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ルバイヤート、奥の細道、平家物語、方丈記 (その二)無常観


◎万象の海


前回に引き続き、さらにハイヤームの四行詩を引用する。すべて青空文庫に収録されている小川亮作訳だが、無用に思えるルビは省いた。

もともと無理やりつれ出された世界なんだ、
生きてなやみのほか得るところ何があったか?
今は、何のために来《きた》り住みそして去るのやら
わかりもしないで、しぶしぶ世を去るのだ!

自分が来て宇宙になんの益があったか?
また行けばとて格別変化があったか?
いったい何のためにこうして来り去るのか、
この耳に説きあかしてくれた人があったか?

創世の神秘は君もわれも知らない。
その謎は君やわれには解けない。
何を言い合おうと幕の外のこと、
その幕がおりたらわれらは形もない。

この万象の海ほど不思議なものはない、
誰ひとりそのみなもとをつきとめた人はない。
あてずっぽうにめいめい勝手なことは言ったが、
真相を明らかにすることは誰にも出来ない。



この道を歩んで行った人たちは、ねえ酒姫《サーキイ》、
もうあの誇らしい地のふところに臥《ふ》したよ。
酒をのんで、おれの言うことをききたまえ――
 あの人たちの言ったことはただの風だよ。

愚かしい者ども知恵の結晶をもとめては
大空のめぐる中でくさぐさの論を立てた。
だが、ついに宇宙の謎には達せず、
しばしたわごとしてやがてねむりこけた!

よい人と一生安らかにいたとて、
一生この世の栄耀《えよう》をつくしたとて、
所詮は旅出する身の上だもの、
すべて一場の夢さ、一生に何を見たとて。

この永遠の旅路を人はただ歩み去るばかり、
帰って来て謎をあかしてくれる人はない。
気をつけてこのはたごやに忘れものをするな、
出て行ったが最後二度と再び帰っては来れない。

以上、学問、哲学、宇宙、人生観などにまつわるものを選んでみた。いずれも明快で、わかりにくいところはどこにもない。

四行詩なので、短時間で読めるし、要約など無用だろう。これは十指の指すところ、無常観の産物である。そして、現世を生きろ、過去や未来ではなく、現在を見ろと説く心の底には、存在の無意味の認識がある。

◎百代の過客:共有された無常観


これでは、誰だって、連想するものは同じだ。

行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しく止まる事なし。世の中にある人と住家と、またかくの如し。
――鴨長明「方丈記」序

ハイヤームは11~12世紀の人、鴨長明は12~13世紀なので、百年ほど時を隔てているが、世界観を共有している。


赤間神宮の芳一堂におさめられた、琵琶を弾く耳なし芳一の像(故・岡崎秀美氏撮影。かつて、芳一のことを書くときに使いなさいと託された数十点のうちの一枚)


あるいは、こちらのほうを思い浮かべる人も多いだろう。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理を顕す。奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
――「平家物語」

ただし、そのあとを読めばわかるが、これは無常観の吐露というより、「奢れる」とろくなことにならない、という戒めの言葉である。モラルを説いているのだ。


平家の亡霊たちの前で琵琶を弾き、語りをする芳一(小林正樹監督『怪談』より、芳一を演じるは中村嘉葎雄。音楽監督は武満徹、琵琶演奏は鶴田錦史)


もうひとつ引用する。

月日は百代の過客にして、
行きかふ年もまた旅人なり。
 
舟の上に生涯を浮かべ、
馬の口とらへて老いを迎ふる者は、
日々旅にして旅をすみかとす。
古人も多く旅に死せるあり。

――芭蕉「奥の細道」

人生を旅ととらえるのはごく一般的なことで、そんなものを共通点としてあげるのは気が引けるが、ハイヤームの四行詩にもしばしば登場する観念、譬えであり、ハイヤームは現世を「宿屋」に譬えている。


芭蕉の奥州路の起点である千住大橋のたもとにある碑


こうして、ハイヤーム四行詩数首、方丈記、平家物語、奥の細道の冒頭を並べて、何か云おうと思っていたのだが、その必要はないような気がしてきた。引用がすべてを語っている。こういうバックグラウンドを持っているので、ハイヤームの四行詩は、日本人にはすんなりうなずけるものばかりだ。

つぎは、せっかくIAでフィツジェラルドによる英訳をもらったのだから、そちらを読んでみる。



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