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インベスターZ #17

GEのトップの決め方
世界中の30万人から7年かけて3人まで絞り込み、

最終的な課題で最も機種の成績をあげた人をリーダーとする

自動的に選抜のすばらしいところ

経営を家族にひきついでいくことが

必ずしも企業のためではないというのを考えるきっかけとなりました。

一番成績が優秀な生徒と自動できに決めて

引き継ぐと決めているのがいいなと思いました。


そして!きたー鈴木商店、世界的な総合商社。

鈴木岩治郎が明治7年に神戸で洋糖取引商を創業。

石油業もてがけ、神戸八大易商と呼ばれる。

岩治郎が急死したため、奥様のよねが大番頭だった金子直吉に経営を託す。

日清戦争で台湾が日本の領土になり、

直吉は台湾で樟脳(防虫剤の原料)の販売権利65%を獲得し、

工場を沢山設立し、煙突男と呼ばれる。

樟脳を輸出して莫大な利益をあげる。

第一次世界大戦前後には神戸製鉄所を設立、現在IHIの播磨造船を設立、

その後、帝国人造絹糸を設立。

帝国人造絹糸ときいて現在どの企業がピンときますか?

そう、帝人です!


直吉は戦後には、もの不足に陥ると予測して、先に顔集めておき、

イギリス政府にも食糧、鉄、造船など供給して富を増やしていく。

この頃スエズ運河の1割の船は鈴木商店の船だったこともあるそうです。

1917年当時は、日本のGPDの1割の売り上げで、日本でNO1の商社でした

金子直吉がたちあげた会社は80にものぼり、

現在の神戸製鋼所、帝人、太陽鉱工、IHI、サッポロビール、

日本製粉、ダイセル、J-オイルミルズ、日油、昭和シェル石油、

三井化学、商船三井、鈴木薄荷、日本精化、日塩、ニチリン、

東邦金属、三菱レイヨン等などが今でも残っている。

その後、昭和恐慌を期に、昭和2年に破綻しました。



煙突男と呼ばれるほど工場をたてて、歴史の流れをみて、

今の日本に名を残している企業を設立したのかと思うとすごい貢献です。

世界をみていた金子直吉さんがすごい人物だとわかり、

なぜエミンさんが鈴木商店といっていた意味がわかってきました。

これら、鈴木商店から派生した企業を調べていくのも面白そうです。

参照

https://www.sojitz.com/history/jp/company/suzukishoten/

https://www.sojitz.com/history/jp/company/suzukishoten/


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