スマホのカメラレンズを修理に出す


吉祥寺でスマホのカメラレンズを修理に出した。怪しげなビルの7階にあるリペアショップにスマホを預ける。吉祥寺には怪しげなビルが沢山あって良い。5年前、私は吉祥寺にあるまた別の怪しげなビルの一室で初めてのタトゥーを入れてもらった。怪しげなビルの怪しげな部屋で怪しげなお兄さんに怪しげなベッドに寝かせられ、(このままエロ同人みたいなことをされるのでは)(或いは、臓器を抜かれて売り飛ばされるのかも)と思いながらも結局至極無事に格安でタトゥーを入れて貰ったことがある。その当時を思い出した。その時のビルに比べれば今回のビルは大して怪しくはない。


スマホのカメラレンズにヒビが入り写真がうまく撮れなくなった時、買い替えるか修理に出すか迷った。私が使用しているのはiPhone12 proで、それはそろそろ電気屋のスマホカバー売り場からも消えつつある機種だったから。けれどひとまず修理に出すことにした。レンズ2つの交換で、1まん6せん円。


修理には1時間弱がかかるとのことで、北口を出たところにあるサンマルクカフェに入った。席を確保してからスマホがないのでpaypayもsuicaも使えないことに気付き、財布を持ってレジに並んだ。お釣りを受け取るとちゃりちゃりと小銭の音が心地よく鳴る。

窓際の席に座り、スマホも本も何もないこの時間をどのように過ごすか考える。私は思考の赴くまま、いろいろを考えて過ごすことにした。




私の考えていたこと。昨日の研究発表会を2時間半近く抜けて食べた先輩とのランチ。お店からのお裾分けですとその時いた客全員に少しずつ分けて貰ったパエリアがコース料理のどのメニューよりもいっとう美味しかったこと。先輩のふわふわの茶色かかった髪の毛と特徴的な笑い声。シンガポールで婚約者と指輪を見て回った話。特別講演で話していたコンサルティング会社の男性について。50代も後半だろうに、どうして110枚近いスライドを用意し90ふんかんもノンストップでとめどない情報量を話し続けることができたのかしら、と思う。きれいに纏まったその人のスライドを思い出し、わたしのたいへん酷いofficeスキルについて考える。珈琲を頼むとき、リペアショップを出てからしばらく歩き回って暑かったからかアイスで、と言ってしまった。久しぶりに飲んだアイスコーヒーは想像より苦くてびっくりした。先輩の「結局のところ私達は結婚に向いていないのよ」という言葉。お互いの途中でなくなった結婚の話。親への怒り。




親への怒り。私は親に対してずっと怒っていると、最近自覚したこと。親が親であることを受け入れ、諦め、愛してはいるが、それはそれとして私は親に対して、私を産んだことをずっと静かに怒っている。これがなくならない限り私は子供を産みたいとは、結婚を積極的にしたいとは思えないのだろうと思う。親への怒り。結局のところ私達は結婚に向いていないのよ。わたしはこの3年間の間にこの怒りと被害者意識を解決することができるのかしらと思う。


まだ返していない友達へのLINEについて考える。彼女は私にとってとても特別で大事な存在だけど、知り合ってからの3年間一度も会ったことがない。お互いに今年こそは会いたいねと言っているけれど、もしかすると会えないかもしれない。それでも1ヶ月の音信不通のち、27通ものLINEを唐突に送ってくる彼女のことがどうにもたまらなく愛おしい。また別のしばらく会っていない友達について考える。あの頃あんなに私達は親しかったのに、果たしてまた2人で散歩をする日は来るのかしらと思う。母と2人で暮らしてきて、高校も大学も女子校で、バイト先すら男性の少ないところを選んできたのに、何故か私は女の人と一対一で健全な関係を築くことがあまり上手くない気がする。どこか歪で穏やかでない気がする。適切な距離も関わり方も実はわかっていないのかも。


自分の手元を見る。腕の肌の色を眺め、手を広げて注意深く観察してみた。悪くはないけれど、美しいというほどではないと結論づけることにした。窓の外に目を向ける。私は今三階から窓の外を眺めているので、建物しか見えない。外を歩いている時には吉祥寺の街は人だらけだと思ったけど、結局のところ人が見えるのは地上2メートルまでだ。そこから上を切り取ってしまうと人なんてまったく見えない。建物があり、そこに陽が当たり、時折鳥が通る。なんとも静かな光景だ。私は最近、建物に陽が当たっている様が好きだなと思う。窓のすぐ近くにサンマルクの看板が見えた。ここからは縦にサンマ、までしか見えない。秋刀魚。地上から見上げると気づかないけれど、看板というものはなかなか大きい。横幅70cmはありそうである。落ちてきたら人の1人くらいは死んでしまうかも。


端の席では大柄な中年の男性が気難しそうな顔で深い呼吸をしながらよく眠っていた。私の最寄りにあるサンマルクにも、奥の席で気難しそうな顔をしながら深い呼吸でよく眠っている中年男性がいる。不思議と不快には思わず、街の(中にあるカフェの)景色によく馴染んでいる。私も自分の呼吸に意識をしばらく集中する。最近学んだことの一つ、思考が止まらず疲れた時にはとにかく自分の呼吸にだけ意識を向けて集中すること。




…………




呼吸にも飽きてまた現実的なことについて考える。サーバーの上で移行されることも修正されることもなく待ちぼうけている開発途中の資源について。月曜の朝いちばんからある担当学生の面接。朝作り直してすこしはましになったクッキーの上に載せたガナッシュ。さすがに今頃には上手く固まっているかしら?そうして、私は今考えていることについて、スマホが戻ってきて文字を起こす余裕ができた時にどれだけ覚えているだろうと考える(今こうやってそれなりの文字数で記録できているので、わりかしよく覚えていたようである)。


結局のところ私達は結婚に向いていないのよ。私達、という言葉がとても嬉しかった。主語を私と先輩、2人まとめて一つにしてくれたのが親しさの表れのようで嬉しかった。私達。私達も良いし、我々、もいい。前に付き合っていた人がよく、自分と自分の母をまとめて「我々」と言っていた。我々。村上春樹の小説に「我々」という一人称について触れた描写が何かあった気がする。我々、っていいわね。探検隊みたいで。我々は北へ向かう、とか。みたいな。違ったっけ?




そのように私は1時間を過ごした。

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