91, 挑戦者達


最近何かのCMで”An unsung hero”の言葉を見つけ、ぼくの
好きな言葉なので記憶に残っている。タイトルでは「名も
なきヒーロー」とあるが、直訳すると「謳われない英雄」か、
日本の「黒子」や「影の立役者」的意味になるだろうか。

ぼくがNYで好きだったテレビ番組はまさにこの言葉がピッタリ
の「プロジェクトX-挑戦者たち」で、2000年から5年放映され、
番組では「えりも岬北の家族の半世紀~」「屋久杉の島~」
「東京タワー 建設」「貧乏楽団の逆転劇~」「執念が生んだ
新幹線」「老友90歳・飛行機が姿を変えた」「青函トンネル・
24年の大工事~」「旭山動物園 」「釧路湿原 カムイの鳥 舞え」
など全放送191本になるという。

又テーマ音楽で中島みゆきが歌う「地上の星」のメロディーも
歌詞も素晴らしかった。詩の中に力強さがあり、まさに黒子的
な抒情詩は挑戦者としてのエンディングの「ヘッドライト・
テールライト」にも現れていた。

ぼくの好きな山本周五郎の作品にある「サブ」や「武士道物語」
などにある目立たぬ姿、いじめられ、失敗の連続の中にあっても
最後まで生き抜く力の表現と同様に感じられるのだった。
若い頃ぼくは「いじめ」の方だったので謝罪の意味もあったのか。

グラフィック・デザインという一見華やかな業界ではあるが、
その前は商業美術と呼ばれ一気に開花した業界の感じだった。
ぼくはデザイナーは「黒子」であるべきだと思っており、稀に
芸能人のように自己顕示欲に包まれた人がいるが、デザイナー、
匠と呼ばれる人々、職人、芸術家達は本人は口下手が多く、彼らの
作品が物を言うべきであると考えている。デザイン界のトップを
君臨したポール・ランドはメディアへの受け答えがブッキラボウで
口下手で、周りの人が心配するほどだった。ピカソにも同じ事が
言えるだろう。口が上手い人は政治家になるとか、企業の営業職の
方が適していると思う。

ただ営業面は言葉でクライアントを納得させる技術が必要であり、
クリエイティブ業界でも口の上手い人は不可欠である。ぼくは
最近元日本企業のトップの営業担当の人達とゴルフをやった。
彼らのゴルフはぼくとは段違いの上手さでその一人曰く「私達は
ゴルフと麻雀、クラブで腕を磨いたから」と言っていた。過去数人
の営業職とゴルフをしたが、皆ぼくとは格段の差だった。

書道家はパフォーマンスで観客の賛同を得られるが、デザイナーや
イラストレーターがパフォーマンスで評価を得るのは少し場所違い
の感がするのである。聞く所によると大学の講義や講演の出前出張
迄をする人がいるのに驚いたこともある。
またデザイナーが地方出身者である場合、地元の町おこし、村おこし
の為に中堅のデザイナーでも自分の名前を付けた美術館まである。
バブルの時代に素晴らしい美術館が多く建てられたが、入れ物が
多くあっても中身が無いと言う時期もあった。これらのデザイナーが
消えた後はどうなるのかは知る由も無い。
これはあくまでもぼく個人の考えであるし、何をやろうとそれが
売れれば他人がとやかく言う必要もないのだが。

社会には言葉で自己表現をする仕事(政治家、評論家、営業職、
芸能人など)、そして手仕事をする口下手職人達(陶芸家、小説家、
考古学者、医療関係者など)がいるが、両方とも必要とされる仕事
ではある。又よく目にするのは登山家、冒険家、火山の火口などの
危険地域や水中カメラマンは重い撮影機類や録音機器などの機材を
運びながら撮影しなければならず、その苦難は登山家や冒険家の比
では無いと思う。その上それがビデオや画像になった時にクレジット
として小さく名前は出てもまさに”Unsaung hero”で終わるのだ。

世界的報道カメラマンとして名高いロバート・キャパは若いカメラマン
に良い写真が撮れないの質問をされ、”You are not close enough”
と答えたと言う。「現場から遠すぎる」との意味を込めた言葉だろう。

アフガニスタンで無念の死を遂げた中村哲氏は自分の為ではなく貧しい
国の為にどれほどの労力を費やしたか想像以上である。中村氏が
資金調達の講演などを行なったが決して流暢な言葉ではなく彼の行動が
人々を感動させ、それを聞いた人達の心を打ったには違いない。
ネパールで日本式農業を奨励し、多くの学校、病院などを建設して神様
と呼ばれた日本人、中国の砂漠化を防ごうと百万本の植林活動をした
日本人など共に高齢者 (名前は記憶になし)など 無名のヒーロー達は
少なくない。

ぼくの空手の生徒達が上達し、黒帯を締めるようになってくると
アシスタントとして彼らに準備運動や基礎動作などを教える様に
なったが、ぼくは英語力不足で使った言葉は「真似をしろ」が殆ど
だったが、彼らは説明言葉が多く喋ってばかりの生徒も多かった。
ぼくがまだ茶帯の頃先生に質問した時に「お前はまだ質問する段階
ではない」と怒られた事があった。

最近では「寅さん」の番組で最後の50作目の終わりに山田監督が
「寅さん」のバイプレーヤーを紹介したが、名脇役こそデザイナー
の本質ではないかと思っている。笠智衆や志村喬、宇野重吉、
三船敏郎、森繁久弥、などなどの他に安宿の中居さんや野菜売りの
おばさん役などを演じた目立たない大部屋の女性(目立たないので
名前も忘れた)などを評価したのは素晴らしい演出だった。

今自分がこの歳になってこれらの人達に感銘するのは何故だろう?
自分が出来なかった事 (やろうともしなかったが)「何か人の為に」
と思うのは自分の命の先が見え始めてきたからだろうか。

終。

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