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2022-11-04 山の危機。その「執念の報告書」。

東北森林管理局のホームページをよく拝見させて頂いてます。

検索で山の名前などを入れてみると、さまざまな資料が閲覧できます。

私は早池峰山に関連するレポートは特に目を通すようにしてました。

外来植物の駆除や、携帯トイレ意識向上の取り組み、ニホンジカの食害対策…など、早池峰の自然を守るための取り組みを、こちらのサイトから学びました。

「お花がきれいだな」がキッカケで通わせてもらうようになった早池峰山。その影には、この自然を守ろうとする人たちのたゆまぬ努力があるんだなぁと、感謝の念が絶えません。

そんな中で、一人の登山者として衝撃的だったレポートがこちら。

『早池峰山周辺森林生態系保護地域の登山道の現況について ① ② ③ 』

https://www.rinya.maff.go.jp/tohoku/keikaku/attach/pdf/R3hogorin_iinkai1-4.pdf

PDFに直接リンクしています。サイズは21MBほどあります。秋の夜長にじっくり読みたい42ページに渡る研究報告書。

当たり前のように感じる「自然」。私が行ける範囲のところは、100%と言って言いぐらいに、人の手で管理してもらっているところ。

人が訪れることで、望まない荒廃が進み、自然災害に繋がっていく。またはその懸念が生まれる。

管理する人は、その変化が最小限で済むように日々努力されている。でもそれは常に完璧ではない。

『いっその事、人の進入を制限すれば』 

早池峰のこのレポートに限らず、このようなケースは少なくないように思えます。

早池峰山に3000回以上登られた方のお話。
「今の若い人は~、、」
と冒頭から耳が痛いのですが、
「昔は、山に登らせてもらっているという感覚で歩いていた」印象的な言葉が思い出されました。

私が勝手にお山の師匠と慕っている方も「こうして、足をペッタンペッタンと、はんこを付くように歩くんだ」と教えてくれたっけ。。

ヒマラヤなどの海外に行ったり、テント泊で縦走するような人でも、こんなにゆっくり歩くんだと、駆け出しの私は思ったものでした。

今の私はどうかな。
調子が良ければタッタカタッタカ歩くし、疲れて浮石を転がしちゃっても、そのままにしたり。

振り返ると自分本位。まだまだ未熟。

『登らせてもらっている』

大事な考え方ですよね。私自身がそのように感じたことを、実際にお山で行動できるかがもっと大事。

アメの袋は拾うけど、
ゴムの石づきは拾うけど、
誰かのマスクは拾わない、
誰かのティッシュも拾わない。
誰かがやってくれるだろう。
嫌なところは見て見ぬふり。
それでもって
『楽しかった』とか、
『綺麗でした』とか、
『ありがとうとかございました』とか?

誰かが落とした手袋や帽子は、
木に掛けてて良いの?
私物とゴミの違いは?

冒頭で『感謝の念が絶えません』と語りましたが、上辺だけの薄い言葉にしか聞こえない。

いかん、

自分にイライラしてヒートアップしてしまった。でもこれが今の本当の私なんだな…。

『お山にとって、それが本当に良い事なの?』

来年のテーマがひとつ出来ました。

著者の湯浅俊行さんの記事は、以下のリンク先がわかりやすいです。

『早池峰山の登山道崩落の危機 定点撮影し対策訴え』


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