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病気とつきあう (1)発症時の記憶

退院後3年


3年半前の冬、脳出血に見舞われた。約半年間入院、退院して丸3年経った。そこから始まった心身の変化がいまの自分の生活や行動、思考に密接に関わり大きな影響を及ぼしている。自分としては3年ひと区切りなので、病気のとき何があったのか、病を得て何を感じ何を思ったか、何が変わったか、セルフドキュメントとしてここにときどき、少しずつ書いていこうと思う。闘病記ではなく誰かの役にたつものではないので興味のある方は気軽に読んでほしい。

今回は発症したときの自分の心の動きについて。脳出血は強烈な体験で、「まさか自分が!」という青天の霹靂のできごとで、発症時の記憶はいまだに鮮明だ。時間経過とともに無意識的な記憶の改竄があるかもしれないが、脚色や盛りは一切ない。もちろん全て自分の主観であり、病気も含めて全部自分の頭の中で起こったことで、一般化できない「個人的体験」だ。

布団の中、自分の真横に生温かい棒が・・


12月下旬の寒い夜だった。午後11時過ぎ娘から迎えを乞うLINE。布団から出てバイトを終えた娘を迎えに家に近い地下鉄駅に向かう。外は強風で雪がちらちら舞っている。帰り途、歩くスピードが速い娘を追いかけるように速足で歩いていると冷たい突風で体が一度ぶるっと震えたが何事もなく帰宅。

パジャマに着替えるときに足元がふらつく気がしたが眠くてそのままバタンと横になり速攻で睡眠突入。どのくらい眠ったかはわからないが目覚めたときに体の異変に気づいた。自分の体の左横に生温かいぷにぷにした太い棒があるのだ。なんだこれは?と右手でその正体を探る。頭側にさかのぼると自分の首に到達しその棒が自分の体から伸びていることに気づいた。「えっ!左腕かよ・・・・」

左腕と思われる棒には感覚が全然なく、全く動かせないことに愕然とする。ほぼ同時にかつて経験したことのない全身の異常感覚に襲われる。とにかく体のあちこちが激しくむずむずして不快なのだ。

事の重大さをしぶしぶ認識


事の重大さに気づき、起き上がろうとするが足腰に全く力が入らず、起き上がれない、座ることも這うこともできない。寝返りすらできない。布団の上で芋虫のようにもぞもぞし、体のあちこちをタンスにぶつけて埒が明かない。

そのときの実感は、「やられた!、当たっちまった。脳梗塞だな」だった。次に思ったのは「これは夢か寝ぼけであって、ひと眠りしたら元にもどるだろう」という幻想だった。そして目をつぶってみるがまったく眠れない。もし眠ったとして果たして眼が醒めるのか、起きた時に正気か、息をしてるかという不安も強くなりだんだん怖くなってくる。俺はここで死ねない、娘たちが社会人になるまでくたばるわけにいかないという現実的な考えが浮かぶ。

現実逃避としてのラーメン


次に思ったのがラーメン食べたい、H(当地の町中華の名店)の回鍋肉定食たべたいというおよそ状況にそぐわない望みだった。それどころでは全然ないのだが、ラーメンの絵面が浮かんで離れず次の思考に進まないのだ。大至急病院に運んでもらうべきという当たり前の結論に達するのにしばらくの時間(数分だろうか)を要した。まさか自分がという思いで気が動転し、理性的な思考ができず無意識に現実逃避していたのだろう。

救急車に乗せられほっとする


理性的な思考と自己分析が勝って、声を振り絞り家族を呼び、救急車を呼んでもらう。到着した救急隊に担架に乗せられ家を出るとき、頭重感が急な吐き気に変わり、激しく2回吐いた。
家族も救急車に同乗した。救急車には仕事として過去何度も乗ったが自分が主人公で乗るのは初めてだ。救急車に乗せられほっとして記憶が一時途切れる。救急隊は自宅に程近い脳神経外科病院に運んでくれた。

救急病院到着、診断確定


病院到着後の記憶は少しぼんやりだ。手や足を動かしてみてと何度も言われうまく動かない左手足に改めて驚く。日付や場所、名前・生年月日を何度か問われ、慌ただしくCT検査が行われた。点滴が入れられ、尿道にカテーテルが入ったときは痛くてしっかり目が覚めた。CTをみた医師から、「〇〇さん、脳出血です」といわれた。脳の腫れを取る点滴をしますが、出血が大きくなるときは手術が必要になるかもしれません、とごく簡単に説明された。

後から考えると深刻で重大な内容だが、そのときは診断がつき専門病院で必要な治療が受けられる安心感が勝った。自分でできることはなく、どうせまな板の鯉だと思うと眠気が襲いまたここで記憶が途切れた。右手に巻かれた自動血圧計が何分かおきに作動したり、意識の確認で看護師から声をかけられるたびに浅い眠りから起こされる。

入院生活が始まる


時間の感覚がまるでなく、次に目が覚めたのは朝だと思ったが付き添いの家族によると昼頃だったようだ。妻が私の勤務先に連絡を入れていて、ちょうど職場の事務長が病室に入ってくるのが見えた。仕事に行けないことが気がかりだったので、少しだけ気が楽になった。「仕事のことは考えずまずは治療に専念してください」といわれたときは心底ほっとした。長い入院生活の始まりだった。


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