人と違う、とは。ダメなこと??

高校生くらいのとき、ふと、
他人と同じことをして過ごしている人生に、「あれ?」と思った。
「これ、意味あるのか?」

周りと同じ行動をする、というのはコミュニケーションにおいてこれ以上ない有効手段だ。
それによって人脈や人間関係が凄く影響することを今もなお痛感している。
けど、それ以上に、ただ埋もれているだけの生き方がすごく嫌になった。

周りに同調する、というのは、自分の意見は言わず、周りにいい顔をする。
人間は本能的に孤立するのを嫌がるのだろうか。
やがてそれは意見を言わない自分ではなく、
意見を何も持っていない人間に変わっていることに気づいてしまった。他力本願でしか生きることが出来ない。
これは、一人で生きる力を失っている状態。

SNSをみると、花火や海を'映え'として投稿し、夏を満喫しているかのようにコメントを入れる。
その中に個性のあるものがあったか?
あれだけ色鮮やかな花火も自分には皆同じセピア色に褪せて見えてしまう。

花火が綺麗だったかどうかはどうでも良くて、周囲に取り残されないように必死な人間の姿がそこにみえた。

これは一般的に卑屈な考え方だろう。しかし、それでいい。マイナーな考えは時には、新たな観点を生み出す。
というか、物事が発展するときはいつも常識の破壊から始まるのだから、少なくとも間違えではない。

別にどちらが正義、というわけではない。量産化されたインスタ映えが正義なら、私の考え方もまた別の正義だ。


しかし、言うなれば、
量産型の人間は扱いやすい。少しメディアが流行を推せば誰もが食いつく。かんたんなマーケティングだ。メディアの真偽など疑いもせず信じてくれる。そういう人がたくさんいるからこそ、世界は平和にコントロール出来る。

おそらく、今の日本はそれが教育レベルで落とし込まれていて、脱却するには各地から発信して変えていくしかないだろう。

このnoteは、そんな思いから継続的にやっていこうと思う。