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遥かなる犬の呼び声_1006

今日書かないと週間の連続投稿記録が途切れることに気づいたので慌てて書いている。ちょっと理由があって9月は意図的に投稿ペースを落としていて、日記はそこそこたのしいとはいえやっぱり締め切りに追われるみたいなのがない生活は楽でいいわねえとダラダラしていたら、10月になっていた。ということに、今日気づいた。ついさっき気づいた。逆に言えば9月が終わったことに一週間気づかなかった、と言える。


最近はなんとなく転職がしたくてindeedを開き、「サモエドカフェの店長候補になりませんか?」などの求人を見て、人間のしあわせってサモエドに囲まれることをいうのかもしれない、と思うなどしている。

いままで好きなことを仕事にする勇気が出ない、みたいなありがちな悩みにあまりピンときていなかったが、サモエドに置き換えてもらえると、なるほどわたしにも想像がつく。たしかにサモエドカフェの店長を生涯の仕事にするというのは勇気がいるし悩む。サモエドになにか一瞬でも負の感情を抱いてしまって、それがわたしの人生の歴史の1ページに刻まれるとしたら、耐えられないだろう。大量のサモエドを散歩させているとき、はやく帰りたいと思うようなことがあったら困る。こんなにいい時間はないはずなのに。サモエドの嫌な部分を見てしまうかもしれない。サモエドの嫌な部分がなんなのか、わたしには想像がつかないが。サモエドに頭突きされたり?  うんちがデカかったり?  サモエドが重かったり?  毛がたくさん服についたり?  そんなことでわたしが犬を嫌いになるか?  サモエドカフェの店長って天職かもしれない。


まあ、生き物を仕事にすることの暗い部分、というのはなんとなく想像がつくし、わたしにはその勇気がないのでサモエドカフェの店長になることはないだろう。犬より人間がきらいになりそうだ。今以上に人間嫌いが加速したら前科持ちになりかねない。

いまは接客業に従事しているが、接客業って一話完結マンガだなとずっと思っている。常連という概念はあるにしろ来客数が多い施設であればあるほどその概念は薄くなり、向こうも従業員にたいした感情を抱かない。積み上がっていくスキルも、少なくともわたしの感覚ではあんまりない。特に自分の業種は客を相手にしたらはいおしまい、次、といった感じだ。流れ作業に近い。

昔はその一話完結型の後腐れなさが心地よくてこの業種を選んだが、なんかだんだんおそろしくなってきた。世の中の人間たちが指している「仕事」というやつと、自分の「仕事」がまったく違う単語なんじゃないかと思うほど噛み合わない。アツい仕事論の意味がまったくわからない。わたしの仕事にはアツくなる要素がない。

薄々、でも確実に自分の人生が連綿とつづくという嘘みたいな事実を実感してきている。人生さっさと終わりにするのでわたくしは関係ありません、と保険の加入やら奨学金の返済計画やらふるさと納税やら貯蓄やらNISAやらほんとうに、ほんとうに将来に関するすべてのことを無視してきたが、そろそろヤバいのかもしれない。自分の奨学金がいつ返済し終わるのかも一切知らないし。徐々に未来ってやつを想像するようになってきて、それがほんのすこしだが怖くなってきている。このわたしが?  未来が怖い?  うそだろ!


わたしの頭にあるのは犬を飼ってさっさと隠居したい、ということだけだ。ただ連綿とつづく人生とやらを考えると、そろそろ隠居への道を整えるフェーズにきているのかもしれない。20代も後半にさしかかり、よりおだやかな、よりしあわせな犬との隠居を目指すには長期的な環境づくりが必要なことに気がついてきた。

わたしの日記ってずっとこんな話をしている気がする。仕方ない。人生とは、犬と暮らすためのものなのだから。


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