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布団の中の宇宙


足を折り畳んで、身体の下にしまって、丸い体制になって、頭から布団を被ります。息苦しいので少し小さく空気の通り道をつくっておきます。
子どもの頃は怖がりで、心霊番組を見ると怖くて眠れないので、真夏でも汗だくになって同じことをしていました。いくつになっても抜けない癖はずっと抜けないんだなと思います。
身体を縮めて丸くなっているととても落ち着きます。末端冷え性なので、なかなかあたたまらない足先を擦り合わせて、どうにかならないものかと震えています。
空気の通り道をつくったところで息苦しいのは変わりませんが、大きく呼吸をして気を紛らわせます。


他人から、どうしようもないことに対しての行き場のない感情をぶつけられることが近頃多くて、明確に自分が悪くないこと・どうしようもできなくて仕方ないことであったとしても、積もり積もったものは少しずつ、でも着々とわたしを蝕んでいく感じがします。
そこからずるずると、過去に自分に対して向けられた明らかな悪意や敵意とか、汚い自分の感情とかが、ゴミの日に出し忘れ続けてすみっこに綺麗においといたダンボールみたいな、ずっと残されたまま処理できないものが、勝手にまた崩れてきていて、煩わしさを感じています。
書き出したら楽になるのかもと思って身体の外へ出すようにしているけど、間に合っていない感じがします。

他人に向けられる黒いものに晒されるたびに、わたしはその人たちよりも素敵な世界で生きていると思うことにしています。
やさしいひとたちが周りにいて、美しいものを体感して、好きなことや好きなものがあって、嬉しいこと楽しいことをわたしは知っていると、思い出すようにしています。


一方で、自分の価値はなんだろうかと、定期的に思います。

わたしには何もない、何かがある人間になりたくて、手当たり次第いろんなことに手を出してみるけれど、何もないまま中途半端に終わっている気がします。

わたしがやっていることは何かの形でわたしに返ってくるのだろうかとか、何かになろうとする必要はないのにどこへ向かうつもりなのだろうかとか、そんなことを考えるタイミングが度々訪れます。

目に見えるものが全てではないし、自分の良さは自分で知っていられるようにしたいけれど、他人からの評価が気になったりもします。自分が自己顕示欲の塊であると感じる時に余計に、自分が惨めに感じます。これをやったら受け入れられるのか、嫌われるのか、を過剰に気にして、前にも後ろにも左右にも上下にも動けずに、八方塞がりになって、篭ってしまいたいと思う日があります。

他人からもらうのではなく自分が自分で与えなくてはならないし、それができたらもう少しうまくいくのにね


好きな人たちやものごとから受け取った、キラキラしたもので自分の中を埋め尽くしていける人生にしていきたい。
自分のエゴかもしれないけど、ひとからもらったものを返せる人間になりたいな、とおもったところで、まぶたが重くなってきたので、もうきょうは寝ようと思います

おやすみなさい

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