過去の思い出に縋る。

また昔やりとりしていた人達のことを思い出してはSNSで必死に探している。
mixiはさすがにもうやってないだろ、と思いつつ、探して見つけて連絡をとりたくなっている。

10年以上、メールや手紙のやりとりをしている人がいた。
私は年齢も名前も性別も偽っていた。その当時はまだ小学生くらいだったし、女よりも男がよかった。なので名前も男っぽいのにした。
そうしたら同い年(年上になるけど)の女性からメッセージがきたのが始まり。

精神的に病み始めた時期だった。私も彼女も。
お互いがお互いを支えていた。本当に支えだった。暇があればメールをした。喧嘩もしたし愛も囁き合っていた。メールだけど。
彼女はよく手紙を書いた。私は今もたくさんの手紙を捨てられずにいる。

私が性別や年齢を偽っていること、長くやりとりをしていた彼女はとっくにもう気がついていると思う。
それでも未だに私の誕生日には「おめでとう、華月」とメールをくれる。さすがにもうそれ以上のやりとりを彼女は望まなくなったけれど。

私は今、その時の思い出に縋りついている。
分かりやすいくらいに愛されていた、大切に思われていた。それが当たり前だったあの頃の思い出に縋りついている。
またメールのやりとりをしたいかと聞かれると、多分できないと思う。私も彼女も変わってしまった。もう昔のようなやりとりは難しいだろうから。
それなのにこうして何とか彼女ともう一度繋がろうとしてしまうのは、あの「誰かに尽くされる」ということが「当たり前だった」あの時に戻りたいからなんだと思う。

カウンセリングの先生は「誰かと繋がっていたいと思えるなら、元気が出てきたということだね」と笑ったけれど、こんな元気なら私は要らない。

惨めすぎない?
元彼に縋って、元親友に縋って、元メル友に縋って。
なんて惨めなんだ私。
そう思うのに検索する手を止められない。

「思考に支配されないよう、体を動かして何かすること。それを今週は心掛けてみて」
カウンセリングの先生に教えてもらった。
1時間、スマホを触らない。触らない代わりに何かする。違うことを考える。

寂しい。寂しくてたまらない。でも、構われるとそっとしておいてほしくなる、この面倒くさい感じ。

これを「元気」と呼ぶなら、私はこの無駄な元気を少しでも良い方に使いたい。
今を生きなきゃいかんと思う。もう忘れてしまわねばと思う。
誰か忘れ方を教えてほしい。
ああもう嫌だ。