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まだまだ続く文字盤上の天使の分け前 Grateful Dead - Wake of the Flood: Angel's Share

「まだ続く文字盤上の天使の分け前 Grateful Dead - Wake of the Flood: Angel's Share」からのつづき)

◎先送りの2曲

たとえば、ビーチボーイズのPet Soundsセッションズの終盤に、Good Vibrationsの初期テイク(というか、あの曲は、複数のテイクを合成しているので、そのパーツは「テイク」ではなく、「セグメント」と呼ぶのが適切だろう)が録音されているように、デッドのWake of the Flood: Angel's Shareには、つぎのアルバムに収録されることになる曲が入っている。

フィル・レッシュ作のUnbroken Chainは、テイクというより、ライティング・セッションに近い。ガルシアと話し合いながら、構成、コードの変更がおこなわれる過程が記録されている。天使の分け前にはテイク1から8まで収録されているが、いずれも、イントロであるとか、ヴァースからコーラスへの移行部であるとか、曲の構成を固める過程の短い断片にすぎず、頭から尻尾までそろったコンプリート・テイクはない。


グレイトフル・デッド・レコードのセカンド・リリース、From the Mars Hotel, 1974


Unbroken Chainは、このセッションでは完成に至らず、Wake of the Floodに収録されなかったのだろうが、もう一曲、ジェリー・ガルシア作のChina Dollはテイク1から4までが収録され、テイク3以外はコンプリートしている。この曲がWake of the Floodに収録されず、つぎのFrom the Mars Hotelにまわされたのは、たんに、収録時間のせいだろう。テイク4はもうOKでよい出来だ。

◎ベスト・インプロヴ・ヴィークル

Wake of the Floodは、衆目の一致するところのデッドの代表作であるWorkingman's DeadとAmerican Beautyという2枚のアコースティック・アルバムに勝るとも劣らぬ高打率アルバムで、その後、何度もライヴでプレイされることになる多くのデッド・クラシックスを生んだ。プレイ回数まで加味して計算すれば、二枚のアコースティック・アルバムを凌ぐデッド史上最高打率の盤ではないだろうか。


Graeteful Dead - Rocking the Cradle, Egypt 1978
ピラミッドの前にステージを組んだ1978年のエジプト・ツアーでもEyes of the Worldをやった。


なかでもStella BlueとEyes of the Worldは、無数のライヴ盤/セットに収録されている。演奏回数から云えば、ガルシアがもっとも好んだ自作のひとつだ。わが家のHDDを検索すると、55種類のEyes of the Worldがヒットする。マスタリング違いにすぎないものも含まれているので、それをのぞいても50種ぐらいのライヴ・ヴァージョンを持っていることになる。Stella Blueについても、ほぼ同数という検索結果だった。

参考として、他の多数回演奏曲をあげると、Truckin'が80種ほど、Uncle John's Bandが65種前後、Casey Jonesが60種ほど、ボブ・ウィアの曲としてはSugar Magnoliaが110種ほどあり、これが最多演奏曲かもしれない。

◎詩と音

いまはデッドの本が山ほど出ているが、ガルシアが生きているころはそれほど充実しておらず、数冊しか持っていなかった。そのうちの一冊、ブレア・ジャクソンなる人間のGrateful Dead: The Music Never Stoppedという代物をうっかり買ってしまい、途中まで読んだのだが、あまりの馬鹿馬鹿しさに腹を立て、投げ出した。


最低の本だった!


あのくだらないDead SetとReckoning(前者はエレクトリック・セット、後者はアコースティック・セットの記録で、この年のツアーの構成を反映している)という、80年のツアーを記録した2セットを最高のアルバムだなどと、呆れ返った世迷言を書き散らしていたのだ。

あのツアーの前にキース・ゴドショーが辞め、かわって名前も書きたくないほど下手くそで大嫌いなプレイヤーがデッドのピアノ・ストゥールに坐ったわけで、あそこでデッドは一度死んだというくらいつまらないアルバムを、ジャクソンという男は絶賛していた。


Graeteful Dead - Dead Set こちらは80年のツアーのエレクトリック・セットのほうを記録した。


もうひとつ腹を立てたことがあった。Stella Blueと並ぶ、Wake of the Floodのベスト・カットであるEyes of the Worldを、よりによって、歌詞が楽天的すぎる愚作、と断じていたのだ。

ガルシアのソングライティング・パートナーであるロバート・ハンターは、ポップ・ミュージックの作詞家ではない。「わかりやすい歌詞」などというものは書いたことがなく、「作詞家」というよりは、「詩人」というべきだろう。しかし、だからと云って、ポジティヴな気分を詩に書いてはいけない、などという馬鹿な話はない。人間、誰しも、生きていることは素晴らしい、と思う瞬間はある。それを詩にして何が悪い。


むやみに若いジェリー・ガルシアとロバート・ハンター。1962年。デッドよりはるかに前のこと。


まあ、そういうわたしも、日本語の唄で、歌詞が馬鹿らしくて索然となることはあるが、それでもなお、歌詞ゆえに曲を全否定したりはしない。音はつねに歌詞の上にある。音がよいは七難隠すのだ。

◎ジャム・バンド

じっさい、Eyes of the Worldは、デッドのレパートリーの中心に据わることになり、それは1995年のガルシアの死までつづく。それは詩のせいではない。コード進行のせいだ。

ライヴのデッドはジャム・バンドである。その意味ではオールマン・ブラザーズと同列に論じるのは的外れではない(「同じリーグ」とは思わないが)。もともと2:30のコンパクトな曲など、レパートリーにはないが、ライヴでは、アコースティック・セットでのコンパクトな曲はあっても、エレクトリック・セットになると、みな長い。60年代、デッドの名を高からしめたダブル・アルバム、Live/Deadの冒頭、ディスク1のA面に収録されたDark Starのプレイング・タイムは23:18で、その大部分はインプロヴ、ジャムである。

それを翌年のWorkingman's Deadで大転換し、その時期のライヴ・ギグのアコースティック・セットではコンパクトに歌を聴かせるスタイルをとったが、その時でも、第2部のエレクトリック・セットでは、やはり長いジャムをやっている。そしてそれは、ガルシアが没する1995年までまったく変わらなかった。


Grateful Dead - Dave’s Picks Volume 17 Selland Arena Fresno CA 1974-07-19


Eyes of the Worldのコード進行は自明ではないのだが、ジャムに入ると、スタジオ録音のフェイド・アウトで使われているシンプルなEmaj7とBmの2コード進行が中心になる。コード・チェンジに気を遣わずに、気持よく、永遠に弾いていられるパターンだ。

メイジャーやセヴンスではなく、メイジャーセヴンスと4度のマイナーの組み合わせだというのも、ブルーズ系のインプロヴ・ヴィークルとは異なるフレーズをつくれるので、それもライヴでのやりやすさにつながっただろう。

どうであれ、1973年秋、Wake of the Floodにはじめて針を載せたあの夜、Eyes of the Worldを一聴したとたん、これはデッド・オール・タイム・クラシックだと直覚した。Uncle John's Band以来のひと目惚れだった。

◎メイジャーセヴンスからメイジャーへの微妙な遷移

天使の分け前には四つのEyes of the Worldが収録されている。最初はテイク番号なしで「ラン・スルー」と注釈されている。リハーサルの断片だと思うが、その尻尾のほうで、ガルシアが「You're rushing」と云っている。カッティングをやっているウィアに「走ってるぞ」と注意したのだ。たしかに、速めの曲でああいうカッティングをしていると、いつのまにか拍を食って前に行ってしまうことはある。

ガルシアがかつて「誰かが何かをしたいと云えば、とりあえず反対はしない」、やるだけやってみればいい、と彼の姿勢を語っていて、デッドは拘束の少ない自由な集合体なのだが、この言葉を聞いて、そうはいっても、こと音になると、やっぱりガルシアはつねにボスだったのだな、と納得した。


Grateful Dead - Dave's Picks Volume 17 Selland Arena Fresno CA 1974-07-19 薔薇と骸骨、カラス、ベア、ライトニング・ボルトと、亀をのぞいてデッド・キャラクター揃い踏みデザイン。


つぎのテイク1では、ヴァースからコーラスへのつなぎ目でガルシアがホールドし、「最後のところはEだ、Eメイジャーセヴンスじゃない」と、これまたウィアに注意している。メイジャー、メイジャーセヴンス、どちらでやってもミスには聞こえない箇所だ。しかし、差異はある。

メイジャーセヴンスというのは鵺のようなコードだ。Emaj7は見ようによってはB6thだし、なんならG#mのふりをすることもできる。ベースの動き方しだいでは、ルートがどこだかわからなくなるのだ。それが見当識喪失の浮遊感を生む。メイジャーセヴンスを中心にして曲をつくるというのはそういうことなのだ。

Eyes of the Worldも、ヴァースではこのメイジャーセヴンスの生む浮遊感を利用しているのだが、コーラスは一転してほぼGとCの二つのメイジャー・コードで構成される、安定感抜群のポジティヴで力強い響きになる。

という風に考えていたのだが、改めてヴァースのコード・チェンジを検討してみたら、そういう単純な構造ではないように思えてきた。Eメイジャーセヴンスを使っているのはヴァース前半の2行だけで、後半はEメイジャーではないだろうか。ガルシアが云っている「last E」だけでなく、頭のEもメイジャーらしい。


Grateful Dead - Dave's Picks Volume 38 Nassau Veterans Memorial Coliseum, Uniondale, NY, 1973-09-08 マイクロフォンにちゃんとスカル&ライトニングが描かれている。


◎作曲家としてのジェリー・ガルシア

考え込んだ。こうではないか、ヴァースの頭はメイジャーセヴンスのややグルーミーなムードで入り、ヴァース後半でEをメイジャーに変えることで、少しポジティヴな響きを持たせ、そこから全面的にポジティヴなG+Cメイジャーの明るい雰囲気に雪崩れ込む、これがガルシアの意図なのでは?

意外と云っては失礼だけれど、カントリー・ルーツの人なので、これほど繊細なコード・チェンジをするとは思っておらず、Eyes of the Worldも半世紀の長きに渡って、「メイジャーセヴンスのルートが失われたような浮遊感を利用した秀作」ぐらいの単純なレベルで捉えてきた。

ただ、ブレア・ジャクソンとはまったく逆に、この曲はソングライターとしてのジェリー・ガルシアの、Stella Blueと並ぶ代表作だとは思っていた。そして、この微妙なコードの遷移に気づいてみたら、意識にのぼらせてはいなかったけれど、EメイジャーセヴンスとEメイジャーを気づかれにくいようにそっと混在させておく、という羽織の裏地に凝るような精妙さに無意識に反応していたのだと腑に落ちた。


ロバート・ハンターとジェリー・ガルシア


しつこいが、歌詞がよくない、なんていう些事に耳を曇らされるような奴は音楽評論をやってはいけない。作曲家ジェリー・ガルシアの精妙な技術が頂点に達した瞬間に気づかずに通り過ぎるとは、なんとマヌケな奴だ。まあ、こっちだって、気づくのに半世紀かかったが、Better late than neverである。

◎ボブ・ウィア畢生の大作

Wake of the Flood: Angel's Shareに収録されているのは、あとはキース・ゴドショーのデッドの一員としての処女作であるLet Me Sing Your Blues Awayと、ボブ・ウィアの「組曲・ウェザー・リポート」だが、前者は一度も面白いと感じたことがなく、語るに足らず。いっぽう、ウィアの曲は三部構成の大作で、簡単には書けない。

また、これまで触れなかったWake of the Flood収録曲としては、Row JimmyとHere Comes Sunshineがあるが、この二曲はAngel's Shareには断片すら入っていない。ただし、50周年記念拡大版に、後者のデモが収録されているので、ウィアの組曲とともに、つぎの機会にふれることにする。

今回が最後になるはずだったのだが、当てごとと何とかは向こうから外れる、さらに延長戦をつづける。


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