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ZARD「君に逢いたくなったら…」を聴きながら遠距離恋愛を乗り越えた日々を思い出す

ZARD LIVE GALLERY、最高でした

先日、有楽町マルイで開催されていた「ZARD LIVE GALLERY」に行くことができ、入口に掲げられていた坂井さん直筆の「また思い切り騒ごうね」というメッセージに感激しました。

これはもちろん「君に逢いたくなったら…」の歌詞の一部であり、その歌詞を書いたノートからの切り抜きであることはわかります。ですが、この長引くコロナ禍、親しい仲間と飲んだり、ライブに行ったり、スポーツ観戦をしたりと「思い切り騒」ぐことがなかなかできない中、坂井さんが「その日まで頑張る自分」を応援してくれているメッセージのように感じて思わず涙が出そうになりました。コロナ禍で会いたい人となかなか会えない中、この曲に何度励まされたことでしょう。坂井さんの歌詞は人の心を励ます、不思議な力を持っているように思います。

改めて、はじめに

こんにちは、2000年前後のbeing作品の歌詞の解釈について書いている「品川みく」です。

ふとしたことでbeingアーティストたちの曲への愛が一気に湧き出し、この溢れ出す気持ちを言葉にしなければ!という思いで記事を書いています。

私は2000年ごろ10代で、現在は30代。10代のころ好きになって何百回も聴いていた曲も、いま改めて聴くと以前とはだいぶ違った感じに聴こえてきます。私の場合は歌詞の「物語性」に特に着目しており、この曲はいったいどういう物語を描いたものなのか歌詞を解釈していくことが当時からすごく好きでした。20年の人生経験を経て、一つの曲の解釈がどのように変わっていったのか。その変化をお楽しみいただければと思います。

今回は、ZARD「君に逢いたくなったら…」(1997年)を紹介します。

24年前の解釈:結婚を前に少し距離を置いて互いの気持ちを確かめ合う二人

この曲がリリースされたとき私はまだ小学生。まだお小遣いでCDを買えるような年齢でもなかったので、アルバムをレンタルで借り、カセットテープにダビングして聴いていました。当時2000円ほどで買ったポータブルカセットプレーヤーが私の宝物。夜にひとりで音楽を聴きながら物思いにふけるのが楽しかった年頃でした。

ZARDも当時から私が好きだったアーティストのひとつで、楽曲にどのような物語が描かれているのか想像しながら楽しんでいました。「君に逢いたくなったら…」は比較的解釈しやすかった曲です。

歌い手は20代前半くらいの若い女性。いつかは自分も結婚するだろうとは思っていたけれど、大好きな恋人から突然プロポーズを受けた。とても嬉しいのだけれど、人生の大事な決断、少しだけ距離を置いて、気持ちを確かめ合いたい。そんな曲だと思っていました。

逢いたい気持ちを頑張る気持ちに変えて。そんな恋愛が素敵だなぁと思う一方、それだけ好き合っていたら早く結婚してしまえばいいのに、という気持ちもありました。しかし、それから10年ほどして、私はこの曲にかなり近い物語を歩むことになるのです。

現在の解釈:自分の夢が叶うまで、もう少し待って

それから10年ほどが経ち、私は後に結婚することとなる人と出会います。出会いから一気に距離を詰め、付き合うこととなった二人。「結婚したい」という思いは付き合った当初からありました。でもそのとき私はまだ社会人になったばかりで恋人はまだ大学生。しかも、関東と関西という距離もありました。お互い、やりたいことを仕事にするべく必死になってる今。その姿が好きだから、全てを投げ打って相手についていくというわけにはいきません。そこで、条件付きのプロポーズが成立するのです。

「お互いに自分のやりたいことを仕事にすること、一緒に暮らせる状況が整うこと、この2つが叶ったら、結婚しよう」

その条件が叶うまで、私達は「君に逢いたくなったら…」が描いた世界を生きました。距離が離れているので、会えるのは1〜2ヶ月に一度だけ。会えない時間を自分の夢へと向かう時間として「君に逢いたくなったらその日までガンバル」日々を送ります。無理を重ねることもしばしばで、「大丈夫だよという君の言葉が一番大丈夫じゃない」と思ったことも何度あったでしょう。

実に5年の歳月がかかりましたが、最終的には「運命が二人の味方をしてくれ」私達は結ばれることができたのでした。

ここまで長い時間を想定したものではなかったかもしれませんが、「君に逢いたくなったらその日までガンバル自分でいたい」という歌詞から、私はこの曲に自分の夢が叶うまで、少しだけ結婚を待ってもらったというストーリーを思い浮かべています。

おわりに

歌詞の解釈に正解はありません。私の解釈もその一つに過ぎず、どういう解釈をするかは自由ですが、私の場合は、時間を経て経験を経て同じ曲が違ったものとして聴こえてくるその変化がとても面白いのです。また音楽ともに過ごした時間に私自身が変化していったことも。
ひとりでもふたりでもこういう話を面白いと思ってくれる人がいたら、ぜひコメントをいただけると嬉しいです。