1997年だからこそWANDSの「錆びついたマシンガンで今を撃ち抜こう」は生まれた

はじめに

こんにちは、2000年前後のbeing作品の歌詞の解釈について書いている「品川みく」です。

私は2000年ごろ10代で、現在は30代。10代のころ好きになって何百回も聴いていた曲も、いま改めて聴くと以前とはだいぶ違った感じに聴こえてきます。私の場合は歌詞の「物語性」に特に着目しており、この曲はいったいどういう物語を描いたものなのか歌詞を解釈していくことが当時からすごく好きでした。20年の人生経験を経て、一つの曲の解釈がどのように変わっていったのか。その変化をお楽しみいただければと思います。

今回はWANDS「錆びついたマシンガンで今を撃ち抜こう」(1997年、作詞作曲は小松未歩)を紹介します。

約20年前の解釈:君と一緒にもういちど夢を追おう

ドラゴンボールの主題歌として聴いていたWANDSのこの曲が、実は小松未歩の作詞作曲だったことを小松未歩のファーストアルバムにて知ることになります。このころはまだ私は小学生で歌詞の意味もよくわかっていませんでしたが、何十回何百回と聴き込み中学生になるうにち、次第にストーリーが頭に浮かんでくるようになりました。

この曲が描いているのは、君と一緒にもういちど夢を追う物語。マシンガンが錆びついているのは、いちど夢を諦めかけて放っておいていた時期があるから。
「投げ捨てられた夢が転がってる足元が見てたら」、「動かされた心があのころと今も同じならば」などの歌詞は、いったん諦めかけていていた夢をもう一度目指そうと「君」に呼びかけていることをイメージさせます。

たとえば中学生か高校生くらいのころ、歌い手と「君」は二人でバンド活動をやるなど、夢を追っていたのでしょう。でも、親の転勤などで一度離れ離れになってしまった。その後、歌い手は夢を追い続けたものの、「君」は流されるように生きる中で夢を諦めてしまっていた。

その後大人になったあと、ふとした偶然で歌い手は「君」に再会し、「鎖に繋がれ」て歩いているような「君」の姿に、もう一度君らしく生きよう、二人でもう一度夢を追おうと誘うのです。

この曲をラブソングとして解釈してもいいんですが、私は男女の組み合わせじゃなくてもいいかなと思います。WANDSで聴けば男同士、小松未歩のセルフカバーで聴けば女同士の物語としても響きます。

現在の解釈:この曲は1997年だったからこそできたもの

この曲の解釈はその後もほぼ変わらないのですが、最近になって聴くとこの曲にリリースされた1997年という時代を感じてしまいます。

1997年はのちに日本経済の大きな転換点と言われます。アジア通貨危機をきっかけに北海道拓殖銀行、山一證券などが破綻し、バブル崩壊後もなんとか持っていた景気がいよいよ本格的に悪くなってきます。サラリーマンの平均給与はこの年をピークに下落を始め、大企業はいっせいに正社員の新卒採用を抑えました。一方、若者の間はこれまでの昭和の時代のモーレツな働き方に対する疑問も持たれており、夢を追いながら自由に働く「フリーター」という生き方が好意的に捉えられていた時期でもありました。

「錆びついたマシンガンで今を撃ち抜こう」の歌詞の中の「暗闇を抜けて人並みの暮らしを手に入れたってただ抜け殻になるだけだろう」という表現が生まれ、そんな曲がヒットしたのはまさに1997年という時代だからこそ、と思います。

1997年ごろ20歳前後で夢を追った若者たちはその後どうなったのでしょうか。もちろん大成した人も中にはいるでしょうけれど、長らく非正規雇用が拡大する時代が続き、2008年のリーマンショックの後には職を失った人も多く出ました。次第に彼らは「就職氷河期世代」と呼ばれるようになってしまいました。

後に「人並みの暮らし」をすることすら難しくなる時代が来ようとは、1997年当時はまったくわからなかったわけで、いまだとこんな歌詞を気軽に書くことはできないかなぁと思います。もちろん、いつの時代もアーティストたち本人は夢追い人だし、夢を追う歌は世に溢れているわけですが、やはり1997年という時代に独特の空気を感じます。

おわりに

歌詞の解釈に正解はないのですが、20年聴き込んでくると、時代が変化することにより同じ曲がまた違って聴こえてきます。あなたはどのようにこの曲を聴いていましたでしょうか。ひとりでもふたりでもこういう話を面白いと思ってくれる人がいたら、ぜひコメントをいただけると嬉しいです。