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登山部🌸

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私の好きな山『早池峰山』のお花を含めた登山記録や、歴史、宗教、文化、不思議な出来事など、自分で調べたことをこちらにまとめていきます。
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#牧野富太郎

100年前・お花を巡る物語り

牧野富太郎のことは、多くの方がご存知のことと思います。 このnoteは、現在の岩手県紫波郡紫波町で生まれた農家の長男で、植物学者・マキシモビッチ(マクシモービチ)との運命的な出会いによって、植物界に大きな功績を残した「須川長之助」の物語です。 ■幕末・開国・明治維新〜激動の時代に マクシモービチというロシア人の植物学者は、牧野富太郎(以下、牧野)ら明治初期の日本の植物学者からとても慕われて、多くの人を育て、現代の植物相の礎を築いた方です。 時代は幕末・開国・明治維新。

【登山】鶏頭山〜蛇紋岩に咲く春の花に呼ばれて〜

1865年に、マキシモさんの指示で早池峰に入山したチョウノスキー(須川長之助)さんが採取して、マキシモさんが1867年に発表した固有種の5品種のうちのひとつが、ヒメコザクラです。 (チョウノスキーとマキシモさんのお話はこちら) (私のGPSで記録すると4割り増しで距離が長く出ます) 早池峰山塊でも、シカによる植物の食害は深刻です。端折りますが、林床がハゲポッポになれば、雨による侵食が進み、土砂崩れが起きて、岩塊崩落、白髭水(崩落による洪水)の発生。入山禁止にもなるでしょ

1904-7-22 『早池峯山採集日記』 飯柴永吉先生

科学誌『理学學』への寄稿 「理學界」という明治38年8月5日発行の理学雑誌(一部15銭)に、早池峰山の紀行文があります。読みやすい文章に意訳してみました。 寄稿者である飯柴永吉先生は、明治6年に三重県で生まれ、私の母校、東北学院(当時の中学)で明治36年から33年間教鞭を執られた方です。 以下の紀行文は1904年、先生が31歳のときのものと思われます。 早池峯山採集日記 飯柴永吉 早池峰山は岩手県盛岡市の京都方面(方角を表すのに「京方」という言葉を使っていまし