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あらいいオンド:三波春夫「温度音頭」と江利チエミ「真室川音頭」

長年の友人から三波春夫の音頭集をすすめられ、一聴、馬鹿笑いしてしまった。

いや、アルバム全体がコミック・ソングで埋め尽くされているわけではなく、「温度音頭」という曲に、脳味噌を右往左往させられ、なんだよこれは! となったのだ。

◎「上を向いて歩こう」コンビ

「温度音頭」は、作曲・中村八大、作詞・永六輔、「上を向いて歩こう」を筆頭に、「黒い花びら」「夢で逢いましょう」「こんにちは赤ちゃん」「遠くへ行きたい」など、日本の曲に関してはまったく「角が暗い」当方のような門外漢もよく知る大ヒットを生んだソングライター・チームによる。


三波春夫「音頭・オンドで全曲集」


ではあるけれど、この曲に関しては中村八大の才能は必須ではなく、歌詞がほとんどすべて、と云ってよい。

ファースト・ヴァースのファースト・ラインとセカンド・ラインは、
「はああああ、天婦羅揚げましょ揚げましょ百八十度、パンを焼きましょ、焼きましょ百八十度」
これだけでけっこう笑ったが、問題はサード&フォース・ライン。
「燃える太陽百万度、今日は晴天、よかったね」
ファースト&セカンドからのサード・ラインへのジャンプたるや、その差なんと九十九万九千八百二十度! 算用数字で書けば、999820度だ。

これを聴いた日は太陽おおいに燃え盛って、わが家の音頭計、もとい、温度計は摂氏35度を示した。「よかったね」なんて云われても、とうてい同意しかねる暑さだったので、よけいにこのラインは耳に残った。いや、耳に突き刺さった。

◎変則数え歌

日本の歌の詞は短いので、全編を書くのも簡単だが、引用の範囲を超えるのもなんなので、それは控えて、セカンド・ヴァースとサード・ヴァース(3ヴァース+3コーラス構成、ブリッジなし)に出てきた物体・事象とその数値のみを書くと、

・風呂→四十度および四十三度
・酒→人膚三十六度
・煙草→千度
・火事→三千度
・人の体温→三十六度

と、こういう風に一覧すると何でもない(いや、とんでもない、という異論も御座ろう!)が、歌であるからして、聴くときは向こうが見えず、闇から鉄砲、ふいに、火事の三千度などに襲い掛かられるし、それが馬鹿陽気なサウンドと、三波春夫の異様なまでに発声のよい親不孝ヴォイスに乗っているのだから、じつに可笑しいのだ。

「それ、よかったね、よかったね、体温計やら温度計、おんど、おんどの音頭取り、あらいいオンド、いいオンド」
というコーラス・パートも、リスナーをナメきったようなラインで、「このクソ暑い日に、ちっともよかねえよ」であった!

◎真室川音頭ヴァリエイション

それで、ふと、江利チエミの「真室川音頭」を思いだした。


江利チエミ「Memories Box」ディスク2「チエミの民謡〈東日本篇〉」フロント・カヴァー


「真室川音頭」の現在の歌詞は、昭和27年の公募から生まれたものだそうで(真室川町サイトの真室川音頭ページ)、ちょっとユーモラスではあるが、「温度音頭」のようなとんでも歌詞ではない(「正調真室川音頭の歌詞」)。

しかし、江利チエミ・ヴァージョン「真室川音頭」のベースとホーンによるリックは、一聴、たちまちわかるヘンリー・マンシーニのPeter Gunn Themeそのまんま! ギターを弾く人間なら誰でも知っているあのリックが出てきて、エエッとなる。

マンシーニのPeter Gunnは同題のTVシリーズのために書かれたもので、1959年にマンシーニ自身の名義でアルバムがリリースされ、ヒットした。


Henry Mancini - The Music from Peter Gunn, 1959


江利チエミの「真室川音頭」は、Discogsでわかる範囲のことだが、どうやら1962年の「チエミの民謡集 第4集」という10インチLPが初出のようで、演奏は原信夫とシャープス・アンド・フラッツ、編曲は山屋清となっている(ビッグバンドには、たとえばピアノなどと兼任の専属アレンジャーがいるもので、おそらく山屋はこの時、シャープス・アンド・フラッツの座付編曲者だったのだろう)。


江利チエミ「チエミの民謡集 第4集」



Peter Gunnのベース+ギター+ピアノによるリック(その自伝で、マンシーニ自身はクラシックのほうのタームを使って「オスティナート」と呼んでいるが、8ビート/ポップでは「リフ」ないしは「リック」というタームを使う。反復される短いフレーズを指す)は、Cキーで云うと、C-C-D-C-Eb-C-E-Cという非常にシンプルなもので(ルートから4度、5度と移調しつつ繰り返すのだが)、偶然の一致ということもありえなくはない。


ヘンリー・マンシーニ自伝「Did They Mention the Music?」
非常に面白い本で、ハリウッド音楽への理解をおおいに促進してくれた。


しかし、Peter Gunnは、シンコペーションの使い方にはっきりした特徴があるし、ビッグバンド音楽の8ビート化によるリニューアルという先進性によってヒットし、多くのギター・カヴァーを生んだ有名な曲である。


Peter Gunnを収録したDuane Eddy - Especially For You
シングルとしては、低音弦のサウンドを生かした例の「トワンギー・ギター」スタイルによるエディーのカヴァーがヒットし、後続の無数のギター・カヴァー・ヴァージョンに道を示した。


山屋清はビッグバンドのアレンジャーだ、アメリカのビッグバンドの動向には注意していたに違いない。リックに著作権が認められたことはなく、法律上の問題もない、そう考えると、マンシーニのリックをそのまま持ってきた、とみなしてよいと思う。

さて、それが面白いかどうかが問題なのだが……わたしの耳には、水と油とまではいわないものの、とくに効果をあげているようには響かなかった。


The Art of Noise with Duane Eddy - Peter Gunn, 1986
ドゥエイン・エディーのPeter Gunnがヒットして四半世紀後、こんどはアート・オヴ・ノイズがエディーをゲストに迎えて、再びPeter Gunnをヒットさせた。これもなかなかけっこうなヴァージョンであった。もちろん、あのリックを使っている。


◎民謡西洋化のそもそも

「真室川音頭」がポピュラーになった最大の原動力は、記録されている各種ヴァージョンから考えて、林伊佐緒によるもののヒットではないかと思われる。


林伊佐緒「真室川音頭」SP盤レーベル
SPの時代には、踊るための便宜なのか、「フォックストロット」「ワルツ」などというスタイルの注釈が書いてあったもので、この「真室川音頭」には「ブギ」という注記がある。確認しておくが、オリジナル・タイトルはあくまでも「真室川音頭」であり、「真室川ブギ」というのは、後年の改題である。そこらを踏まえずにインチキを書いちゃだめよ。>ウィキ


この林伊佐緒「真室川音頭」が、のちに「真室川ブギ」と改題されたほどで、やはりシンコペーションを導入した非日本的、非日本民謡的アレンジなのだ。

ヴォーカルの発声、「節回し」は日本的なのだが、譜割りを微妙に変えて、表拍を飛ばし、裏拍に替えるといった操作をしていて、アメリカ音楽、当時の包括的な名称としての「ジャズ」フィーリングを加えているし、ドラム、ベース、ホーンのスタイルもビッグバンド的だ。


林伊佐緒「日本民謡ジャズ・シリーズ」
どうやら45回転盤2枚をひとセットにしたものらしい。この時点でもまだ「真室川音頭」のタイトルを使っていて、「ブギ」はたんなる角書にすぎない。



江利チエミの「真室川音頭」のヘンリー・マンシーニ・アレンジの源流は、この林伊佐緒編曲による「真室川音頭(ブギ)」だと見ても大丈夫だろう。

で、そのアレンジは成功しているのか? 少なくとも、江利チエミ盤よりは無理がなく、グルーヴ的にもひどく不自然には感じない。8ビートは合わないけれど、4ビートはそこそこ合った、と思う。


林伊佐緒「ジャズ民謡集」
このCDでは「真室川ブギ」というタイトルになっている。


◎昭和の怪物・三波春夫

子供のころ、民謡というのがどうにも苦手だった。歌謡曲はそれなりに好んだ楽曲もあったが、民謡はどうにも困った。幸い、まだ演歌というものがなかったから、その程度ですんでいたとも云えるだろうが、でも、あれが流れるとおおいに困惑した。

幼稚園のころ、大好きで唄っていたのは、坂本九もカヴァーしたジミー・ジョーンズのGood Timin'であり、テレビのSurfside 6や77 Sunset Stripの4ビートの主題歌であり、唄えはしないが、ハリウッド映画のオーケストラ音楽や4ビート・スコアを浴びるほど聴いた。


英語などまったく知らなかったが、毎週、このタイトルバックに合わせて、「♪サーフサイド・シックス、サーフサイド・シックス、イン・マイアミ・ビーチ!」と叫んでいた。ヴァースは完全な4ビートだし、ビッグバンド・アレンジで、ブリッジの転調が印象的、アメリカ音楽の魅力が詰め込まれていた。



そういうシンコペーションを基礎にした音楽で育った幼児、小学生には、日本民謡は異国の風変わりな、どうにも乗れないグルーヴだった。

江利チエミはジャズ・シンガーとしてスタートした。それがやがて、日本で活動する日本人の歌手として、同時代のスター・シンガーがみなそうしたように、日本固有の音楽をカヴァーしなければならなくなった。それで試行錯誤するようになり、ビッグバンド・スタイルの民謡もやってみたのだろう。


田坂具隆『陽のあたる坂道』では、元日の宴会シーンで、石原裕次郎が真室川音頭を唄い、踊る。
同じく『陽のあたる坂道』より。北原三枝も真室川音頭を唄う。
北原三枝「信次さんらしいわ。あの人、何踊った?」川地民夫「真室川音頭だよ」北原「へええ。♪わたーしゃ真室川の梅の花、って、あれね?」


江利チエミがどうだの、林伊佐緒がどうだの、という個々のインスタンスのレベルを超えて、日本人として生まれ、日本で暮らしながら、西洋音楽を大量に聴いて大人になり、その後も、人生の大部分を西洋音楽を聴くことに費やしてきた自分という人間のことを、改めて他人のように眺める、ちょっと奇妙な、これはリスニング体験だった。整体師に「背骨がひどく曲がってますね」と云われた気分、とでもいうか。

それにしても、三波春夫のゆるぎないオーセンティシティーには呆れた。このアレンジはどうだろうねえ、正当性があるのかなあ、異文化移入の失敗じゃないの、などという疑念はいっさい起きない。頭から尻尾までぎっしり餡子が詰まったオーセンティシティーの鯛焼きである。



オリンピックだの万博だのクレヨンしんちゃんだの恐竜だの、さまざまな、どうでもいい泡沫的流行事をテーマとした変則的な歌詞でも、三波春夫は真正面から唄い、堂々たるオーセンティシティーを感じさせる。百パーセントの日本音楽だねえ、とただただ呆れた。

◎Ondo time is here, again!

考えてみると、「音頭」とは何ものなのか、わたしはまったく知らない。音楽形式である以上、音楽的定義があるのだろう。辞書の記述を読んでみた。

まず広辞苑。
「1.多人数で歌うとき、調子をそろえるために、ある人が歌の初句を一人で歌い出すこと。また、その人。〈日葡〉2.多人数で歌い踊る民俗舞踊の一種。また、その歌

第一義は音楽形式のことではなく、「誰かが音頭を取らないと話がはじまらない」などという表現のもとになった、唄のリーダーシップをとること、また、その人物にすぎない。第二義は音楽形式を云っているが、これではあまりにも曖昧模糊漠然朦朧いい加減テキトー大雑把、まったく定義になっていない。


なんたって「音頭・オンドで全曲集」ってくらいで、全編音頭、音頭の、音頭だらけ。「丼音頭」というのもちょっと笑える。ルパン音頭、恐竜音頭は、はてさて、で御座った。


つぎ、ニッポニカから、第一義を飛ばして、第二義のみ。
「日本民謡の演奏方法の名称のひとつ。声明が音頭の独唱で始まり、付所の部分から複数以上の人々の斉唱が加わるところから、広く掛合い形式の唄も音頭とよばれるようになった。したがって、大ぜいの人々の行動を統一させるための木遣唄、盆踊唄などに音頭形式のものが多く、それがそのまま曲名にもなった。『相川音頭』『伊勢音頭』『河内音頭』などがそれである。ところが、盆踊唄のように、この曲名には歌って踊るものが多いことから、大正末から始まった新民謡(創作歌謡による御当地ソング)の曲名のうち、にぎやかで踊り付きのものは「○○音頭」と命名するに至った。その代表曲が『東京音頭』である」

やっぱりスワローズ応援団かよ! てなことはさておき、「声明」だの「付所」だのと、なんだかよくわからない日本語なので(「複数以上」ってどういう意味だよ! 複数は複数であって、イカも以上もないだろタコ!)、肝心の部分をわれわれの言葉で読み替える。

「ヴァースがリード・シンガーのソロ・ヴォーカルであり、コーラス・パートへ移行するとバックグラウンド・ヴォーカルズも加わって多人数で唄う形式をいい、また、そこから発展して、コール&リスポンス形式の曲も音頭と呼ばれるようになった」

ヴァースがソロ・ヴォーカル、コーラスが多人数、というのは、ユニゾンかハーモニーかの違いはあるとしても、基本的にアメリカン・ポピュラー・ミュージックと同じ。つまり音頭=ロックンロールね! よくわかった!

いや、まじめな話、音楽的に明解に定義されてはいないわけで、「盆踊りなんかの時にかかる、ああいう感じの曲」という漠然たる把握でまったく問題ないらしい。ま、定義はなくても事象は存在可能ですからな!

いや、定義のことはおく。盆踊りと「なんたら音頭」なるものが、ゴルディアス的に強固に結ばれたのは、昭和8(1933)年夏の爆発的かつ熱狂的な「東京音頭」のヒットと、東京中どこでも集まって夜毎踊り狂ったという、あの狂熱の盆踊りブームによるものらしい。


「東京音頭」楽譜フロント・カヴァー。「新興音楽出版社」というのは、やはりシンコー・ミュージックのことなんでしょうなあ。


宇宙背景輻射のように、昭和8年の狂乱がまだつづいていたのか、てえんで、まるで「蒼き馬」を見たような気分だった。いや、ピンクの象かもしれないが。


「やっぱり、犯人はあなただったのですね」
結局、現代的な音頭なるものは昭和戦前の「新民謡」ブームの中で生まれたようで、であるなら、中山晋平がその背後にいたと断じていい、と考えるに至った。


◎音頭ルネサンス

今回、仲間内で音頭のことが話題になり、友人がわたしたちに三波春夫を聴くようにすすめたそもそものきっかけは、故・大瀧詠一プロデュースの、布谷文夫「ナイアガラ音頭/Let's Ondo Again」のEPリリースだった。


布谷文夫「ナイアガラ音頭」EP


その流れで、わが家のHDDに降り積もった音頭や民謡のあれこれの現代的解釈を聴き、当然、なんだかんだと物思いはしたが、これはいわば「日本と俺」という大テーマであるからして、結論めいたことは、いまのところ何もない。三波春夫の横綱相撲に圧倒され、三秒であっさり土俵を割ってしまったのだ。

まだ音頭の季節はとば口、夜な夜な盆踊りの花咲く巷を歩きつつ、捲土重来を期す。Ondo time is here!


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