丁寧ごと
自分語り用のブログサイトがサービス停止するらしく、ひとまずnoteに最近気づいたことを書く。
31歳になった。31回目の誕生日1ヶ月くらい前から違和感があった。
体調が悪いとかじゃない。なんか、感じている時間と実際時計が指している時間が違うような違和感。中学生の頃思ってた「俺はこの世界の住人じゃないのかも」風な違和感。
拭えぬまま誕生日を迎えて数日して分かった。
多分、私はまだ頭のどっかで「自分は次の誕生日を迎える前に死ぬんだ」って信じ込んでいた。思春期の頃、自分は20歳になる前に死ぬと思っていたんだけど(理由はさんざっぱら自分語りブログで書いたので割愛します)、20歳を過ぎて3年5年8年と過ぎて結婚した辺りでその思い込みは消えたもんだと思ってたらまだまだ現存だった。
これで今まで通りの私だったら次の10年も同じように無意識に「来年の誕生日までに死ぬんだろうな」って信じながら生きてたと思う。
でも今回感じた違和感ってのはその先にあって、31回目の誕生日を過ぎたあとようやく気づいたのだ。
多分、私ってしばらく死なない。
毎年毎年、次の誕生日のことなんか考えたくなかったし想像もできなかった。だって来年には居ない設定だったから。
だから刹那的に生きられたし、自分のこと大事にしようとも思わなかった。“今”楽しいのがすべて。“今”苦しいのがすべて。来年のための貯金とか、将来のための健康とか、明日の美容とか、全部曖昧にしか理解出来なかった。
それが先月くらいに「この人生はあと40年くらい続くんじゃなかろうか」と気づいたときの困惑たるや。
何かの病気とか事故に巻き込まれる設定で生きて、幸か不幸か巻き込まれずにここまで来た。自分で死ぬことも出来なかった。たぶんこの先もしばらく生きなきゃいけない。
やべー、将来のこと、まじで何も考えてなかった。
そういう気付きがありました。
自分に丁寧に接するっていうのがどういうことかまだ分かってないし、将来のために改めて何を考えるのかもまだ不明瞭。もしかしたら来年も同じこと言ってるかもしれない。
歯磨きしながら「あれ?もしやこの先も人生続く…??」と気づいて、でも口頭ではうまく説明できそうになかったのでここに書いた。なかなか人に話せないしね、こういうの。
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