるかもしれない。

本はかわいいほうがいい。少なくともわたしはそう思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?