マガジンのカバー画像

【人生のスパイス】 (アフリカ生活編)

13
運営しているクリエイター

記事一覧

【タンザニアで学んだ話 その19】自分だからこそ何が出来る?そんな眠っている才能に気付けるのが海外生活のメリットです。現地の言葉がろくに話せない自分だからこそ、日本語を教える仕事が浮かんだ。その仕事で実際に報酬を得て、尚且つ仲間も増えていった!目の前にはチャンスしかないのです。

【タンザニアで学んだ話 その20】その国に馴染む方法はとにかく現地の人しか行かない店に入ること。飲食店など特にチャンスだ。そこでとにかく話す。気軽に声を掛けると笑顔で受け入れてくれる。カタコトでも大丈夫。彼らは察する文化がある。後はワクワクだけ。友達はすぐに出来る!
それが楽しい

【タンザニアで学んだ話 その21】情報はどこから仕入れるか?日本だとネットになるかもしれないが、タンザニアでは自分で確かめるか?信頼出来る友人に聞くのが確実!ネットで調べた良さげなカフェに行ったら、肉が無いからハンバーガーは出来ないとか、電気が止まったからコーヒーしか出来ない店。

【タンザニアで学んだ話 その22】タンザニアの話をすると、聞かれるのがタンザニアってどこ?東アフリカだから、アフリカの地図の向かって右の方って伝えている。なにも疑問に思わず納得する方が多い。ホント知られてない。たまにアフリカの首都はなんて真顔で質問する方もいる。でもホントの話です

【タンザニアで学んだ話 その23】
タンザニアでは一万円札はただの紙切れ。見せても誰も見向きもしない。しかしアメリカの100ドル札はどこも換金所でも、タンザニアのお金に替えてくれるし、そのままでも使えるところも多い。日本って有名かもしれないけど、世界での位置付けはまだまだです。

【タンザニアで学んだ話 その24】言葉もままならないのにホテルの社長さんとの打ち合わせを頼まれた。場所は家から70キロ先、もちろん車だけど、カーナビは日本の地図しか使えないからアウト。だから前日Googleマップで調べまくり、曲がる交差点を全て調べて出発。不安は全て準備で解決!

【タンザニアで学んだ話 その25】タンザニアはスワヒリ語がメインで次に英語が使われている。だから話すならスワヒリ語だと感じ、なるべくスワヒリ語を話す意識で生活した。早く出来るようになるには勇気を持って話すこと!私も辞書片手に買い物も食事もチャレンジした。意外となんとかなります。

 【タンザニアで学んだ話 その26】
実は彼らは日本人をすごい!って思っている。何をきっかけに?それは日本の車にだ。車の95%が日本製なんです。丈夫で壊れない!こんなすごい物を作る日本人はすごいって!だから行動すればドンドン会ってくれる!誰にでもチャンスがある。勇気があればね。

【タンザニアで学んだ話 その27】
タンザニアで半年程生活をしてたのですが、最も感じたことは、チャンスで溢れていると言うことだ。日本人というだけでも十二分にアドバンテージがある!何をやっても需要がある、ライバルも殆どいない!たこ焼きを作れるのはこの街であなただけ。後はやるだけ!

【タンザニアで学んだ話 その28】
農薬?お金かかるから使わない!それがタンザニアで農業を営んでる方の言い分だった。
土壌も良いので、安心で極めて美味しい!
マンゴーもパイナップルも熟した採れたてが食べれる!叫びたくなる程美味しかった!とにかく日々予期せぬ感動に出会う!ワクワク!

【タンザニアで学んだ話 その29】6年程々前タンザニアにいた時は、今でしょ!が最も成果に繋がることを学びました。なんせタンザニアの方々はなぜかよく忘れる。明日10時と前日決めても、
待ち合わせ場所にいると居ない。忘れてたらしい。だから、何事も彼らは今度より今!で進める。いいね!

【タンザニアで学んだ話 その30】6年前タンザニアで計半年ほど生活してました。そこで学んだこと。朝家の周りを歩いてると、知らない人でも、気軽に挨拶してくれる。「ジャンボ」って、
それを返答する時は「ボア」っ教わった。もちろん笑顔で!それがたまらなく心を明るくする。
挨拶は笑顔でね

6年ほど前、42歳の時アフリカで半年ほど
生活してました。かなり刺激的な半年でした。
自分らしさを手取り早く見つける方法は
海外で生活すること。これにつきる。
そこで学んだこと色々書いていきます。
因みに写真は私が住んでた家。
3LDK、庭付き駐車付きで家賃は月2万円。