見出し画像

98 微笑みと感情を

ぼくの以前住んでいたNYの北コネチカット州グリニッチに1860年に生を受けた女性グランドマ・モーゼスは78歳で本格的に絵画を描き始め80歳で’人気沸騰し101歳で亡くなるまで1600点の作品を世に出した。Googleで画像を見るとアメリカの田園風景に遊ぶ子供達や家族など美しく、楽しい気持ちにさせてくれる。

ぼくにはたった1人だが男の子の孫がいる。1964年に1人で渡米後、谷あり谷ありの連続で何とか生きてきた。幸いぼくの娘と息子は大学を卒業し、結婚して立派に成長した。ここでぼくは孫に何をして上げられるのだろうと考えた時に、過去にブログを100編以上書いてきたが、孫は日系3世であり、日本語の読み書きは出来ない。ただイラスト、絵画であれば目視だけで「お爺ちゃんはこんな人だったのだ」と理解出来ると考えた。それにイラストや絵画であれば少しでも孫の教育資金の足しになればと思い、75歳で本格的に描き始めた。

その時は世界がコロナ禍に見舞われ大変な時期であり、これをチャンスと捉え外出も控えられ家に篭って絵画に集中出来た。ぼくはデザイン作品は数多くの展覧会に出品、展示されたが作品を売った経験は一度だけである。それはコネチカットのグリニッチ図書館で確か6人展だったが、何故かぼくの作品だけが売れて変な自信がついてしまった。多分安価だったからだろうが。

ぼくの場合モーゼス女史より数年若いが、75歳で始めたイラストも似たような心境であり、また点数も少ない。来年ぼくは80歳になるが、NYで個展をやるか、東京でやるかも問題だった。しかしNYでやるには膨大な郵送費がかかる。矢張り先ず東京でやる事に決めた。

ただぼくの性格から普通のギャラリーでは普通で終わる。銀座近辺のギャラリーは1階よりもエレベーターで何階かに上がるのが多い。コネチカットなら大きな船主に知人がいたのでその船上も良い、その他東京中心部に近い倉庫、ビルの屋上、廃業銭湯、など他とは異なる場所も候補地として考えた。

結局FBの友人からエージェントである人を紹介してもらい、銀座で開催する事になりそうだ。ただコロナの状況がどうなるかが問題だが、2023年の春の可能性が出てきた。ただ自分の作品にどんな値段を付けて良いのかも知らず、この道の先輩やエージェントの経験と知識に頼らざるを得ない。

1960、70、80年代にデザイン界に革命的な変革を起こしたプッシュピン・スタジオの代表故ミルトン・グレーザー氏、シーモア・クワスト氏は健在だが、イラストレーターのポール・デイビス氏が現在世界のトップ・イラストレーターだと思っている。デイビス氏は1960, 70年代にブロードウエイのポスターやジャズアルバムなどを手掛け1963年に独立、彼のチェ・ゲバラのプロフィールは超有名である。デイビス氏はその後NYADC,イラストレーターズ・クラブ、AIGA, その他イタリアや各国のクリエイティブ団体や教育機関で殿堂入りと名誉教授などを歴任している。

そのデイビス氏とは日本の大手洋紙会社の2003年にカレンダーデザインで協力して頂き大きな賞を得た事もあり、デイビス夫人はNYADCの事務局長時代にぼくは理事だった事もあって懇意にして頂いた。ぼくの作品をデイビス氏に10点ほど送った所、激賛して頂き個展に付加する作品集の序文を書いて頂いた。ぼくの作品意図を深く読み込まれぼくの個展に大きな重みが加えられた。

現在は東京、京都、NYと考えているがまだ全てが未定である。それまで健康で元気である事が一番大切だ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

微笑みと感情を」

私はプロのイラストレーターではなく、数十年プロとしてやって来た人とは経験年数が異なりデッサン力や筆使いの技術も到底及ばない。その上絵画とはスタイル (オリジナリティ)であると考えていたので、何が自分のスタイルなのか長い間考え悩み描き始められなかった。

時代はITに変わり、スマホやPCなどいくら学んでもITは先に進み追いつけない。そこで人の温かみが垣間見えるアナログに挑戦する意味もあった。

多くのアーティスが描く自然、静物、人物、動物、風景などそれなりに哲学がある。私は抽象画は描けず、見た物をそのまま具象的に描くのはプロ、アマの多くが描く。個人的に自然界に勝る美しい作品は無いと考える。他人とは異なる作品をと考え、過去デザインの仕事で多くの世界の受賞歴から、過去に製作した子供や世界の誰でも理解出来るポスター的ビジュアル・メッセージが自分のスタイルだと吹っ切れ、技術面を除き、視点を変える事で身の回り全てが対象となり、自分が表現したいメッセージを描けば良いと開き直った。ただアメリカ生活は日本の3倍以上なのでアメリカ的感覚が強いと思っている。

気がついたのは75歳になってからで、描き始め最初の年に50点、その後コロナ禍でこれがチャンスとばかり自宅で専念し計100点余になった。展覧会はNYと考えたが海外では梱包や郵送費がかかり日本に決めた。私の作品はユーモアや風刺、人種差別、環境問題、銃規制、動物愛護など身の回り全てである。

ピカソは「芸術は見る人によって生命を与えられる」と言った。私の作品を見た人が小さな微笑みや心に何かの感情を触れられれば嬉しい。」

―――――――――――――――――――――――――――――――――

序文

グラフィックデザイン界で長く成功した後、ミノル・モリタは75歳で本格的に絵を描き始め、数年後にこの新しく過去にないオリジナル作品群を創作した。
一連作品の巧みに、そして正確に仕上げられた絵の中で、モリタは60年のアメリカ生活の引用と経験、西洋の通俗的な慣用句を見事にフィルターにかけ日本の繊細な感受性とユーモアを加えて微笑みや感情を観客に訴えている。

シュールで、不可解で、視点を変えた作品群は間接的であり観客の直接的な思考枠以外の表現で明快な夢を求めている。

作品は楽しく、面白く、美しいという表現を越え、観客は複数の意味と洞察で新しい着眼点を発見する事になるだろう。

ポール・デイビス、マーナ・デイビス
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

(みのるモリタ 意訳)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?