行ってらっしゃい帰っておいで
第三子として生まれてきたわたしは、幼い頃から孤独でした。それもそのはず、わたしが生まれる前から兄と姉がいて、二人は年齢が近くすでに仲良しでした。人間関係が出来上がっているところに、歳の離れたわたしが生まれてきても、兄と姉の世界には入ることができませんでした。
きっと二人はわたしを仲間はずれにしようと意地悪なことをしていたのではなく、ただ、歳の離れた兄と姉の中には入れなかったのです。遊びも違うし、会話の内容も違うし、二人に共通する学校の友人も知らないし、実際に生きている世界が違うのでした。
「まだ小さいから、こんなこと言ってもわかんないよ」とか「こんなこともできないのか」など、よく言われました。それには反論できませんでした。それに、兄と姉からよく怒られていました。きっと二人があまりにも厳しいから、両親がわたしを怒ることはほとんどなかったのだと思います。そして、両親はわたしに甘すぎると、姉はよく怒っていました。
第三子として生まれてきたわたしは、生まれながら劣等感を感じてきました。年がずいぶん離れて一歩も二歩も先を行く兄と姉との隔たりを痛感する日々。幼い頃からわたしは努力をすることで、その隔たりを埋めようとしていたのかもしれません。いつかは二人の仲にいれてもらえるかもしれない。でも、どんなに努力しても、それは実ることはありませんでした。
そして、いつも未来を考えていました。兄と姉のようになりたいから、今をどうして生きていたら良いのか? 「今を生きる」という映画が10代の時に流行ったけれど、タイトルを聞くたびに、わたしは「今」なんて生きられないと感じていたからです。常に「未来」に生きていると感じていました。なぜなら、「今」は「未来」のためにあって、片足はすでに「未来」に踏み込んでいるような感じがするからです。「未来」につながるかどうかで、何をするにしても、何を選ぶにしても、考えていたのです。「今」という瞬間で「未来」を生きているのは、実際に未来がやってきた時に後悔したくないから。そして、その思考の癖は、今でも相変わらず強いです。
そして、未来が進んでいった先を考える10代を過ごしました。つまり、「死」を常に感じながら生きていました。中学1年生の時に幼なじみを自殺で亡くしました。中学3年生の時はクラスメイトが亡くなりました。高校3年生の時に、美術部で一緒だった男の子が海で亡くなりました。そして20歳になってからは震災でサークルの仲間が亡くなりました。さらに、33歳の時に父を雪崩で亡くしました。突然の死が、大切な人を連れ去っていくたびに、「次に死ぬのは、わたしかもしれない」と思いながら、生きてきました。今でも、「死」がわたしを見張っているような感じをどうしても拭い去ることができません。
こんなことを書いていたら、すごく重たい文章になってしまいました。けれど、第三子の友だち数人と会った時、少なからず、みんな同じように感じていると話してくれました。みんな、こんなダークなところも自分の一部分になっていて、うまく付き合って生きているようでした。だから、孤独感や死への恐怖、劣等感などで、日常において困ることはありません。わたしは単なる「思考の癖」程度で捉えています。
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大人になって、カール・ケーニッヒというお医者さんの書いた「子どもが生まれる順番の秘密」という本を読みました。その本には、第三子の特徴が次のように挙げられていました。
「人生の最初の一歩から、三番目の子どもは見知らぬ他人です。まず、少し離れたところに両親の領域があります。そして次に、最初の二人によって占められた別の領域があり、最後に、一人取り残された自分の領域があるのです。」
「第三子は劣等感という痛みを抱えているのです。この子は他の人間の中の一員になりたいと憧れています。」
「死に対する密接な現実感が彼らを包み込んでいるようです。これは第一子や第二子にはそれほどみられない現象で、他の人たちに比べて、第三子にとっては死というものがより身近なものとして感じられているものと思われます。」
「第三子は、自分の目的を達成するのに大層苦労しなければならない人たちです。」
「彼ら(第三子)ほど理屈を超越して、未来を現実としてとらえることができる人はいない」
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まさに、わたしが幼少の頃から抱えてきた問題が説明されています。ケーニッヒの本によると、わたしの問題は、第三子としては特徴的なものだったのです。
今でも、わたしは「今日死ぬかもしれない」という気持ちを抱いていいます。同時に、わたしの大切なひとが今日死ぬかもしれないと感じています。その死に対する恐怖心というか諦めは、わたしの根っこになっているような気がします。
だから、わたしは、朝、子どもたちを「行ってらっしゃい」と学校へ送り出す時、必ず「顔を見せてね」って言います。ちゃんと顔をみて「行ってらっしゃい」と確実に伝えます。そして、「死」に繋がっているわたしの根っこが「帰っておいで」と言わせるのです。つまり、子どもを見送る時には「行ってらっしゃい、帰っておいでー!」と声をかけるのです。
もちろん、バタバタして、ちゃんと伝えられない日もあります。そんな時は、静まりかえった家の中で、もし子どもたちが今日帰ってくることがなかったら、最後にちゃんと声をかけられなかったことを一生後悔するんだろうなって、ふと脳裏によぎるのです。そして、戦争によって「おかえり」って伝えられなかった母親たちの気持ちを想像してしまうのです。
さて、今日は終戦記念日。
「おかえり」って伝えられなかった75年前の世界中のお母さんたちに、黄色い花束を捧げようと思います。
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