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悪いのはあなた?それとも私?――小松未歩「神様はジッと見てる」

はじめに

こんにちは、2000年前後のbeing作品の歌詞の解釈について書いている「品川みく」です。
今回は、「神様はジッと見てる」(2006年)について、twitterのフォロワーさんと解釈の違いを楽しんだ話をさせていただきます。

品川みくの解釈:悪いのは元カレへの未練を断ち切れない私

1番では「あなただけに罰を」とカレを責めつつ、2番では一転して「私に非があるの」と歌い手自身を責めるこの曲。いったい悪いのはどちらなのでしょう?

私、品川みくは、「歌い手が前の恋の未練を断ち切れない」ことが悪いものと考えました。

1番メロ、「偶然通りかかったテラスにあなたが居」て、そこで「他の女(ひと)と笑ってるとこ見せる」のは、いかにもカレの浮気現場を目撃してしまった、という感じですよね。

1番サビでは、歌い手は神様には悪意はなく、彼の真実を私に見せてくれたと思っています。
その上で、主人公は、カレが、自分のことだけが好きだと、あるいは今日は違う予定があるなどと「ウソをついた」ことを責め、彼に罰を与えてくれと神様に祈ります。とはいっても、それで別れたいというわけではなく、「ヘタな言い訳していいから早くこの場をおさめて」と自分の元に戻ってくることを願っているわけです。

では、カレは本当に浮気をしていたのでしょうか?
私、品川みくは、それは違うと思っています。
1番サビの後に彼がしたのは「ヘタな言い訳」ではなく、仕事の相手だったり、親戚だったりと、聞けば納得するような説明でした。

2番メロは歌い手自身が内省するターンとなります。
なぜ他の女性と洒落た店先で笑っている姿を見せるだけで、それを浮気だと確信してカレに詰め寄ったのか。
それは歌い手自身が「捨てきれずにいた想い」を「隠し続けてた」から。
歌い手自身、今の彼を好きな気持ちに嘘はないけれど、本当は、前のカレのことを忘れられていない。だからこそ、自分を好いてくれている今の彼も、本当は他の女性を好きな気持ちも持っているんじゃないのかという不安な気持ちでいるのです。

「ウソをついたあなた(彼)だけに罰を」なんて思ってしまったけれど「本当は違う 私に非があるの」。浮気を疑ってカレを哀しませてしまった。だから、どうか自分自身に罰を与えて欲しいと歌い手は願うのです。

神様は「カレが他の女性と楽しげに過ごす姿」は、歌い手自身が捨てきれずにいる「元カレと一緒に過ごす姿」の幻想を映し鏡のように見せてくれたのです。2回目のサビでは、歌い手は真実を言えば(元カレのことを忘れらない気持ちを伝えてしまえば)カレを傷つけてしまうと、この気持ちを隠し続けて付き合ってきた自分の罪と向き合うのです。

3回目のサビでは「どうしてそんなに自分のことを疑うの?」と聞いていたカレに、歌い手は自分自身の正直な気持ちを話します。すると、彼は歌い手の気持ちを受け止めてくれて、それでもなお、一緒に付き合っていく道を歩もうとしてくれるのでした。「(元カレへの気持ちをまだ捨てきれていない)こんな私でもいいの?」と思わず心がほころぶのでした。

結局、神様は歌い手が元カレへの気持ちを捨てきれていない気持ちを分かっていて、歌い手自身がそのことに気づくように「映し鏡」のようにカレが他の女性と一緒にいる姿を見せてくれました。そしてそれがきっかけとなって「素直になるチャンス」が与えられて、カレともう一歩踏み込んだ関係を作っていくことができるようになりました。

神様はきっと私のことをジッと見て見守ってくれている。歌い手はそう確信するのです。

優月さんの解釈:悪いのは浮気性のあなたと、それでも別れられない私

 
一方、twitterつながりの優月さんは、この曲に違うストーリーを思い浮かべていました。

 
優月さんから頂いた解釈を私なりに再構成して文章にしてみたのが以下のものです。
 
1番メロ、「偶然通りかかったテラスにあなたが居」て、そこで「他の女(ひと)と笑ってるとこ見せる」のを歌い手がカレの浮気現場として捉えているところまでは私(品川みく)の解釈と一緒です。違いはその後で、私、品川みくは、この現場は歌い手の勘違い(シロ)と解釈しましたが、優月さんは明らかな浮気現場(クロ)と解釈したところが大きく違います。

小松未歩楽曲の中にときどきある主人公像として、「diplomacy」や「at him!」など、「浮気性のダメ男を好きになってしまうダメな自分」というのがあり、この曲もそのような主人公像を想像するとすっとストーリーに入っていける気がします。
 
1度目の浮気疑惑だったら、まずは、「彼が信じられない」とか「信じていたのに裏切られた」などと思うところで、「ヘタな言い訳していいから早くこの場をおさめて」なんて言葉は到底出てきませんよね。きっと彼はこれまでに何度も浮気をしてきた浮気性、もしくは気分屋の男で、それが分かっててもなお歌い手はカレに入れ込んでしまっているのです。
 
すると、2番では歌い手は「そんなカレへの気持ち諦めきれずにいること」を反省しているのでしょう。神様は彼が浮気性であることを何度も自分に見せつけて、早く諦めなよと伝えてくれている。そんな神様を裏切るように「今の好きな気持ち」ばかり優先して見たくないものを見ないようにしてきた自分こそ神様から罰を受けるべき存在だと思うのです。
 
3回目のサビ以後はいよいよカレと別れる決心を固めます。このままカレとの関係を続けていて幸せになれるはずはない。自分の気持ちに素直になるチャンスを神様は与えてくれたのです。この思いを断ち切るのはすごくつらいことだけれど、このまま続けていても未来はない、「それに気づけて良かった」。神様はついその時々の感情に動かされ「ダメ男」にほだされがちな歌い手のことを見守っていてくれるのだと歌い手は確信するのです。
 

おわりに:優月さんに感謝

優月さんの解釈は私の思い描いたストーリーとはだいぶ違うものでしたが、なるほどそのストーリーもあり得るし、面白いと感じています。歌詞の解釈に正解はありませんが、長年この曲を聴きこんできたファンが、それぞれどのように解釈したのかを知るのはとても楽しいです。お互いの解釈を知ることにより、何年経ってもまだまだ新しい発見があります。

このnoteの読み手のあなたが思い浮かべたストーリーは、私、品川みく、それとも優月さんのどちらの解釈に近かったでしょうか? それとも全く違うものだったでしょうか。
こうした話が面白いと思っていただければ、ぜひコメントをいただけるとうれしいです。

それでは、また。