見出し画像

人生がエンドコンテンツに突入している

ゲームのストーリーをクリアした後にも、まだ遊べるようにと用意されているエンドコンテンツに興味がなくなったのはいつからだろうか。
ゲームによっては、クリアまでをチュートリアルとして、そこからのやり込みが面白いという人もいるけれど、今の僕はきっとストーリーをクリアしてしまったらそれで満足してしまうのだと思う。

なんでなんだろうな〜って考える。

エンドコンテンツって、大抵はストーリーの進行というゲームの目的の制約がなくなって、自由度が高く楽しめることが多くて、やりこみ要素的なものもあって、あとはネット対戦ができるゲームだとそもそもストーリーのクリアが前提になっていたりもする。
だからやり込んでいくと当たり前のようにストーリーのクリアにかかった時間よりも長く、エンドコンテンツで遊んでいるということはあったわけなんだけど。

そう思うと、今の僕の人生がかなりエンドコンテンツに近いのでは、と思う。
高校を卒業するまでって人生でいうとわりとチュートリアルで、そこから進路が人によって分岐する。
それでもまぁ、大学に行くことが当たり前、と思っていた僕からすると、大学卒業までは小学生の時くらいからぼんやり描いていた(あるいは描くよう仕向けられた)人生のストーリーだったような気がする。
それを達成してしまった今、僕はほぼ完全に自由だと言える。
このまま仕事を続けてもいいだろうし、資格をとって転職してもいいだろうし、明日仕事を辞めてもいい。極端な話、死んでしまってもいいのだ。
誰といつ結婚しようが、離婚しようが、誰と友達になろうが、やったことないスポーツや楽器を始めようが、自由だ。
学生の頃(特に小中高)は世界が狭くて、金銭的にも自由ではなかった。
だからこそ、今ある程度なんでもできてしまう現状とゲームのエンドコンテンツはかなり似ていて、ストーリーの制約から解き放たれた!これからはゲームの中で自由にやりたかったことをしよう!みたいにはならないのだ。現実で出来てしまうからね。

だからといって別に、明日仕事を辞めるわけでもないし、やりたかったことを始めるわけでもないんだけど、そういう自由が与えられていることには間違いがないんだな。

だから学生の間に何やってたかとかどんな結果を出したかとかは本当にどうでも良くて、今から何をするかなんだよな〜と思う。
どこにだって行けるわけだから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?