90、世界遺産2

最近はFBをかなりご無沙汰しているが、過去、現在の旅行記的な物も多く、
さて自分自身の旅行はどうだったかを考えて見た。
世界遺産をどれだけ見たのか記憶に定かではないが、ヨーロッパ、アメリカ、
日本だけでも50遺産近くは見ただろうか。ただヨーロッパに関しては1972年
の事であり、安いVWのレンタカーでワイフと一月をかけてドイツの詳しい
地図を見ながら細い道を迷いながらの約5千キロの旅だった。旅の途中で
小さな街のデリで美味しいサンドイッチを買い海岸沿いで砂浜に座って海を
見ながら食べた。残念ながらその時に撮った写真はカメラに故障があり、
全てがパーになっていた。ただ少ない記憶は鮮明に思い出として残っている。

義息の母は一人で世界81カ国を旅したと言っていたが、ぼくの場合常に家族と
一緒だったので経済的に多くの国への旅行は無理だった。ただ息子と娘は大学
卒業後アメリカの多くの学生がそうであるように就職前にヨーロッパや世界を
旅した。ヨーロッパを始め今や世界一の観光地になったマチュピチュ、アマゾン
地帯、中南米のベリーズ、ニュージーランド、オーストラリア、など子供二人
同じように大学卒業後同級生と二人でリュックを背負ってヨーロッパを回った。

ぼくのヨーロッパ旅行はイギリス(友人宅), ドイツ (義姉がフランクフルトにCA
として居住)、ケルン (2度), イタリア、オーストリア、スイス、デンマーク(友人宅)、ベルギー、オランダ、ルクセンブルグ。この旅行は1972年で世界遺産は旅行後に設立されたので後で知った箇所がある。ただフランス、スペイン、ポルトガル、ギリシャへ行かなかったのが残念である。これから機会はあるだろうか?

アメリカの世界遺産の多くは国立公園になっており、自然遺産は12カ所、文化遺産
は建築家フランク・ロイド・ライトの建築物8カ所を含めて12カ所。自然遺産は
全てが大きく、日本の自然遺産は国が小さい故か4ヶ所にとどまり歴史が古い事で
建築物の文化遺産は19カ所に上っている。アメリカの大きさに比べ日本の庭園などは箱庭的に見えてしまうのだろう。ただし大きいから良いと言う事でもない。

アメリカの自然遺産のネーミングもGrandキャニオン、Greatスモーキー山脈、
ハワイ、ヨセミテ、レッドウッド、オリンピック公園、など名前からして大きさを
表現している。文化遺産は日本には日本遺産があり、その大小よりも自然さや美しさを残す事が重要視され、いつ迄もそれらを子供や孫達に残して欲しいと願う。

ハワイは10年前の結婚40周年の時に初めて行った。アメリカ東海岸からハワイは
遠く、カリブ海の方が近いのでハワイは日本向けと言えるかも知れない。娘夫婦は
毎年一月近くマウイの家を借りて休暇を楽しみ、ぼくらもそこに滞在した。嬉しい
事は日本人観光客が少ない事だった。

又カリブ海の島々は12島ほど旅したが、中にはクルーズ船で何島か巡りをした。
多くのクルーズ船内は賭博施設があり、廊下にまでスロット・マシンがあって
二人の子供達にもやったが、ハズレばかりだった。朝から晩まで飲食は可能であり、乗客を楽しませようと娯楽やゲームが満載だった。その中でツルツルの丸太に乗り大きな枕で相手を滑り落とすゲームがあり、ぼくも参戦したが、日本人の乗客はぼくの家族だけで、初戦は勝ったが2番目の相手はテキサスの大きな男で良い試合だったが乗客の全員がテキサス相手の応援で「リーロイ、リーロイ」の大声援
ばかりだった。ぼくは奴の横からのヒットに当たり滑り落ちてしまい、乗客は
大喜びをしていた。それでも試合後テキサスの相手と握手をして終わった。
クルーズ船の乗務員、特にウエイターや皿洗い、掃除係、部屋のクリーニングは
殆どが何故か韓国人やアジア人だらけだった。
ただカリブはアメリカを始めイギリス、フランス、オランダ、など島によっては
フランスとオランダで島の半分ずつ、ハイチとドミニカ共和国なども島の半分で
国境線があった。両国往来に不自由はなかったが、言語は大体英語が通じた。

日本は北海道から沖縄まで全て旅したが、世界遺産は10数カ所になると思う。
自慢的な話で恐縮だが、これら全てはワイフと一緒か子供が出来てからは家族4人
( 時には義母も含めて)一緒の旅であり、それがより楽しかった。日本の旅行の
多くは数日間だが、アメリカでは最低でも1週間単位が多く、ぼくが日本に帰国
する時は平均3週間だった。アメリカで自分のスタジオだったからそれが許された
のだろう。或いはクライアントの理解があったからか。

これらの旅では観光施設に限らず、時間的自由さもあって好きな時に好きな場所
へ行け、それらの国の普通の人々との会話や車のエンストの時に数人で押して
もらったり、デンマークの友人の家に行った事などが楽しかった。
ただこれまでに行った所、場所が世界遺産なのかどうかではなく、そこが美しい
場所であればぼくらには関係なかった。多くの国、それも裏通りの人達との出会い
や買い物、会話が楽しかった。

こうして考えてみると1964年に海外旅行自由化になってからの日本は貧しいながらも海外へ行けることに感謝した。ぼくの時代「兼高かおる世界の旅」の番組で羨みばかりだった事が自分でそれをしている事に世界の変わりように驚き、感動を覚えた。

終。

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