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書きたいのに、書けない。

「これ読んどいて」。


社会人になってから、そう言われることが増えた。




今年の4月。
大学生から会社員になった。


仕事は楽しい。充実している。

周りの人にも恵まれた。

それなのに。

何か、しんどい。

理由は何となく自覚していた。



書きたいように、書けない。

私は知財部という場所で、特許の仕事をしている。

もう少し細かく言うと、特許出願に向けて、社内のエンジニアや特許事務所に必要事項を説明して回る仕事だ。


新たな発明について知るのは楽しい。

が、その革新的な技術を、私は何1つ外で語ることができない。


なぜなら特許は、出願前に発明が公になってしまえば原則、権利が取れなくなってしまうから。

新卒の小娘たった1人が口を滑らせれば、何億、場合によっては何十億のお金が飛ぶ。



「こんなに凄い技術があるんですよ!」

と言いたいのに、何1つ言えない。

「……じゃあ、プライベートで
仕事以外のことを好きに書くか」

そう思ったのも束の間。


書けない。


1日8時間、会社で働いて。

休日には資格の勉強をして、業務に関わる本を読んで。

体力がもたない。


自分が関わるからには、プラスほんの数ミリでも力になりたい。

そのための行動はしているし、ささやかながら成果も出しつつある。



でも、ふとしたときに浮かぶのは

「寝たい」「休みたい」「もう疲れた」

の3拍子。



仕事は好きだけど、身体が追いつかない。

そこから更に、自分の書きたい文章を書く。

無理……




環境に文句はない。

私が力を発揮できるよう、最善を尽くしてくださっている。

そのおかげで、嬉しいことが沢山あった。


例えば……

知的財産管理技能士という国家資格を入社早々受検、合格点を余裕で突破。

30冊以上の専門書を読んで、未経験から質問できるレベルまでには到達。

「掴むのが早いですね」
「書いてくださる文章がしっかりしているので、今後が楽しみです」
「私の分も代わりに説明してもらいたいくらいです」

こうして、いつも優しく褒めてくださる、穏やかな上司の元で働いている。


本当にありがたい。にもかかわらず

なんか、心が、重い。

贅沢な悩みだと、わかってはいるんだけれど。



そんなとき「なぜ、私は書くのか」というコンテストを見つけた。

応募作に綴られる、その書き手ならではの濃厚な思いやエピソード。

眩しかった。


私には推しもいなければ、人生を変えてもらったと言えるほどの作品もない。


「読んでくれたら嬉しいな」

そう思える相手はいても


「この出来事があったから…!」とか

「この人のために全てを捧げる…!!」とか

そんな絶対的な話はない。



私にとって、文章は日常だ。


学生時代は年間300冊以上の本を読んで、読書感想文や学生向け作文コンテストは入賞しないことの方が少ないくらいだったけれど。

でも、それだけ。


文学賞も脚本賞もエッセイ賞も、全部1ミリも引っかからなくって。

あくまで学生の中では上手い、レベル。


Webライターとして、学業と並行して仕事をしていた時期もあったけれど、結局クライアントワークに疲れて、ほぼ辞めてしまった。



The商業!やアーティスティックな世界から離れた今は、仕事中の

「これ、読んどいて」

の一言で、技術者が当たり前に読んでくれる文章に携わっている。



特許に「読ませる工夫」なんて概念はない。


精密さや技術知識などが必要な、高度な仕事ではある。

社会的に意義のある仕事で、リスペクトもしている。



それでも、本やインターネットの文章にある

「いいから私を見ろ!!!」

「開け!!!!!」


と言った気迫や執念は、感じない。


それが私には、少し物足りない。

隣の芝生が青いだけなのかな。

どちらが良いとかはなく、単なる好みの問題だと、わかってはいるのだけれど。




……じゃあ、私はどうする?

書けることもないし、外に言葉を発するのは辞めておく??




嫌だ。

いや。

やだ。

私も、書く。





私が文章を書く理由。

それは「こんな人でも文章を書いていいのだ」と、世界に知らしめるためだと思う。



高尚な理由がなくたって。

特別に文章が上手くなくたって。

ヘタレだって。ビビりだって。

すぐにグズグズ言い訳する弱虫だって。

書いていい。



文章には、人柄や人間性があらわれる。

だからこそ

「もう書くの、やめよ」
「読み専くらいが気楽でいいや」

となる自分もいる。


みんな立派な人ばかりだから。

私が書く必要なんてない。


ただ、もしその書き手の1人に、プライド高くて性格もそんなによろしくない私のような人がいたなら?

「あの人でも、あの程度でも書いていいのなら、私も書いていいのでは……」

と、少し思える気がする!
(文字にすると情けないな)




私が文章を書く理由。それは

あなたに書いてほしいから。


心揺さぶる素晴らしい文章を書いてくれたなら、きっと私はそれを見て

「自分もこんな文章が書きたい!」

と感動しながら、筆を取れる。



普通のあんまり面白くない文章(失礼)を書いてくれたなら、きっと私はそれを見て

「あっ、こんなもんでいいんだな!」

とホッと肩の力が抜けて、自然体なまま筆を取れる!!




要はどちらでもいい。でも、ひとりはさびしい。

だから、書いて。お願い!


書くより読んでいる方が好き?

まぁそう言わず、試しに書いてみてよ。
1回だけ。


もう嫌ってくらい書き飽きた?

じゃあ、ちょっと休んでから、
また気が向いたら書いて見せてよ。

私も書いてみる。

短所・長所まるごと文章にして、曝してみせるから。



私の1番嬉しい瞬間。


noteの通知欄に赤く光る、1の表示。

「この前、買ったnoteの更新通知かな」


そう思いながら確認すると……


「○○さんがスキしました」

全身が、ぱぁぁぁと熱くなる。

血流が早くなる。


思わず、画面の前で1人

「ありがとうございます!!」

と言葉がこぼれ出る。



好きに書けるって、幸せなこと。そして、その幸せは、人と分かち合って何倍にもなる。


「参りました!!」

と思える文章に出会えたなら。


「書きたい」が「書けない」を打ち破って、自然と文章を書けるようになっている。

少なくとも、私はそう。


書きたいのに書けないあなたに、私は書いてほしい。

だって、そんな葛藤を抱えた人の言葉を、私は聴きたいから。乗り越えた先の景色を知りたいから。


筆が折れたなら、直して。

気に入らないなら、買い替えて。

何なら折れたまま、書き続けて。

握り続けていて。

手を離したなら、また気が向いたときに握って。


毎日投稿を続ける根性も、1作品ずつ丁寧に仕上げていく細やかさもない私と、一緒に書いて。

ね、お願い。



無駄な文章なんてない。


どんなにめちゃくちゃなどうしようもない文章を書いても、誰かの何らかの役に立っている。

あなたの文章が存在することに、私は救われている。


だから、もっともっと文章があふれてほしい。

あなたの文章を、私は読みたい。

感化されてみたい。


これが、私の書く理由。



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和澄しゃいん(@hikarinooto3)

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