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田中 一光

このタイトルに巨匠達は師と呼ぶべきだが、敢えて呼称なしで
書いているのをお許し頂き、田中一光先生も呼称なしにさせて頂いた。

ぼくが田中一光氏の名前を耳にしたのは高校の時である。その頃はまさか直接
お目にかかる事など考えても見なかった。
最初にお目にかかったのは東京ADCがNYで活躍する虎新一郎氏の口利きでNY
のマスター・イーグル画廊で開かれた1985年であった。
もちろんその時ぼくにとって田中一光氏は雲の上の人物で遠くから見るだけで
口を聞いた事も無かった。ただぼくが東京のオフ・デザイン画廊で初めて開いた
個展に田中一光氏の名前があったので見に来て頂いた事はハッキリしていた。
又1979年に初めてNYTDCを日本に誘致して以来銀座伊東屋で恒例となった
展覧会にもお見えになったと聞いている。

マスター・イーグルでの東京ADC展の時に東京ADC会員の皆様が夕食会を
していた時に突然田中一光氏からぼくに電話があり、夕食を一緒にしないか
とのお誘いだった。ぼくは何が起こったのか分からず一人でご一緒するにも
勇気が必要でぼくのアシスタントを一人同行させた。レストラン日本でお会い
して緊張しながら夕食をした事を覚えている。しかしぼくは空手をやっていた
せいか、偉い人でも物怖じする事はあまりないので返って田中一光氏に好感を
持たれたようだった。その後も何度かお一人で電話を下さり、パスタがお好き
なので美味しいイタリアンへご一緒したりした。又その時に東京ADC展で
お会いした青葉益輝氏、浅葉克己氏、小島良平氏、長友啓典氏、松永真氏など
とも知遇を得る事が出来た。以来何度も田中一光氏(尊敬と親愛を表す意味で
会話中では一光さんと呼ばせて頂いたが)とお会いし、一光さんがNYへ来る
度に虎新一郎氏や金井淳氏らと共に食事をする事があった。

一光さんは1963、4年のNY世界博の日本館のデザインを担当され、丁度ぼく
が城壁の前に設営された舞台で空手の演舞をした時に見られたらしく、その時
の事をよく話されていた。又ある時は一光さんはジャズがお好きでLPジャケット
を5千枚ほど持っているとの事で一度NYのブルーノートにお連れした事がある。
その時はMJQ (Modern Jazz Quartet) の演奏で一光さんは1961年にパリでもMJQの演奏をご覧になったとかで凄く喜んでおられた。幸いにもぼくはNYの
ブルーノートの演奏者を日本のブルーノートに送る友人がおり、その時も
ご一緒したのだが彼はMJQのミルト・ジャクソンとジョン・ルイスをぼくらの
テーブルに呼んでくれて一緒に食事をした事もあった。

又1989年にNYADCと東京、大阪などでNYファイブというタイトルでNYの
日本人クリエイター5人がデザイン誌アイデアで特集が組まれNYADCや日本
でも巡回展をやる企画があり、その時にも一光さんのお骨折りでトークショー
などが開かれた。その頃から一光さんのご好意が厚くなり、ぼくのNY30年
滞在記の装丁も雑誌社から一光さんに格安でお引き受け頂いた。ぼくは帰国
する度に一光さんの事務所にはお伺いしていたが、一度は日本のブルーノート
にも連れて頂いた。ただNYのブルーノートとは全く雰囲気が異なっていた。

田中一光氏は日本の多くのデザイナーにも友知人がおられてエピソードは
尽きないだろうが、1990年に出版された「田中一光デザインの仕事机から」
の中に「さて今年1989年は1月6月と続いてニューヨークを訪ねている。
6月のある夜、虎新一郎、森田みのる、それに金井淳が私を18丁目に出来た
新しいイタリア料理店に招待してくれて皆がそれぞれの、20数年に及ぶ
ニューヨーク生活での苦労話に花が咲いた。3人3様、それぞれがアメリカ
での歴史をもったのである。私が壁画のあったEXPOの日本館の庭で、空手の
演舞を見せていたのが森田みのるであった事も、虎さんが1時CBSの出版部
にいた事も初めて知った。森田みのるは空手の選手からデザイナーに転向した
変わり者で、それだけにどこか、爽やかで純情な人である。」とお褒めの
言葉を頂いた。

ぼくはそれからも多くのアメリカの巨匠達とも知遇を得、その空気に触れた
だけで興奮したが、デザイナーとしてぼくが一番好きなのは一光さんの作品
である。それはぼくのアメリカ滞在が長く一光さんの作品を見る度に日本を
感じるからだろうか?一光さんの作品は淋派とも言われるがぼくに取っては
全て日本派だった。産経能ポスターや古典芸能ポスターなどなど、
又タイポグラフィーの素晴らしさ、その配色、大胆な構図など日本的であり
ながら世界にも通じるデザインはぼくに取って世界の巨匠のトップだった。

又2002年1月10日に突然亡くなられる前日に国際電話をしており、ぼくのある
企画のアドバイザーの承諾を得たばかりだった。友人から連絡が入り、突然の
死にただ驚くばかりだった。一光さんの場合はデザイン哲学とかいう事ではなく、
今の若いデザイナー達は一光さんの名前さえも知らない人が多い事を聞き、
日本人ではあるが是非世界の巨匠達と一緒にご登場して頂きたいと考えた。

終。

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